第 号 曲を演奏しま 曲3曲をはじめ、ゆかりの 曲ばかり全 した。 平成 年 月9日午後2 時、弘前市民会館に於いて 弘前高校吹奏楽部後援会主 年「もうすぐ還暦」OB 催、弘前高校吹奏楽部創部 18 全国各地から、年代も職 業も様々なOBが集まって 26 総 会 案 内 年度の鏡ヶ丘同窓会総会を左記のと 平成 おり開催いたしますので、皆様お誘い合わせ の上、ご出席下さるようお願い申し上げます。 演奏会の構想は2年ほど 前からあったのですが、平 した。 にとっては大入りの気分で 予想をはるかに超え、我々 ですが、実際は500人と うしようと心配していたの 演奏者より少なかったらど 奏者は約100人。観客が 演奏会が行われました。演 参加できなかったOBの皆 る事が決定しました。昨年 第2回OB演奏会を開催す そして、今回の演奏会に 味をしめ、来年(平成 年) した。 戻ったような感覚を覚えま のムードでまるで高校生に り、練習も本番も和気藹々 有の不思議な一体感があ の演奏でしたが、同窓生特 もらいました。 は 年卒の方に頑張って 会が担当しており、昨年 懇親会でのアトラク ションは当番制で各同期 り御礼を申し上げます。 誠にありがたく、衷心よ 力 金 を い た だ き ま し た。 ◆ 月4日(土)午後5時より 年8月の第1回実行委 さん、楽器があればどなた ◆ホテルニューキャッスル 麗峰の間 ◆会費 7000円 から340万円に及ぶ協 1回目の練習は4月からス 楽部後援会総会を経て、第 検討ください。 奏も歓迎しますので是非ご でも参加できます。エア演 なお、ご出席される方 のみ、同封いたしました 楽しみです。 どんな企画が飛び出すか なお、協力費は年間1口 しくお願い申し上げます。 今後ともご協力の程よろ への旅費の負担等に使わ 餞別、各支部同窓会総会 助、全国大会出場者への この協力金は会報の発 行・発送、ねぷた制作援 タート、月2回強のペース 返信用ハガキを事務局ま 月)のプログラム 弘高吹奏楽部、栄えあれ あれ! 高橋伸光 (昭 卒) 創立130年事業も終 わり、140年に向けて はその岩木山を眺めて学生 山が眺望できます。後輩達 校の校舎からは美しい岩木 合格者が出ています。2面 を始め、近年にない大量の 難関大、弘前大学も医学部 て一橋、外語、北大などの 我々の後輩は、日本を支 える人材となるため鏡ヶ丘 も質は落ちません。 弘前高校は、人数は減って ク ラ ス に な る よ う で す が、 生の皆様の日々の活躍の した。これもすべて同窓 置を占める学校となりま 同窓会も、優秀な生徒 たちが社会で飛翔できる 紙で郵便局からご送金下 1000円で、1口以上、 さい。手数料は同窓会が できれば2口以上でお願 毎年、鏡ヶ丘同窓会運 営費のご協力をお願いい 同窓会運営協力費の たしております。昨年度 負担します。 いします。同封の振替用 は1203名余りの方々 御礼とお願い せていただいております。 なお、この演奏会の収益 は弘高吹奏楽部の発展のた でお送り下さい。 回の練習を積み重ね めに全額寄付させていただ で約 本番を迎えました。 きました。 員会、平成 成 年1月の吹奏 卒( 代 表・ 今回は昭 佐 藤 康 文 ) の 出 番 で す。 演奏会当日は歴代顧問3 名を含む 名の指揮者によ 年 り、第1回定期演奏会(昭 和 スタートしました。おか 生活を送っています。どう を参照して下さい。 39 中林 裕雄(昭 卒) 社長である藤 ホームページ URL http://kagamigaoka.com/ 管理者メール webmaster@kagamigaoka.com 実 行 委 員 長 大中 実(昭61卒)facebook開始 げさまで、鏡ヶ丘記念館 して大志を抱かずにおられ うのは陸羯南の五言絶句 鏡ヶ丘ホームページ 賜と考えております。 も整備され、たくさんの ましょうか。 の地で成長しています。 方が見学に訪れていま ように、何かしらの役に 立てればと考えておりま まれたもの」を存分に発 一昨年の会 報では、ホン 揮できる体制が築けたら 今年の冬 は長く、卒 さらに部活動も、軟式野 す。また旧生徒会館跡地 野道格さんの よ い と 願 っ て お り ま す。 の駐車場は有効に利用さ ことが紹介されていました す。同窓生が手を繋ぐこ が、日本国内はもちろん世 ダジェットの 業式の後も 球、空手、バドミントンほ れました かたくさんの部が立派な成 その意味でも、今まで以 手を繋ごう 同窓生 れています。 が、 そ ん な 中 で、 嬉 し い 界的に活躍されている人が 上に同窓会に協力してい ただくことをお願いする とで、互いが「持って生 さ て、 「名山名士を出 す。 こ の 語 久 し く 相 伝 ニュースが飛び込んできま 果を挙げたそうです。まさ たくさんおります。 鏡ヶ丘同窓会会長 う。 試みに問う巌城の下、 に文武両道を実践している です。本校の校舎に入る 今春の大学入試で、東大 に現役が5名合格し、また 雪に見舞わ 誰れ人か天下の賢」とい した。 と言う他ありません。 と、この詩の扁額が掲げ ■申込み方法 幹 事 大村 嗣郎(昭和30卒)℡0172-38-3626 55 次第です。 実は今年の新入生から6 日 時 平成27年7月4(土)午前7時30分集合 午前8時スタート(アウト、イン同時) 場 所 津軽カントリークラブ 百沢コース 競技方法 18ホールストロークプレー(新ペリア方式) 会 費 3,000円・プレー代各自(当日受付にて徴収) 11 20 10 このように、弘前高校は 今や日本にとって重要な位 名、加え 東北大合格者が 60 28 7 時下、新緑の候、同窓生各位、益々ご清勝のこととお慶 び申し上げます。 扨、我々の先輩でありました坂田二郎氏が、創立百年を 記念して始まったゴルフコンペも、第32回目となりまし た。同窓の旧交を深めるべく、下記要項の通り、開催致し ます。各同窓生の皆様へ、声を掛け合いご参加下さいます よう、ご案内申し上げます。 不思議な一体感のOB演奏会 られています。また、本 27 11 26 59 第32回 鏡ヶ丘同窓会ゴルフコンペのご案内 弘高吹奏楽部創立59年 59 25 39 20回の練習 積み重ねて 41 鏡ヶ丘同窓会報 (1) 第27号 平成27年5月20日 27 公式ホームページ http://kagamigaoka.com/ 題字・故・鈴木忠雄名誉会長 俳句甲子園に出場 挨拶・感謝に重きをおいて 2年 船澤 玄太 先日の新人戦は、団体戦こ ています。先輩方が築いて お名前が書かれた札が残っ 私たちが活動している一 矢館には、歴代の先輩方の 出場することができました。 動きを見習おう」というよ となり、昨年度から準備を それが部員全員の共通目標 経験となった。 と対戦し、部員全員に良い 選敗退であったが、強豪校 きの切符を手に入れること。 全国大会では残念ながら予 還必ず礼に中り、内志正し ん。 礼 記 に、『 射 は 進 退 周 私たち弓道部が目指すも のは優勝だけではありませ 成績を残すために日々努力 となる平成 平成 年度も全国大会に 年度の大会で、 出場し、昨年度よりも良い 段から挨拶や感謝すること は部活動時間以外でも、普 り』とあるように、私たち 平成 『愉快犯あくまの辞典』 ▼昭 卒 福士 壽一 『 津 軽 地 方 の 夏 祭 り ね ぶ た・ ね ぷ た・火流し・盆踊り』 ▼昭 卒 鈴木 勝男 『札幌農学校 日本近代精神の源流 復刻版』 ▼平8卒 豊島 実和 : 『政治学大図鑑』 ▼昭 卒 原子 慧 『東奥文化 第八十五号』 ▼昭 卒 小倉 孝誠 『歴史と表象 近代フランスの歴史 小説を読む』 37 年度 ▼昭 卒 丹藤 博文 『文学教育の転回』 ▼昭 卒 工藤 邦男 『工藤邦男歌集 有為』 ▼昭 卒 千葉 信行 『みちのくの風』 ▼昭 卒 藤田 晴央 『夕顔』 ▼昭 卒 清野 利保 『歌集 古城残秋』 ▼昭 卒 福田 友之 『津軽海峡域の先史文化研究』 ▼昭 卒 松田 修一 『我、遠遊の志あり 笹森儀助風霜録 ゆまに学芸選書 ULULA 10 』 ▼昭 卒 小野泰次郎 『独笑集 風のまにまに』 同窓会関係寄贈図書一覧 26 『身体の文化史 病・官能・感覚』 『英雄はいかに作られてきたか フ ランスの歴史から見る』 『フランスを知る 新〈フランス学〉 入門』 『 あ ら 皮 ― 欲 望 の 哲 学 バ ル ザ ッ ク 「人間喜劇」 セレクション第 巻』 『 パ リ と セ ー ヌ 川 橋 と 水 辺 の 物 語 中公新書 』 1947 ▼昭 卒 中屋敷 均 『生命のからくり 講談社現代新書 』 2268 ▼昭 卒 平山 昭一 『 詩 集 INDIAN SUMMER インディ アンサマー』 ▼昭 卒 奈良 武 『企業倒産論 危機管理各論として』 『企業「危機管理」の強化書 2 0 0 社 の 取 引 先 倒 産 に 対 応 し た経験が語る』 ▼昭 卒 佐藤 芳朗 『 残 し た い 足 跡 伊 藤 正 樹 先 生 の 実 践』 護 学 校 )実 教・加 藤 京 子 (弘前実業 校 )臨 講・黒 滝 亮( 新 採 用 田 名 部 高 校 )養 教・菊 池 理 子( 弘 前 第 一 養 隆( 青 森 高 校 )中 村 宰 和 (青森東高 (定年退職 藤崎校舎へ(非常勤講 師))竹内義雄(北斗高校 (定) )葛西 須藤健二 ( 弘 前 南 高 校 )藤 岡 隆 昭 校 )教 諭・熊 坂 長 敏 (再任用終了) 長敏(8h) 彦(8h)工藤隆文(7h)熊坂 友弘(採用)非常勤講師・岩田邦 前実業高校)宿日直代行員・石川 部工業高校)臨実・古川悦子(弘 合高校(定))養助・小笠原裕香(南 子(青森高校)竹谷澄子(青森北 西村勇士(五所川原高校)河島麻 校(定))教諭・加賀利瑛(大間高校) ■ 転 入 / 教 頭・ 今 井 啓 之( 田 名 部 高 高 校 )事 務 長・加 藤 栄 一 ( 再 任 用 前実業高校)事務長・五十嵐徹(弘 高校)臨講・佐々木俊雅(尾上総 深浦校舎主幹) ■ 転 任 / 教 頭・米 内 山 裕 (青森南高 444444444444444 さらに上を目指して 由真 2年 工藤 我々弓道部は、顧問の高 活 動 の 両 立 は 大 変 で す が、 杉和宏先生、中村宰和先生、 それに負けないよう心身を 海渡 文芸部の活動は、こ の2年で大きく変化し コーチの成田王仁先生の下、 鍛えていきたいと思ってい 2年 工藤 僕達弘前高校空手道 部は以前よりも部員が た。 