桃美涼明 今回は序の部分であるが、冒頭の二某、定玉一誓本倫明部分は省略した。本文内容と余り関係がないためである。 子来子香雅 が多いが、それもそのままにした。ただ、﹁して﹂﹁こと﹂の省略文字は仮名に直した。 なお、仮名諜、繰り返し記号はそのままにしているし、漢字も条通りとして統一していない。李瀚も李溝に作くる場合 考にはしたが、必ずしも そ れ に は 従 っ て い な い 。 ーき下し文を補った。ひとえに陵やすさのためである。国立国会県白館所蔭見永十五年版察求抄﹄の句読、濁点等も参 るという作業を行ったもので、底本の改行には従っていないし、カタカナをひらがなに直し、句鮓ゞ翌を施し、漢文部分 また、通常の翻刻とは異なり、どのように読むかを中、心に、引用されている鸞精は参照したであろう原本に当たって硫認す 日 -23- 宮内庁書陵部所蔵古活字版﹃蒙求抄﹄酬並びに注(こ はじめに 谷西斐内