一 番 大 き な 変 化 そ思うように結果が残せま きた伝統を守りながら、新 ます。 は、文芸部全体として せんでしたが、個人戦で東 名、2年生 増 え、 よ り 密 度 の 濃 北大会、全国大会に出場す しい時代を作っていきたい 名 ) で 活 動 し て い ま す。 ることができました。現在 と思います。 名(3年生 い練習をすることが出 の大きな目標ができた 規の故郷である愛媛県 ことだ。それは正岡子 来るようになりました。 また、部活動中の雰囲 気も良くなっていると 松山市で行われる全国 高等学校俳句選手権大 厳 し い 寒 さ が 続 き ま す が、 インターハイを目指して稽 うな気持を常に持ち、互い 積んできた。そして初出場 古を続けている毎日です。 に刺激し合い、空手だけで 接戦の末に地 を積んでいる。部員数の不 の大切さを意識しながら と 区大会優勝を 足が現在一番の悩みである 日々の高校生活に取り組ん に弓矢を持ること審固な 果たし、松山 ので、新入生の入部にむけ 10 54 19 33 44 19 41 49 58 30 思います。そのためも あり、8月のインター 会、通称「俳句甲子園」 への出場である。全国 各地で行われる地方大 会の一つである弘前大 弘前高校は県内や東北の 強豪と比べると練習時間は なく、社会で生き 行きを果たす でいます。日々の勉強と部 集中 ハイ、昨年行われた新 人戦県大会において団 体形優勝や、個人形1 ~3位独占という素晴 遥 か に 少 な い と 思 い ま す。 ていくうえで大切 会を勝ち抜き、松山行 しかし、そのような環境の なことも学んでい らしい結果を残し、一 中で強豪校と肩を並べるた けるような弘前高 たくない」 「あいつのあの めには、同じ環境の仲間と 校空手道部を、部 月末に行われた東北大会に 切磋琢磨していくことがと 員全員でつくって ことができた。 ても頑張りたい。 現役生の結果は主な大 学では東京大5、 一橋大1、 名を含む) (私立大) く、外体直くして、然る後 ても大切になってくると思 いきたいです。 年度 大学入試について 東京外大1、東北大 、弘 前大 (医学科 早稲田大8、同志社大4名 でした。医学科に関しては 表3 過去6年間のおもな大学の合格者数 (国公立大) 40 41 平成27年 平成26年 平成25年 平成24年 平成23年 現 過 現 過 現 過 現 過 現 過 東北薬大 4 2 11 13 1 2 2 9 慶 應 大 3 2 4 2 3 2 中 央 大 3 5 6 3 6 9 15 3 日 大 6 5 2 1 8 2 7 1 8 法 政 大 5 2 3 5 3 18 4 11 2 明 治 大 6 4 4 2 4 5 9 4 9 1 立 教 大 3 3 1 3 2 6 2 1 早稲田大 8 7 3 6 4 7 7 9 7 立命館大 3 3 2 3 3 1 1 計 113 61 105 37 110 48 150 56 182 53 い ま す。 「あいつには負け 平成 進路指導部 ・3点(前年 千葉 栄美 も全国平均 名で います。 名、浪人 理系、文系双方の生徒で負 現役合格 担感が増し、受験後も不安 ・ 9 点 ) と 非 常 に 低 く、 題内容に大きな変化があり これからも名門校に学ぶ 自負と責任を胸に、生徒教 今年度から新課程入試と なり、主に理科と数学で出 ました。センター試験では が募ったセンター試験とな 員とも懸命に努力していき 名の生徒が合格して 文型でも多くの大学で理科 りました。弘前高校の生徒 ます。今後とも御支援をよ 表2 最近6年間の進学率 49 26 27 表1 平成27年3月卒業生(272名)進路状況 26 26 170 1 1 35 145 1 41 149 1 40 157 1 1 延べ 科目が課せられまし 達はそのような状況の中で ろしくお願いします。 平成27年3月卒業生の進路状況(3月31日現在) ccccccccccccccccccccccccccccc 平成23年 現 過 5 1 69 7 11 2 30 2 1 2 4 1 平成24年 現 過 5 50 15 7 1 26 2 4 1 3 3 平成25年 現 過 4 2 75 13 2 1 23 8 3 1 6 北海道大 弘 前 大 岩 手 大 東 北 大 筑 波 大 千 葉 大 3 お茶の水女大 東 京 大 5 一 橋 大 1 東京外語大 1 東京工大 京 都 大 178 計 基礎 た。理系の専門理科の出題 も自分の力を信じて、果敢 進学率 卒業者数 進学率 男子 卒業者数 進学率 女子 卒業者数 全体 平成26年 現 過 3 2 73 15 8 4 26 1 3 2 2 3 3 1 1 平成27年 現 過 3 2 82 21 7 2 41 2 26 32 22 平成22年 80.8% 271 77.9% 136 83.7% 135 平成23年 81.3% 278 80.3% 142 82.4% 136 平成24年 71.0% 272 64.9% 134 76.8% 138 平成25年 75.5% 278 69.2% 149 82.9% 129 平成26年 76.7% 275 71.9% 135 81.4% 140 平成27年 82.0% 272 81.9% 133 82.7% 139 10 28 文芸部 に第一志望の二次試験に挑 進路未定 4 弓道部 14 36 就 職 2 俳句甲子園全国大会(松山)にて そ の 他 1 高校総体を終えて 年 内容も大きく変化し、 ぶりに科目間の得点調整が 私立大学 39 41 16 27 みました。 国公立大学 13 進 学 今年 174 昨年 154 今年 45 昨年 52 今年 9 昨年 5 今年 3 昨年 0 今年 41 昨年 65 合 格 178 157 118 110 9 10 3 0 受 験 313 386 267 266 12 16 3 0 53 82 29 1 1 3 1 空手道部 行われています。数学ⅡB 17 2 平成27年5月20日 第27号 (2) 鏡ヶ丘同窓会報 ■略歴 1974年 弘前高校卒 1978年 京都大学文学部仏文科卒 1983年 東京大学大学院仏文科修士課程修了 1987年 ソルボンヌ大学にて文学博士学位取得 1988年 東京大学博士課程中退 〃 同文学部助手 1995年 渋沢クローデル賞受賞 2003年 慶応義塾大学文学部教授 2011年 「身体の歴史」の監訳で日本翻訳出版文化賞受賞 議連携会員、近代フランスの文学と文化史を専門とし、広く執 筆・翻訳を行う。 フランス文学の扉 て、我々を逍遥に導いて行 の熱意や野心を重ね合わせ リヨン、パリへの留学時代 世紀フランス文学の第 一人者である小倉孝誠さん りました。 休憩には動画でサンマル タン運河を巡行し、恋人達 きます。 いざな の講演は旅への誘いで始ま パ リ、 セ ー ヌ 河、 ノ ー トルダム寺院からフラン の新聖地となった、錠の溢 れるセーヌ河に架かる芸術 の扉を潜り、遥かな高みに 後 輩 達 が 現 わ れ る こ と を、 橋の欄干の眺めに和みます。 向かって、道を歩み始める そして弘高蹴球部での県大 また読書をすることで得ら れる至福の時間を享受する 人達が増えることを切に望 みます。小倉さんの熱意に 心からの拍手を贈ります。 羽に1泊、箱根に1泊、さ 到着、以降京都に2泊、鳥 日に出発し、翌朝京都に 僕は 組でしたので第2 班で、夜行列車で 年3月 した。 泊8日という豪華長期版で スを2班に分けて、実に7 せて計画されて、全8クラ 新しい入学試験の日に合わ 僕たちの修学旅行は、1 年生の3学期の、ちょうど 北五の北部を除いた津軽各 この 「囃しことば」 は、東青・ とどまれ」と唱えて歩いた。 ぷ た こ 流 れ ろ、ま め の 葉 こ は、「 ヤ レ ヤ レ ヤ レ ヤ ー、ね ラ ッ セ ラ ー と 2 回 ず つ、交 素朴な囃子で、ラッセラー、 が 付 き、「 青 森 の ね ぶ た 」の た」 は、荒馬の最後にねぶた ヤレヤレヤー、「今別のねぶ な る。碇 ヶ 関 の 久 吉 は ヤ レ 青森の「ねぶた囃子」の笛に レヤレヤレヤー、休む時は、 造は進む時は弘前の笛でヤ ラッセラー、 ラッセラー、 木 鶴 田 は ヤ レ ヤ レ ヤ レ ヤ ー、 板 柳 は ヤ レ ヤ レ ヤ レ ヤ ー、 若者日記』の燈籠の絵には、 石 の 江 戸 時 代 末 の『 分 銅 組 な ば た 祭 り 」と 書 か れ、黒 昭和4年の 『津軽口碑集』 に 五 所 川 原 の「 今 年 豊 年 た の荒馬」 の囃子に似ている。 西北地方の「虫送り」、「今別 し、青森のねぶたの囃子は、 「 歓 喜 の 踊 り 」に 似 て い る 弘 前・黒 石 の ね ぷ た の 囃 子 は、平 川 市 尾 崎 獅 子 踊 の 霊を祓ったという。 ねぶた・ねぷたの囃子 ことばと掛け声 地で行なわれていたが、「ね 互に跳ねる。 だ け で あ る。弘 前・平 賀・大 な わ れ て い な い。「 掛 け 声 」 喊 声 を 上 げ た 」と 書 い て い 殿 下 の 前 で「 ヤ ー ヤ ド ウ の に、昭 和 た、 大條和雄の『ザ・ねぷた』 と 掛 け 声 」と 出 て い る。ま をかこむ群衆がヤーヤード 祭」と書かれた「ねぷた」が、 の 「 囃 し こ と ば 」と、「 豊 年 れろ、まめの葉ことどまれ」 願 い を 込 め た「 ね ぷ た こ 流 し、また、豊年になるように 豆飯を食べて体を丈夫に ね ぶ た・ね ぷ た は、「 ネ ム の 木 で 悪 霊 を 払 い 流 し、小 歳 で あ る が、小 さ い 時 鰐 は ヤ ー ヤ ー ド ー、黒 石 は る。五 所 川 原 の ヤ ッ テ マ レ 復活されることを願ってい ている。 以ッテ人身ヲヌグヒ川ヘ流 「合歓木ノ葉ヤ大豆ノ葉ヲ ヤーレ、ヤーレヤー、青森は ヤ ッ テ マ レ は、「 虫 送 り 」の で 福士 壽一(昭 卒) 天明八年(1788)頃 の津軽の民俗・風習を書い ぷ た こ 」な ど「 こ 」を 付 け た 「 豊 年 祭・豊 歳 祭 」と 描 か れ 時 は、「 ね ぷ た 」と 言 っ て い シ」と書いており、また、「弘 ラッセラ、ラッセラー、五所 時、柳 の 枝 の 太 鼓 の バ チ で それには「子ムタ祭之図」 る。 現在、「ねぶた・ねぷた」 の が あ り、「 祢 ぶ た ハ な が れ ろ、ま免の葉はとどまれ」、 「囃しことば」はほとんど行 前年中行事」の頃には「朔 川 原 は ヤ ッ テ マ レ、ヤ ッ テ 祈る祭り」なのである。その 日ヨリ七日マデニ星祭、毎 マ レ、藤 崎 は ラ ッ セ、ラ ッ 年 の「 秩 父 宮 両 夜 合 歓 祭( ネ ム タ ) 群 集 」 かんせい と書いている。 私 は、平 川 市 本 町 生 ま れ る。 下の地面をたたき、 邪気・悪 『奥民図彙』がある。 おうみんずい た も の に、 比 良 野 貞 彦 の 弘 前 観 光 協 会 の『 弘 前 ね ぷた』には、「昭和初期、燈籠 32 の全員が写っている超 大 型 版 を は じ め、「 二 条城」「平安神宮」「比 叡山」「法隆寺」 「唐招 提寺」「真珠島」「二見ヶ 浦」「大涌谷」「長谷の てはいないと思われま 現在でもさほど変わっ 大仏」と、 その背景は、 日に弘 ペースを占めています。 が、 ア ル バ ム の 多 く の ス 旅行中の何枚もの記念写真 時代の思い出は、この修学 当時の僕にはカメラはあ りませんでしたので、高校 前に戻ってきました。 べれば良い」という一 発 し た、「 お い し く 食 に会場の責任者の方が マナーの講義で、最後 箱根の小涌園での夕 食は、洋食のテーブル す。 言が、今でも心に深く 残っています。 し く、「 東 大 寺 南 大 門 前 」 プロのカメラマンの撮っ た写真は、今見ても素晴ら はまた夜行列車で らに東京に1泊して、最後 一戸 恵多 (昭 卒) 7泊8日の修学旅行 ひととき 彩り豊かだった青春の一時 を振り返り、また現在の大 学文学部の状況を語り、地 方から優秀な学生が入る事 を期待するなど興味深い話 題 を 挿 み、 在 校 生 へ 熱 い エールを送りました。 締め括りには日本人に愛 好される印象派の画家モ ネ、ルノワール、セザンヌ の華やかで新しい気運を示 した画業にも触れ絢爛たる 時代の雰囲気を堪能させて くれました。 豊潤で広範なフランスへ の旅は余韻を残して終わり を迎えます。小倉さんの著 書、翻訳作品の一愛読者と して誠に充実した旅を満喫 致しました。 多感な高校時代に将来の 目標を定め、実現を目指し て真摯に努力してきた先輩 が開いて見せた外国文学へ 76 セ、 ラッセラー(弘前の笛)、 444444444444444444444444444444 氏 (昭 卒) 生きるためには、そして何かを創造するためには、 知性と感性の両方が必要です。深く感動できる心を 養ってください。 工藤須賀子 昭( 卒 ) 会準優勝の活躍など多才で 49 ス 学 士 院 を 映 し、 ド イ ツ 国境に近いストラ スブールの旅情を そそる街並、人気 の観光地モンサン ミッシェル修道院 を紹介して、いよ いよ文化に触れて いきます。明治時 代仏蘭西を訪れた 日本の知識人達の 敬嘆や憧憬に満ち た言葉を辿り、満 を持して御専門の 文豪達ユゴー、ゾ ラ、バルザックの 作品の登場人物の 講 師 小倉 孝誠 49 卒業生へのメッセージ 平成26年10月3日(土) 描写に、御自身の 鳥羽御木本真珠島にて 開校記念講演 19 11 現在は、日本フランス語フランス文学会副会長、日本学術会 67 44 2006年 義塾賞受賞 15 25 1989年 東京都立大学助教授 18 鏡ヶ丘同窓会報 (3) 第27号 平成27年5月20日 に代わって、大学入学希望 入試改革では、平成 年 度から現在のセンター試験 から1学級減の1学年6学 画によって、本校は今年度 出されます。第3次後期計 議の答申案が、本年 が歩んできた130年の けではありません。本校 ただし、私は、焦った り、慌てたりしているわ 年後を見据えた取り組 者学力評価テストが始まり 級となりました。少子化対 年度以降の第4次改革へ 喜び申し上げます。 ます。最初の受験生は現中 必要となります。 さて、戦後 年、様々 な改革が行われようとし 学1年生です。彼らが高校 歴史は十分この変化に対 ひさふみ 月に 卒) に先んじていきたいと 継ぎながら、時代の変化 まで紡いできた伝統を引 固めてきています。これ 羽ばたける翼の付け根を せん。 みをしていかねばなりま ています。教育改革もそ 応によるものですが、現在 応し、一つ先の水平線に 年 後 (昭 けで対応していくと、本校 校長 瀧本 壽史 の県立高校将来構想検討会 の一つであり、本年1月 に入学する前に、新テスト の中南地区8校を学級減だ 同窓会の皆様には、ま すますご健勝のこととお に文部科学大臣から通知 に対応できるカリキュラム 革・入試改革の三者一体 改革の実行プランは、ま さに待ったなしの日程に なっています。 を作らねばなりません。 るという試算が出されてい を見て育っています。同 在校生は先輩方の生き様 同窓会は本校の最も大 切な教育環境の一つです。 思っています。 ます。近々目に見える形で 窓生の皆様のご理解と一 年度には5学 の規模は、 ら 年 次 進 行 で 始 ま り ま す。 学校の姿が変わっていくは 層のご支援をお願いいた 大学改革では、今年度 から各大学のアドミッ ど が 義 務 づ け ら れ ま す。 アクティブラーニング等の ずです。国と県の改革は同 します。 同 窓 会 に も 貢 献 し た い。 そんな議論の中から、単純 に感謝いたします。 機会を与えてくれた同窓会 年度には4学級にな 像がそれぞれ明確になり、 授業改善が強く求められて これによって求める学生 きています。 時進行です。早い段階から な百円じゃんけん大会の発 級、 高校改革では、学習指導 要領の改訂が平成 年度か 高校側は今以上に、各大 の情報収集と分析、そして 想が生まれたのでした。 たちの進行を盛り上げてい れた皆様から、不慣れな私 た。総会の際には、参加さ をやらせていただきまし 同期と、何回もの飲み会を かけに応じてくれた周りの 役所、銀行、教師など呼び の仲間を集めなくては。市 さて、 1人ではできない。 どうしよう。とにかく近く 得なくなりました。 でき、級友や恩師と 会を開催することが に、久しぶりの同期 さて、私たち自身 と言えば、これを機 く思っております。 することもできまし 気にいろよ。 母校を想い、同期みんな でまた会おうな。ずっと元 たと感じ、逆にこのような 一方で、青森県の教育改 革も進められており、平成 ションポリシーの制定な された大学改革・高校改 10 学に対応した進路指導を 行うことが、今年度から 平成 年度総会 機会を与えてくれたことに感謝 平成 ただき、改めて感謝を申し 開き、 準備が始まりました。 久しぶりの再会もか か場を持たせることができ 上げます。 やはり、課題は余興。果た ないました。 東京鏡ヶ丘同窓会 加は無類の喜びであり、み て?)いきたい。 千葉 貴司(昭 卒) ん な で 支 え て( 支 え ら れ 4444444444444444444444444444444444444444444 歌と演奏で青春時代へ 会の盛り上げ役は工藤克 明 さ ん( 昭 卒 )。 故・ 長 とあいさつ。 繁栄に向けて結束しよう」 我々がある。母校の一層の ら に 囲 ま れ て 学 び、 今 の 年頃に個性的な先生や学友 八木橋惇夫会長は「多感な 学士会館で開かれた。冒頭、 120人余が出席し、都内 化する会にとって若人の参 の熱い激励を受けた。高齢 今後の抱負を述べOBから 会 人 と 学 生 ) が 自 己 紹 介。 ゲモノの会」から6人(社 樽酒の鏡開きで懇親会が スタート。まずは「在京ワ の協力を求められた。 け、市の概況報告と市政へ 前市商工振興部長も駆け付 を頂いた。また川村悦孝弘 あっという間に楽しい時 間は過ぎ、最後は全員で弘 た。 時代に戻ったようであっ た。とりわけ 楽しい歌と演奏で盛り上げ 津留バンド」がお洒落でパ に工藤さん率いる「パパ大 描いたネプタ鏡絵をバック 谷川達温和尚(昭 卒)が 長、瀧本壽史校長から祝辞 議案承認後、弘前から駆 け付けた中林裕雄同窓会会 昨年の東京鏡ヶ丘同窓会 総 会 は 月 日、 会 員 ら 45 ワ フ ル な パ フ ォ ー マ ン ス。 卒組は青春 年。「双葉会」「三思会」「珊 444444444444444444444444444 潮が残る昭和 年、卒業が 私たちが弘高に入学した のはまだ「バンカラ」の風 中・弘高校歌、北斗の黙示 を歌って再会を誓い合っ た。 藤木 義行(昭 卒) いようです。 地元と、関東地区合同で 2度目の修学旅行と称して、 に「三一会」と称して活動 ングがなかったために、単 「還暦」 「 古 希 」「 喜 寿 」 等の節目には、健康と長寿 の開催も行いました。 「横浜中華街」 「仙台」等で してきました。 私たちの多くは、今 歳、 せめて 歳の米寿の年まで を願いお祓いを受けました。 現会長は八木橋栄一君。 同 窓 会 の 支 部 長 が 3 名。 東 京 支 部 の 八 木 橋 惇 夫 君、 瑚会」のような良いネーミ ますが、弘前より元気が良 まだまだ元気でいよう 三一会 44444444444444444444444444444444 一休会 福井 次郎(昭 卒) 周年記念 の講演会 弘中・弘高 一休会 周 年 年記念講演会 日(水) が、平成 月 に弘前パーク ホテルで開か れました。講 演会の内容は 右記の通りで す。 一休会ほ か、一般の方 も多数来場 し、会は盛会 のうちに終わ りました。 31 仙台支部の会津清英君、平 ております。 は元気でいようと言いあっ 年位前から、毎月最後 の日に、弘高近くのワイン に1回になり、今は毎年。 8年も逢えないので、2年 その時都合で出れなければ 同期会は最初、4年に1 回 オ リ ン ピ ッ ク 開 催 年 に。 賀支部が自分(藤木)。 78 年度同窓会幹事学年代表 秋元 哲(昭 卒) 皆様のおかげで、なんと いつの頃か、誰からは忘 れましたが、総会の幹事は し て 何 を し た ら よ い の か。 今回のようなこと が無ければ、たぶん た流れから、自然と私が幹 持ち回りであり、いずれ私 これまでの先輩方の凝った これだけの同期が再 ましたし、多少ですが寄付 たちの学年の順番が来るこ 寸 劇 や 映 像 な ど は 無 理 だ。 事の代表を引き受けざるを とを知らされました。最初 会場の人を飽きさせないた 諸先輩方を引き継ぎ、平 成 年度の同窓会総会幹事 は、 誰 か が や る も の だ と 会することも無かっ た。本当にありがた 思っておりましたが、職場 めにはどうしたらよいか。 15 12 49 38 38 28 49 39 70 の多くの先輩方が務めてき 31 47 25 30 月4日(土) 88 70 26 34 10 19 26 26 70 11 32 10 59 7 関東地区では毎年6月に 東京三一会を開催しており を呑みながら情報交換を。 パブ「ためのぶ」でワイン 20 26 平成27年5月20日 第27号 (4) 鏡ヶ丘同窓会報 県庁支部 に続き、最後は体育会系O に富んだショートスピーチ Bの指揮の下、弘高校歌を るのが恒例で、かつては毎 年100名近い参加者がい 全員で斉唱して散会となり ましたが、最近は若い方や 女性の方などの参加が減り 宮城鏡ヶ丘同窓会 4444444444444444444444444444444444444444444 震災後の現状と 宮城鏡ヶ丘同窓会の活動 にあった仙台と石巻を結 す。これらによって交通イ いものでした。今回は女性 300弱の一割にも満たな えませんでした。また先輩 が5名参加したこともあり ンフラがかなり解消するの さ て、 話 題 を 我 が 宮 城 鏡ヶ丘同窓会についてご報 後輩が一堂にまとまり、自 打ち解けた会場は談笑が絶 告致します。まず会報第6 由闊達な交流が見られたこ 同窓会副会長、瀧本壽史弘 開催されました。高橋信進 役員一丸となって頑張って を進めるよう会津会長以下 た。これからも更なる活動 とは大いに収穫となりまし 高校長並びに成田清文先生 ゆく所存です。 日に です。また仙台市の地下鉄 のお三方をお招きして、現 なお、第 回総会は、6 月 日に開催する運びと 年6月 月に開業予 役の学生お一人を加えて総 総会が平成 号の発行に続いて、第 東西線が今年 勢 ㎞)が5 進んでいるところもありま 定となり、地下鉄南北線や ぶJR仙石線( すが、依然として変わらな JR各線を含めると市内と 日に全線開通すること い 地 区 も 垣 間 見 ら れ ま す。 中 で 進 行 し ま し た。 出 席 月 そんな中、今年はちょっぴ 近郊間の移動にも変化がみ 者は会員数 います。震災復興もかなり り明るい話題も聞かれま られるのではと予想されま 名で賑やかな雰囲気の す。その一つは、震災被害 『東日本大震災』から早 くも4年を迎えようとして 回 事務局 中村 直司(昭 卒) ではと期待されます。 33 同窓会総会でお会いしましょう 八戸 良城(昭 卒) 県庁から母校を懐かしむ ます。 最近、マスコミ等で弘高 在校生やOBの方々のご活 名程度の規模になっ ています。総会には弘高側 躍を目にする機会が多く誇 ~ から鏡ヶ丘同窓会長と校長 確には把握しきれないとい うのが実情です…。 先生にお出でいただき、ご 44444444444444444444444444444444 そして更なる発展を期して 33 県庁支部総会は、弘高を 卒業した県職員が母校への 総会は、毎年 月上旬の 県議会閉会日の夜に開催す りに思うとともに、母校・ 弘高のますますのご発展を 挨拶と弘高の近況報告をい ただいており、毎回懐かし 祈念しております。 いきたいものと考えており 26 誇りと愛着を深めるととも 名)や金 に、同じく弘高卒の県議会 議員(現在 融機関・報道機関関係 い 想 い 出 が 蘇 っ て き ま す。 来賓の方々からのウイット 一 さ ん( 器 械 体 操 ) 、昭 年卒の田澤勉さん(走り高 輩出しております。 会の運営には、年千円を拠 30 49 12 者等来賓の方々も交え て同窓生同士の旧交を 福士 兼義(昭 卒) 4444444444444444 田舎館支部 弥生の里で楽しいひととき にわたり田舎館村長を歴 卒の須藤金太郎さん(4期 任) 、昭 年卒の阿保日出 当支部の名簿に載ってい る会員数は、現在220名 こ の 中 で は、 旧 制 弘 中 ほどです。 す。 終わりに、当支部の歴史 は浅いが、今後とも支部と 跳び) 、など多才な方々も さて、支部の活動として は定期総会、そしてその後 のパイプも太くしつつ、会 出させていただいておりま ます。 親睦を図っております。又、 の 充 実 と 同 窓 会 へ の 協 力、 す。但し強制はしておりま せん。 今年の冬は、弥生の里 「ジャイゴ」で開きました。 本部からは、副会長の 山 上 前 校 長 先 生、 渉 外 32 温め、更なる結束を深 めるための年1回の集 まりで、歴史は昭和の 時代に遡ります。現在 弘高OBの県職員は凡 そ380人位はいると 思っていますが、昨今 何かと個人情報には厳 しい世の中なので、正 年8月 の再会を誓いました。 34 の懇親会では、会員相互の 桜田 宏(昭 卒) 皆元気で頑張っておられま 3人であり、 4444444444444444卒の会員は2、 エコの会 名が出席 催。2年後の平成 年ぶりに開催 平成 年8月 日 (金) 、弘高昭和 年卒 業の同期会が、秋元善 智 先 生、 小 関 修 先 生、 川村昇一郎先生のご臨 席のもと、 年ぶりに 開催され、 いたしました。当時の 写真をもとに今なら明 かせるエピソードが披 部の成田先生をお迎えし、 楽しいひとときを過ごし ました。 更に、講演会なども予 定しておりましたが、講 師の先生の都合で実施で きませんでした。 なっております。 (消費税込み。発送費、 振替手数料は別途) 31 34 ●B5版 約750頁 ●価格3,800円 露されたほか、高校を 卒業したばかりの若者 が集い、伝統の組ねぷ たを弘前ねぷたまつり に出陣させた思い出話 などで大いに盛り上が 日には首 りました。その勢いの まま、9月 札幌鏡ヶ丘総会 6月21日 50 ところで、当支部出身 者の中には、昭 年弘中 四一会 8月14日 40 50 53 28 名簿をご希望の方は同窓 会事務局 〔 電 話0172-328545(FAXも )〕に ご 連 絡 下されば頒布いたします。 12 28 22 同窓会名簿の お知らせ 15 53 32 5 71 27 27 五所川原支部総会 8月16日 尾上支部総会 4月29日 27 26 都圏在住の同期会も開 15 鏡ヶ丘同窓会報 (5) 第27号 平成27年5月20日 鏡ヶ丘同窓会報 平成27年5月20日 第27号 (6) 平成26年度 鏡ヶ丘同窓会会務報告 平成26年4月1日~平成27年3月31日 月 4 日 行 事 名 10 第2回同窓会報(26号)編集委員会 8名 22 同窓会役員会 41名 27 燦々会 (33卒) 32名 29 尾上支部総会 22名 3 5 娯朗会(56卒) 40名 3.4 鏡ケ丘記念館一般公開 50名 17 東京学生会 10名 18 関西学生会 15名 22 第一回総会実行委員会 25名 24 仙台学生会 10名 板柳支部総会 25名 7 6 7 8 9 10 11 12 1 2 参加者 12 同窓会報(26号)編集委員会反省会 7名 20 第二回総会実行委員会 18名 21 札幌鏡ヶ丘同窓会総会 16名 22 宮城鏡ヶ丘同窓会総会 34名 28 平賀支部総会 21名 30 教育庁支部総会 44名 3 第三回総会実行委員会 5 鏡ケ丘同窓会ゴルフコンペ 未確認 16名 252名 5 鏡ケ丘同窓会総会 26 30年会 (30卒) 10 第34回鏡ケ丘親睦野球大会 14 四一会 (41卒) 40名 14 獅子の会 (44卒) 74名 14 さんきゅう会(39卒) 73名 16 四駆会(49卒) 77名 16 五所川原支部総会 40名 未確認 31名 7 二六会 (26卒) 20 三二会 (32卒) 25 東京鏡ヶ丘同窓会総会 120名 27 関西鏡ヶ丘同窓会総会 21名 14 青森支部総会 49名 19 一休会 (25卒) 70名 県庁支部総会 35名 17 田舎館支部総会 16名 22 第1回同窓会報(27号)編集委員会 25 新潟鏡ケ丘同窓会総会 22 藤崎支部総会 38名 9 未確認 70名 8名 9名 28 同窓会入会式 272名 3 10 大鰐支部総会 22名 4 1 大場 良平 工藤美智子 久保田隆二 斎藤 雪雄 櫻庭 忠雄 堀内 久子 松井 睦朗 赤坂 桂吾 油川 義博 有賀 孝雄 大久保誠子 葛西 友子 佐藤 勝美 中西 重嗣 成田 郁夫 前田 朝平 森山 武彦 昭和37年 小田桐士郎 工藤 弘典 竹谷 勇勝 青山 晃淳 帯川 雄三 櫻庭 勤 戸澤 正誼 平泉 哲史 柾木 尚義 長内 健 加藤 裕 木田 多聞 京野 巖 斎藤 重周 齊籐 文則 坂本三代造 竹浪 勍佑 富島 英宇 吉岡 利忠 赤平 實 小田切克彦 菊池 昭夫 下山 康 福士 貞夫 円子 絢子 森 豊吉 横山 文夫 赤石 昭次 加藤 正大 工藤 剛 工藤 正穂 嶋津 一彦 同窓会監査 敦賀 哲朗 鶴田 洋史 原 玉枝 原 俊輔 東 好弘 松田千代治 松田奈津子 松永 眞人 昭和38年 山内 敏之 横内 正典 成田 博美 西谷 洌 石田 誠 大中 忠 唐牛 孝之 菊田 明子 清野 耕司 田辺 義弘 長妻 恵子 中野 徳隆 中村 元彦 西谷 武夫 萩野 道夫 橋本 郁子 濱田 恭平 平川 正敏 平山 脩 福士 修成 阿保 耀子 大和田 強 鎌田 徹郎 桐原 雅行 工藤 克明 神 敏勝 鈴木 弘武 戸澤 忠 土橋 蓉子 福田 孝志 藤田 征芳 柳田 晴夫 山内 善浩 吉岡 利孝 江森佳世子 大塚 三朗 小山内英尚 葛西 修 工藤美穂子 古川 栄一 斉藤 啓子 櫻庭 秀俊 佐々木誠司 竹内 昭江 田畑志津子 中沼 丈昌 野呂 昌男 松田 恒蔵 水木 蓉子 山内 弘 昭和39年 斎藤 毅 舘山 彦雄 長崎 昭義 中林 裕雄 秋山 邦男 棚橋 達彦 青柳 健一 太田 宏明 柿崎 光顕 笠井 哲哉 古川 道雄 永井 雅廣 鳴海 光彦 平戸 史子 赤平 和順 荒木多恵子 岡山 洋一 尾崎 一美 鎌田 重輝 小坂 清弘 桜庭五十司 竹内 明夫 田沢 一之 田辺 和彦 寺山 幸子 鳴海 徳二 石岡 徹 一戸 洋次 伊東 保之 小林忠一郎 白戸 武美 田中日出興 長尾 光洽 藤井 資宣 三浦雄一郎 三上 邦康 村上 謙藏 昭和40年 斎藤 恭一 大高 勝造 2名 對馬 桂子 小野 善弘 加藤 勇一 斎藤 光雄 柴田 哲郎 山口 規子 伊東 廸男 井上 保子 内山 衆一 太田 豊 奥平 洋子 小山内 晃 北川 武彦 工藤 忠 中川千佳子 成田 助清 成田 義人 野呂 進 宮崎 方嗣 八木橋鉄弘 山形 喜隆 菊池 正浩 佐藤 静 平野 祐七 昭和41年 湯瀬 久美 石井 慧 白戸 浩一 高嶋 一敏 光弘 隆 森 浩一郎 大津 幸世 葛西 敞 川越 啓一 塩田 宏三 白取 幹人 田中 正彦 二木美保子 西谷 泰 秋元 清仁 一戸 孝之 臼渕 徹 葛西 恒雄 菊池せい子 斎藤三千政 西村 義一 原子 健 川村 敏男 菊谷 裕悦 北川 順一 工藤 信裕 斎藤 光正 佐々木幸男 新名フジエ 町田才之丞 安田 俊夫 昭和42年 小野ふさ子 折原 裕 工藤 健造 小林 繁樹 志野 年昭 八木橋勇治 小山内 孝 桜庭十三夫 土岐 憲二 奈良岡修一 増田 知生 工藤 正英 高柳 健治 成田 堅生 盛 文武 荒井 恵子 新谷 文子 井澤 眞 尾板 正人 高橋 透 福士 政人 吉沢 隆治 倉田 保夫 昭和42年通 鎌田 玲子 昭和43年 一戸 敏 清藤 哲夫 秋元 義禮 工藤 義春 坂岡 明 関場 慶博 対馬 省次 松井 信雄 丹藤 仁嗣 山内 春勇 犾守 絹江 加藤 一眞 高瀬 一博 高橋 憲三 蝦名 修 篠崎 珠樹 鈴木 明子 竹内 幸子 野呂 幸男 花田 鎮雄 山上 佳男 昭和44年 工藤 良一 野口 章子 吉岡 猛 今泉 良郎 岡崎 耕衛 小野 徳昭 西谷 栄 藤田 道昭 三國 典昭 赤石 茂 海老名徳雪 北川 良治 工藤兼太郞 工藤 博明 西尾 幸一 長谷川孝幸 三浦 慎平 宮崎 雅秀 赤平 陽二 天内 純一 板垣 隆 川村 広明 古川 隆 里見 和子 神 繁司 進藤 典夫 常田 孝 原田 和紀 福山 直人 船越 素子 松野 俊子 昭和44年通 佐藤ふじ子 昭和45年 青山 仁志 秋元 英志 川村 邦明 須藤 静子 成田 和義 上村 三世 高橋 行吉 山谷 金光 矢本 嘉則 大津 友見 菊池 潔 木村 明 成田 則正 有賀 邦夫 遠藤 真 小野寺 縁 木村 郁子 須藤 博子 田端 優子 中野 幸子 宮本 和平 昭和46年 田金 順弘 今田 謙二 中嶋 和郎 下山美保子 平尾 雅世 赤石美恵子 佐藤 了省 白戸 久夫 永吉 規子 村上豊千代 枝村 則彦 工藤千恵子 工藤 清文 今 隆志 滝渕志津子 中嶋 均 中田 義則 西澤 明子 布施 協一 昭和47年 今井 高志 高瀬 香 高山 美子 三浦 彰 宇野 清博 大津 匡志 中村 弘 山本 一利 石岡 昭年 對馬 幸雄 盛 一夫 石岡 具子 角田 宏明 木村 誠 齋藤三千義 佐藤 栄一 沼田麻紗子 昭和48年 三上 信久 吉田 恒一 大坊 民夫 中村 隆司 大川 誠 菊池 一智 幸田 茂雄 増田 章子 加福 康麿 工藤 武重 佐々木 修 對馬 浩二 服部 庸 藤岡 隆昭 藤田 雅俊 山内 誠一 昭和49年 堀内 治子 円山 昌子 石川 孝 高橋登貴子 瀧本 壽史 武藤 佳子 山形 陽 福島 伸雄 藤田 秀文 三上 昌樹 岡本 栄子 櫛引 洋一 柴田 政子 外川 重信 成田 清文 根深 忠 福井 次郎 横山 幸雄 昭和50年 岩崎 一 佐々木克治 成田 洋子 山口 龍城 伊藤 雅一 石川 玲 鴨下 厚子 川嶋 純子 児島 雅 昭和51年 荒井 元明 小菅 園子 三上 洋子 斎藤 勲 中西 宣男 三上 栄子 太田 斎 中島 易子 幸田 恵子 渡部 司 山谷 睦雄 昭和52年 尾崎 俊寛 牧野 吉伸 大塚 真司 小笠原 史 小山内清和 斎藤 和子 奈良 俊一 菊地 清夫 須藤まゆみ 坪水 直子 昭和53年 髙坂 明子 千葉 裕子 石澤 徳成 柿崎 順子 木村 真明 嶋脇 秀徳 田澤昭次郎 多田 恵実 外崎 佳造 富澤 桂太 水木 清治 吉岡 正俊 昭和54年 長利 伸一 水木 道義 米谷 勲 須藤 朗孝 藤田 正雄 小野 正己 高橋 聡 福井佐和子 昭和54年通 斎藤ミキエ 昭和55年 大間 祥宏 佐藤久美子 鈴木 珠敏 高橋 伸光 中野渡瑞子 山口 美穂 四俵 誠 田村 正人 中村 典雄 芦田 豊昭 藤田 昭彦 松原 真美 松本賀代子 松本 光生 昭和56年 越後谷直樹 澤田 雅章 白戸 輔 神馬 裕司 田中 圭子 谷田 尚子 荒井 優子 佐藤 正幸 白石千寿子 成田 俊吾 西沢 祐司 工藤 誠治 後藤 忠志 澤田 雄 宮川 耕一 兼田 寛悦 大溝 雅昭 嶋脇 秀隆 三浦 理香 倉田 匡子 阿保 雅幸 昭和57年 関 昌子 中村 徳秀 高橋みどり 鳴海 康方 梅原 一浩 菅野 洋 工藤 清彦 小沼 譲 佐藤 記一 佐藤 亮介 成田 尚三 沼倉たまき 南 直之進 森 岩樹 山口 晴弘 昭和58年 小友 勇人 小濱 正文 鳴海 晃 大湯 智行 成田 光美 三上 満宏 芦田 斉子 盛 和行 小暮 誠二 木庭袋 渉 昭和59年 角田 冠奈 平井 隆樹 大塚 啓一 久保由佳子 佐藤 伸之 澤田 栄子 竹田奈津子 成田 治 昭和60年 岩渕 重人 内海 剛 葛原 秀人 油川 修一 成田 昭吾 濱口 祥子 昭和61年 加藤 武 田辺 健 一戸まき子 大中 実 八木橋靖子 伊東 健 松井 晃紀 三和 聖徳 木村 次郎 高橋 政幸 三上 智 水木 夏彦 宮腰 淳一 横澤真理子 昭和62年 木村 正雄 鼻和 敏夫 櫛引 唯善 高木 徹 平岡 学 白戸 研一 清野 暢邦 田中 真紀 花田 勝彦 前山恵理子 森 菜穂子 昭和63年 宇野 美雪 千葉 嘉亘 内海 健 白戸 克明 三和 公也 小笠原康雄 金森 栄治 櫛田 智美 佐藤 直 水木 道子 昭和61年通 極檀多津子 平成元年 三浦 真介 原 直美 蒔苗 伸郎 柴田 修吾 井沼ゆり香 斎藤 香 佐藤 朋子 清野 月世 林 美佐子 番場 泰文 宮腰 直樹 山口 貴之 平成2年 石橋 裕子 小枝 泰隆 菊池 理子 川村 啓之 川村 環 平成3年 千葉 裕樹 成田 諭隆 鎌田 吉雄 三和 貴道 工藤絵里子 中村 真紀 西田 明美 三浦 行 山口 真吾 山口 静香 平成4年 須藤さおり 十川 恒寿 福井 隆修 鳴海恵一郎 成田 千恵 横山 航平 伊藤 健宏 水木 正朝 平成4年通 福井 寿志 飯塚 明廣 平成5年 五十嵐喜代敬 鎌田 孝教 伴 一聡 毛内 良也 平成6年 阿部 高士 千葉もと子 平成7年 西澤 秀哉 小野 潤一 毛内 慎 平成8年 西沢 尚徳 三浦 卓也 平成9年 工藤 雅仁 工藤 和洋 栗形 悠平 秋元 禮 中道 哲郎 平成9年通 大坂 和伸 平成10年 須藤竜一郎 山崎 直洋 平成10年通 石川 リヨ 平成11年 西野 智 三浦 絢子 三上 あき 三國 典央 平成11年通 金田 龍吉 平成12年 中道 卓郎 平成13年 鎌田 耕輔 三上 統生 安田 一夫 平成13年通 毛内 聖 平成14年 中道 健郎 山口 最史 平成15年 田中 希依 笹 晃説 佐藤 元哉 平成16年 日景 瑞奈 宮原由布子 根深 忠大 平成17年 佐々木郁香 加藤 彩乃 工藤 文昭 高瀬 公子 福山 朝子 平成18年 鈴木 諒 小館 佑介 田中 亜実 日景 秀徳 根深 友希 八重畑佑一 平成19年 小館フユミ 勘林登貴子 平成20年 山下真梨子 木村 玲美 成田 隼也 加藤 吉晃 福山 寛人 山崎 紋央 平成21年 木村 美和 南 弘毅 加藤 剛 木村 圭太 平成22年 工藤 桐 小館 里依 三上 文 吉田 和生 倉田 佳奈 平成23年 工藤 華子 大津 恵美 木村 沙耶 三上 亮一 芦田 夏葵 川村 矩子 岸 研登 東浦 遥 松本 麻希 平成24年 前田 貴子 藤本 浩史 有馬 恵樹 森 息吹 平成25年 関 傑 大津 真実 岸 優希 佐藤 阿弓 前山 聖耶 松本 啓亨 四ツ栁涼子 平成26年 工藤 槙子 神馬拳太郎 大中 絵奈 金谷 恭昌 菊池耕太朗 大道寺 拓 千葉 悠也 對馬 美雪 平川 航希 松本 彩那 村井 湧泉 特別会員 古山 哲司 外川 裕子 寺田 徳子 小向 博 宇藤 裕夫 加藤 久子 金谷 克憲 中村 宰和 加藤 栄一 菊地 修一 高井 都 三橋 栄蔵 三上由美子 石山 憲章 石川 緑 中道 哲 齋藤 環 鏡ヶ丘同窓会報 (7) 第27号 平成27年5月20日 伝えたいのは「共感」の笑い 齊藤 和夫さん(昭 54 卒) kimoriから「りんご」の魅力育む 高橋 哲史さん(平4卒) 大手電機メーカー社員とアマチュア噺家(創作落語)というユニー クな顔を併せ持つ。 落語の道へのきっかけは、社会人5年目のブルーな時期に職場の先 輩からいただいた古今亭志ん生のテープ。何度も聞いてるうちに噺を 覚えて演じてみたところ、奥さんに「ピアノでいえばベートーベンの 簡単な練習曲を暗譜して弾いているレベル。調子に乗って人前で演じ ることのないように」と注意されたものの、生来のモツケキャラが目 を覚まし、よりいっそう独学で稽古に励む。 その後寄席に通いつめるが、古典落語ではプロの噺家のレベルは不可能であると気づき、 聖書を題材にした落語の創作に取り組む。福音は英語でグッドニュース。「噺は口へんに新 しい。つまりニュースなんだ!」思い付きにもとんちが効いていた。高座名は古今亭をパロっ て古琴亭志ん軽(こきんてい しんかる)。軽は津軽の軽。志ん軽さんは弘高2年次にキリス ト教の洗礼を受けている。津軽発の福音噺とはなんともユニーク! 自身の交通事故体験にもとづいた『めめんと・もり』や “悪ガキ” だった自らにも思いを 寄せた『放蕩息子』など、レパートリーは両手に余る。 略 歴 一般的に寄席では目の不自由な方や障がいのあるお 昭和55年4月 筑波大学第一学群自然 客様がいらっしゃる場合、その手の噺を演じない、独 学類 入学 特の文化、配慮、優しさがあるそうだ。志ん軽さんは 昭和59年3月 筑波大学第一学群自然 学類 卒業 その文化を踏まえ、 「あるある!」と共に喜んでもらえ 昭和59年4月 筑波大学大学院博士課 るバリアフリーな「共感の笑い」を目指している。 程物理学専攻 入学 平成1年3月 筑波大学大学院博士課 かつてスランプから抜け出させてくれた落語は、元 程物理学専攻 修了 (理学博士) 気を引き出す力強い芸として、今はたくさんの人に光 平成1年4月 日立製作所中央研究所 を届けている。 入所 平成24年4月 日立製作所中央研究所 これからも二足のわらじを履きこなしてください ライフサイエンス研究 ね! 記・今井 知世子(平3卒) センター長 現在、りんご農家の傍ら、弘前シードル工房 kimori の 代表を務めています。元々は、りんご農家の長男であり ながら、進みたい道をめざして上京。テレビ番組制作の 仕事をしていました。そんななか母ががんを発病。その 後母の余命が宣告されるに至り、帰郷を決意。それから まもなく母は亡くなり、結局自分が畑に出る姿を見せて やることはできませんでしたが、30 歳を目前にして就農 しました。そこで見たのが、りんご農家の高齢化と後継 者不足の深刻さ。弘前でも畑が年々減ってきています。この問題を地域課題と してとらえてもらうためにはどうしたらよいのだろう、そんな想いが kimori プロジェクトのきっかけとなりました。りんごの樹の下に集い、りんごのお酒 を楽しんでもらう。そんな「りんごのある暮らしの豊かさ」を感じてもらい、 みんなで守っていく。そのための第一歩が kimori だと考えています。いらし ていただいたお客様に、りんごの歴史や剪定をはじめとする栽培の話をすると、 大変興味をもって聞いてくれます。そのうえでシードルを飲んでいただく。こ こに住む私たちだからこそ、経験できる豊かさを感じてもらうため、魅力的な 提案を今後も続けていきたいと思います。 略 歴 このように語って頂きました。高橋さんと 平成7年 日本映画学校卒業後、制 は、弘前商工会議所青年部にて共に地域活動 作会社に勤務しテレビ番 をしています。穏やかな人柄ではありますが、 組などの制作に携わる 平成18年 帰郷、実家のりんご農家 しっかりとした信念を持ち夢・目標を現実に の後継者として就農 してきた方です。今後のさらなるご活躍を祈 平成26年 弘前シードル工房kimori 念しております。記・高木恵美子(昭 61 卒) を設立 会社を興し弘前からの化粧品を発信 三浦 和英さん(平4卒) いま話題の新美容成分「プロテオグリカン」 。弘前大学の高垣啓一教 授が、4%酢酸溶液を使うことで、鮭の鼻軟骨からプロテオグリカン を抽出する方法を発見したのが始まりという。弘前発の成分だったと は! 私は数年前その存在を和英さんから初めて聞かされた。たまたま私 の職場が和英さんの自宅の向かいだったため近所付き合いがあり、広 告の取材でコラボ弘大にある和英さんの会社におじゃましたこともあ る。そこでは弘前大の研究成果を化粧品素材に展開、中土手町の青森 県産品ショップ「ラ・ポム」でプロテオグリカンから作った化粧品など販売もしている。 和英さんは弘前大を卒業後、社会福祉法人で一時働いたが、思い直して金沢工業大虎の門 キャンパスの大学院に入った。夜間大1年間で修士課程。死ぬ思いで勉強したという。工大 なのでITやメカニズムの勉強もしたが、同時に法律(知的財産権…発明や創作によって生 み出されたものを発明者の財産として一定の期間保護する権利)とベンチャービジネスの勉 強もした。自分で会社を興す場合、これらは三位一体である。会社を興したモチベーション は、和英さんいわく「弘高に入ったから」。木造から一 略 歴 人で出てきて、ぶつかりあった同期には負けたくないと 木造町出身、旧姓 坂本 いう意地がある。 弘前大学人文学部英語学科卒 心に残る弘前大の恩師の言葉「東京やニューヨークが 社会福祉法人で働いた後、金沢工業 世界の中心じゃない、地球は丸いんだ。お前の立っている 大虎ノ門キャンパス大学院で学ぶ。 企業組合エキシヤマーケティングを そこが世界の中心だ」 。その一言があったから和英さんは 立ち上げ、現在は株式会社ラビプレ ここ弘前で会社を興し、地域発のものを発信しているの 代表取締役として活躍中。 かもしれない。 記・三浦 行(平3卒) 昭和10年 花田 潔 盛田 稔 昭和11年 菊池 武正 昭和13年 棟方 肇 昭和14年 柿崎陽三朗 昭和15年 大平 喜彦 昭和16年 竹浪 浩 昭和17年 石戸谷正司 松井 一郎 佐野 博一 昭和18年 川崎 亮一 工藤 俊夫 安田 二朗 昭和19年 時任 昭二 桜庭 陽三 柴田昭太郎 高山 良二 佐藤 亮一 藤田 三 渡辺 弘之 工藤 順三 工藤 邦男 田中 健雄 清野 利保 昭和20年 石岡 好憲 葛西 栄治 藤山 由造 久米 洋司 横山 茂樹 大西 稔 小野 徳朗 斎藤 義一 斎藤 健 中田 哲夫 山崎 俊三 一戸 孝七 黒瀧 秀昌 桜田 純造 七戸 靖 奈良岡辰夫 花田 郁男 渡辺 健三 小川 敦 黒滝 寛 小嶋 誠一 佐々木義郎 昭和21年 三浦 光義 武田弘三郎 中山 将明 山田 新一 昭和22年 小林 勇 豊田 伍郎 佐藤圭一郎 須藤 倫行 橋本 亮三 松山 良治 山内 恒男 鳴海 怜次 阿部 恒彦 金崎 昭三 東海 久雄 川崎 吉充 昭和23年 明比 道夫 玉井 定美 田中 玲 秋元十三郎 石戸谷欣一 蔭山 光顕 木庭袋隆昭 櫻庭 朔 高橋 章 中村 豊 萩野 實 福士 和衛 昭和24年 岩間純二郎 松盛 陽二 石岡 晶敬 猪股 圭二 長利 清弘 須藤 昭夫 武田 隆治 福津 辰大 昭和25年 玉田 清治 鳴海 康安 神田晃太郎 花田 喜一 原 庄三郎 蒔苗 實 阿部 泰久 五十嵐邦享 伊藤 正樹 海老名清美 尾坂 昭治 葛西 省恒 川村 昭男 工藤 正昭 佐賀 郁朗 坂本寿太郎 神 弘見 長尾栄一郎 鳴海 昭文 会津喜久造 一戸 克夫 井沼 利夫 岩谷 剛 桜庭芳太郎 佐藤 茂 清水 行正 下山一二三 田澤 安宣 千葉 護 昭和26年 今 充 葛西 昭蔵 相馬 昭典 秋田 豊 建部 高明 永井 俊衛 中嶋嘉四雄 安田 良樹 横島 茂 荒井 祐蔵 小野泰次郎 木村 光敏 坂岡 博 柴田 晋 中村 雄三 西塚 眞 松本 巌 山崎 幸夫 若松 清吾 秋元 義隆 石戸谷 武 一戸 宏 伊東 聰 小山内英造 小野 晃 葛西 恭治 葛西 英昭 金崎 敏夫 工藤 清彦 工藤善一郎 佐藤昌覚郎 村田 弘 山本 治郎 昭和27年 早良 哲夫 田澤 和郎 田辺 靖彦 石岡 満 菊池 武弘 木村 昭照 桜庭 旭 櫻庭豊三郎 武田 浩一 中村 義弘 福嶋 松郎 三上 隆雄 三橋 寛 宮川 二郎 盛 清祐 大高喜久夫 加賀谷健三 北畠 顕文 佐藤 新平 荘司 道夫 竹原 昭雄 三浦 義光 盛 義明 山内 尚道 阿蘇 哲 井澤 文廣 石堀 哲男 梅原 正年 蝦名 保雄 葛西 正 加藤 一男 工藤 良平 工藤 堅二 佐藤 君雄 外﨑 久夫 田澤 正美 三上 靖介 昭和28年 對馬 英輔 石戸八千代 佐藤 剛也 新宅 清司 須藤 惇 中西 充子 花岡 宏六 石坂 浩 長部日出雄 齋藤 春彦 三戸 一孝 有賀 達泱 須郷 健市 対馬三四年 夏坂 栄一 成田 一典 西谷 俊助 真嶋 淳 山内勇喜男 小山 秀弘 川野名 靖 木村 修三 櫻井麻古人 渡辺 厚吉 昭和29年 泉 嶺 齋藤 寛治 桂 尚文 小濱 正春 成田 惠子 森田 隆 葛西 常美 金枝 亮 工藤 とし 斎藤 政一 鈴木 漾子 對馬 誠治 西田 容三 板垣 キヨ 一戸 紀美 古川 力男 小林 陽三 佐藤 俊輔 神 忠男 相馬 慶造 成田 静雄 成田 常雄 鳴海 隆 野呂 謙 花田 瑞穂 前田 弘子 村田 範子 井汲 頴子 池田 浩三 石川 賢助 大和田一衛 加藤 順治 川村 年 櫛引 邦弘 小林 勇 小林 貞三 斎藤満智子 斎藤 周 斉藤 斉 澤田 静 嶋脇 英司 須郷 尚 田澤千代子 田澤 昌弘 田辺 昭彦 成田 正雄 花田 聡子 藤田 功 光永 道生 宮地 孝雄 宮本奈々子 山形 盛 山崎 ヤヱ 山本由紀子 昭和30年 萱野 彰 三上 尚義 黒瀧不二夫 田口 鉄治 三和 孝徳 秋元良之祐 鎌田 禮志 河津 恵一 後藤 荘平 滝本 秋男 田中 幸子 心に染み入る低音の歌声 三浦 英治さん(平6卒) 先日、弘前市の百石町展示館にて、バス歌手の三浦英 治さんのコンサートを聴く機会がありました。ピアノの 旋律とともにシューマンの作品を朗々と歌い上げる三浦 さん。聴衆の一人である私は、まるで排気量の大きい高 級乗用車に乗っているような気分になりました。ゆった りとしていながらメリハリのある歌声。今まで西欧諸国 での音楽祭やコンサートに約 250 回も出演したという経 歴のとおり余裕のある歌唱でした。三浦さんは Collegium Vocale Gent(ベルギー)、Arsys Bourgogne(フランス)など超一流の音楽団 体に所属し、フィリップ・ヘッレヴェッヘ、フランツ・ブリュッヘン、ヘルムー ト・リリングなどの指揮者と多数共演してきました。 三浦さんは歌手としての活動の他に音楽大学を志望する若手の指導もしてお り、最近も洗足学園音楽大学に 略 歴 一人合格させた実績がありま 平成10年 洗足学園音楽大学声楽科卒業 す。他にも、今年の 9 月に弘 平成13年 ケルン音楽大学声楽科入学 平成16年 ライプツィヒ国際バッハコンクール声楽部門に 前市民や子供たちを対象にし 日本代表として出演 た声楽講習会を企画しており、 平成17年 ケルン大学にてディプロマ(修士号)を最優秀 で取得。王立音楽院(オランダ)古楽声楽科に さらにはその講師ら 3 名の歌 て声楽をペーター・コーイ氏などに師事する 手でコンサートを開きます。そ 平成21年 スコーラ・カントールム・バジリエンシス(ス イス、バーゼル)より奨学金を受けAVES Program の暁には、皆さんもぜひ足を (イギリス/イタリア マドリガーレアンサン 運び、三浦さんの歌声に酔っ ブル研究)にてアンソニー・ルーリー、エヴェ リン・タブ教授に師事 てほしいものだと思います。 平成23年 弘前市内に三浦音楽事務所を設立 記・橋本 貫司(昭 52 卒) 奈良岡幸弘 西塚 雅彦 三上 忠二 秋庭 修 油川 修二 内山 善雄 小山 直美 工藤多喜二 工藤 武三 佐々木 淳 対馬 初美 安田 周平 石岡 秀治 今井 孚 大村 嗣郎 木村 忠資 小枝 昭一 斎藤 哲 坂田 宗等 高木 了司 土田 謙 中田 健造 中野 健治 鳴海 弘憲 鳴海 紀 藤田富美子 船水 静児 村山 勝弘 八木橋良範 昭和31年 千葉 光政 会津 清英 外崎 昭 藤木 義行 三上晃一郎 八木橋惇夫 八木橋栄一 太田 耕正 小田桐駿介 唐牛 襄 工藤 洋司 後藤 敬 佐々木孝司 佐藤 泰弘 丹藤 公雄 舟本 統 長利 浩三 小田切隆昌 鎌田 学而 工藤 光男 瀬尾 孝文 中野 祐輔 西谷 耕治 引間 久雄 横岡 一 北畠由良子 楠美 明子 工藤 純一 西村 政恒 昭和32年 片桐 康雄 栗林 良正 三上 惇 楠美 和文 工藤 秀久 外崎奈奈美 松山 久雄 山邊 悠一 淡谷 良子 石田トミヨ 石戸谷 弘 今井 忠利 岩崎 哲夫 岩谷 泰子 角田 秀雄 斎藤 健 佐藤 章道 竹浪 隆 原子 典文 山口 耕造 安倍 政幸 荒川 紘 一戸純三郎 小笠原愼逸 小坂 堅治 小舘真佐夫 後藤 圭吾 佐々木孝明 佐藤 光春 長尾 章二 名古屋和夫 西澤 昭悦 長谷川勝勇 三橋 正義 森田 昌好 吉川富士保 世永日出雄 秋元 善智 秋元 幹雄 阿部 恵子 阿部 東 阿保日出一 石橋 憲興 一戸惇一郎 小笠原 勲 小笠原時雄 小野 博光 木村 進 草刈 潤 小舘 玲子 斎藤 守 齋藤 彰 榊田 正史 佐藤 正 佐藤 勉 渋川 尚文 清藤 玲子 高松 隆清 田澤 郁夫 成田 眞 成田英久範 鳴海 弘明 芳賀 文彦 福士 壽一 福士誠一郎 福原 幸 藤田光三郎 船水 長昭 堀川永一郎 松山 繁夫 三上 瑛子 松浦 恭子 昭和33年 越前 武恵 木村 秀明 明比 範夫 石田 稔 田中 仁 中畑 忠弘 奈良 壽眞 伏見 静夫 三浦 昭子 横山 泰久 秋元 年勝 秋元 采子 大川 俊雄 二川原誠逸 山田 誠司 工藤 直樹 須藤 建 隆島眞喜子 野呂 陽一 花田 誠三 花田 幸三 福原 建三 船水 義三 若松 隆 大瀬 久之 工藤 栄一 工藤 一夫 小林 泰秀 酒井 重名 鈴木 敬子 則田 智寿 鳴海 諄 三浦 紀子 水木 厚美 山口 眞彦 昭和34年 小野 光貞 斎藤 紀 高谷 恒雄 福士 謙 雨森 弘行 大谷 研一 川村昇一郎 木村あさの 工藤 驍悦 工藤 眞生 小枝 兼悦 佐藤 睦子 住吉 一紀 三浦 玲子 三浦 幸雄 櫛引 章三 栗林 欣一 小中 徳雄 小森 和昭 坂本 和聰 島中 誠 田口 順子 谷村 竹生 成田 紘基 福田 忠敏 石黒 紘一 石戸谷啓子 葛西 英之 川村 貞夫 工藤 哲生 佐藤 隆雄 塩谷 駿二 田村 郁子 塚本 康喜 中村 勇一 成田 昭紀 鳴海 泰典 野宮 正行 廣瀬 博 福士 宏 安田 正英 山口 二郎 山下陸奥男 山本 正紀 吉田 彰 昭和35年 高坂 久 後藤 京子 玉田 友一 村上 泰彦 黒沼雄喜男 古川 育男 舘山 公文 藤田 和美 横山 篤 五十嵐弘子 岡部光太郎 木村 久夫 須藤 宏 千田 勝弘 西田 鐵郎 蒔苗 忠典 山本 善弘 千葉國美津 寺山 紘 中道 靜郎 二川原和男 藤澤 一夫 森岡 啓二 吉川 直彦 秋本 博 秋本 昭子 工藤 勝弘 佐藤 陽子 成田 正光 橋本八重子 肥後 和保 藤田 善徳 松尾 徹也 宮川 忠義 山形 英雄 昭和36年 木村 義孝 越前 登 佐藤 誠 赤平 法導 中村 一郎 三浦きく子 内海 俊治 小笠原 弘 川村 哲子 工藤 秀則 高木 泰宏 高橋 信進 高松 秀興 三和 公明 石川 良子 南の連載という、無謀極ま る挑戦を決意した。 賢 人 は 聖 人 の 次 に 位 す る、 ばら骨どころか滋味たっぷ 哲学が、肉の乏しい鶏のあ 還暦目前に再読し、ダモイ ど敬愛したのはなぜか。昨 紅緑ら多くの人が涙するほ れだ! 新聞『日本』で政 府や論敵を震え上がらせた をもった人」とあった。こ の 意 で は な く、 「才能と徳 ると、 「賢」は単に「賢い」 アガソ先生も「生徒の監督 夏、生徒が残ってねぷた を作る時期は、山辺先生と 口を揃え、正岡子規や佐藤 失ってはいけないもの 田伏 正義(昭 卒) しょうに。 ていくことができたことで も自らの思想をさらに深め 明確になり、スピノザ自身 引き継がれていることで のでしたし、今も変らずに 私にとって居心地のよいも 自 主 性 を 尊 重 す る 校 風 は、 も、 世紀の人とあっては 人に尋ねたいと思ってみて 足できず、いっそ直接ご本 かります。諸研究書でも満 います。読む度に壁にぶつ ノザの『倫理学』を読んで 世紀オランダの思想家スピ した。ドグマや狂信などに 生前には出版できませんで 者 の 奔 走 に も か か わ ら ず、 で読まれていただけで、著 小さなサークルで原稿の形 ました。この『倫理学』も、 と見られることを避けてい スピノザとかかわりがある 思想家たちも、少なくとも、 非難を浴びせられ、多くの こそ免れたものの、激しい スピノザです。物理的危害 身した悪魔とまで言われた 者、無神論者、さらには化 ンダにおいてでさえ、異端 ら れ、 生 徒 会 も「 自 治 会 」 では、いち早く長髪も認め ずです。以後6年間、弘高 からばかりではなかったは (停電もよくありましたが) がつけられるようになった くなり、気がねなしに電燈 襲に備えての燈火管制がな るさを感じられたのは、空 の混乱期でしたが、何か明 も満足には程遠かった戦後 一人となりました。食べ物 年、私は弘中最後の生徒の それに区切りがついた翌 言えましょう。敗戦により も似たような状態だったと 年前の日本 世紀まで遡 だ心もとない、これが今の れた時間を考えてもはなは た望みはあるものの、残さ もできることを、と欲張っ けないもののために私にで まとめながら、失ってはい これまでいろいろ学んだ り考えたりしてきたことを ます。 決して無縁ではないと思い うに思えてならないことと 足音が聞こえ始めているよ 陰に、暗く不自由な時代の は、景気、景気の大合唱の りはるかに強く感じるの の自由の大切さを今までよ それにしても、今回スピ ノザを読んで、思想・言論 しょう。 もっとも、 らずとも、約 無理な話、いや、生前でも 妨げられることなく、理性 と称するようになっていま 正直なところです。 うか」と言った当時のオラ どうだったでしょう。デカ 的な議論がなされていれ した。生徒を信頼し、その 大学在学中から数えて何 度目になるのか、性懲りも ルトが「これほど完全な自 ば、スピノザの見解はより なく飽きもせず、今また 由を楽しめる国が他にあろ ●弘高を〝ヒロタカ〟 と 呼 ぶ 輩 が い る。 校 歌にも♪おお我が に 謳 わ れ て お り、 強 〝ヒロコウ〟と明確 い 違 和 感 を 覚 え る。 また以前の同窓会総 会 で、 弘 中 を〝 ヒ ロ チュウ〟と話した司 会者がいたのにも 年。 前 卒の泉嶺先輩など 号 と な っ た。 資 金 面 か ら oooooooooooooooooooooooooooo 賢) 木村文洋監督(平成 年 卒)の長編映画第3作とな 成田 清文(昭 卒) でも上映され た。 現在編集作業中、本年完 (編集長)安田 俊夫(昭 卒) 秋元 義禮 (昭 卒) 成 を 目 指 す『 息 衝 く 』 は、 橋本 貫司 (昭 卒) 現在サポーターを募集中。 高木恵美子(昭 卒) 歳代を迎えていた… ともに上京した主人公は 大震災数年後、東京。母と (Y) してきたのではないか。 気がかりが一つ残る。ど なたかも指摘していた気が る『息衝く』の撮影が進ん 編集委員会 がまんざら無駄でもなかっ じ方は随分変わった。羯南 す る が、 「此語久相伝」と たと胸をなで下ろせた。 が限りなく友誼に厚い人と あ る か ら に は「 名 山 出 名 う。その原典がどうしても 士」は古くからの金言だろ 分からない。孫さんも書い 文 字 が、 体温を放ち始めた。岩木山 青森県六ヶ所 の下の青少年たちよ、知識 今回制作が 進んでいる 村に残った でいる。 『へばの』の ていない。たどり着くのに し、 2 0 0 8 年、 青 森 県 も、 人 情 も 磨 け よ。 あ の 六ヶ所村を舞台とする『へ 家族(父と娘) 『息衝く』は、 ばの』を自主制作で初長編 と別の道、東 さらに 年要しては往生す る。ご教示願いたい。 監督、国内外で高い評価を ことを選択し 京へ移り住む た母と息子の ギョロ目を細めて語りかけ ているように思えてきたの だ。おか げで私自 身、この 3月末で 終えた連 受けた。 2012年には第2作 『愛のゆくえ(仮)』を発表、 木村監督は京都大学在学 中より自主映画制作を開始 する印象だった 木村文洋監督 新作映画、 撮影続く 石倉守拙(つまり金庫先 て も、 い さ さ か の 役 割 を 果 た も、 同 窓 生 を 結 ぶ ツ ー ル と し 算 平 成 7 年 か ら 復 刊、 今 年 で 通 て「 会 報 」 復 刊 を 提 言 さ れ、 にある会を盛り立てる策とし 出の鈴木忠雄元会長が資金難 から引き継いでもう 集長を昭 ●光陰矢の如し。 「会報」の編 幸い〟であった。 あ っ た の は〝 ふ コ ウ チ ュ ウ の 途中でその司会者から訂正が ウ チ ュ ウ 校 歌 で あ る は ず だ。 ウ と し か 言 わ な か っ た し、 コ 同 期 だ っ た 父 親 は、 コ ウ チ ュ び っ く り。 鈴 木 忠 雄 元 会 長 と 山辺先生に僕は国語の甲 を習った。小柄だけど、迫 だ」 と言って残って、 ぐるっ 力 の あ る 先 生 で し た な ぁ。 と各学年をひとまわりする 70 17 羯 南 の ぬ くもり クラを生徒に持った先生こ と孫さんは教えている。不 最初の手探りに開いた 卒) 『鶏肋抄』が天啓となった。 そいい災難だが、どうにか 思議に思い辞書を繰ってみ 東奥日報・編集委員室長 松田 修一(昭 年、 りであることを解せる程度 年元日に開始した連載の題 卒業証書を頂戴して 響を与えた人物は羯南だと 閑 話 休 題。 平 成 年 か 肋〟の意味さえ忘れていた。 くがかつなん 陸羯南のことなら小田桐孫 ら『笹森儀助 風霜録』を 書いた際、儀助に最大の影 恥 を 忍 ん で 告 白 す れ ば、 おととし読み返すまで〝鶏 知った。けれど、羯南の著 には成長したらしい。 なぁとおぼろげに思い起こ 作が膨大で難解なこともあ を「道理と真情の人 陸羯 羯南を、高徳の人だと皆が し、書棚の『鶏肋抄』の埃 南」にした。 一先生が何か書いていた を払った時のことだ。 り、理解が薄いまま脱稿し 昭和 年 月発行だから 孫さんが校長を退いて半年 後の本。その頃一度読んだ はずが、内容の記憶は見事 に失せていた。こんなボン 名山出名士 此語久相伝 た。すこぶる心残りだった。 試問巌城下 誰人天下賢 羯 南 は 小 社 と も 縁 が 深 い。 書くことで何かを掴めるか ( 名 山 名 士 を 出 だ す 此 の 語久しく相伝う 試みに問 もしれない。そう思い、羯 山辺先生は二日酔いのま まで授業に来て、酒臭い息 oooooooooooooooooooo う巌城の下 誰人か天下の 名物恩師列伝⑥ の 方 を ジ ロ リ と 見 て「 渋、 当時の弘高の先生方は皆酒 と、あとは礼法室に陣取っ 知って、後進を冷徹に叱咤 山辺貞一郎 先生 で、ストーブの脇の椅子に、 生)の筆で弘高生にはおな 渋谷 龍一(昭 卒) どかっとあぐらをかき、僕 じみのこの漢詩も、私の感 水!」 と 言 う。 「 ハ イ ッ」 とコップになみなみと水を 差し出すと、それを先生は さもうまそうに干すんであ 好きだったみたいだが、生 て、毎晩おそくまで二人で 載(近々 単行本化 物語。東日本 八木橋靖子(昭 卒) 今井知世子(平3卒) 三浦 行(平3卒) (渉外部)福井 次郎 (昭 卒) 印刷 ㈲小野印刷所 「コクコク、フゥーッ」と、 徒 の 僕 の 知 っ て る 限 り は、 飲んでいました。おおらか この作品は東京国際映画祭 30 『息衝く』公式HP http://ikiduku.jimdo.com/ 03-6765-0331 ikiduku@gmail.com 20 羯南自筆の漢詩「名山出名士…」= 養生会松陰室(元長町) 61 61 52 43 41 49 〒036-8558 弘前市新寺町1の1 TEL 0172-32-0251(代) TEL 0172-32-8545(FAX共) (渉外部直通) ります。 山辺、鈴木アガソ、小田桐 で、あたたかく、なつかし の予定) 青森県立弘前高等学校 「鏡ヶ丘同窓会報」 編集委員会 32 孫さん、中館タロさんなど き、よき時代でしたなぁ。 14 29 17 49 40 16 などは特に酒豪だったよう 49 10 27 住所変更などは、事務局までご連絡下さい。 (電話・ファックス0172― ―8545) 編集と発行 10 47 に思う。 27 17 40 35 平成27年5月20日 第27号 (8) 鏡ヶ丘同窓会報
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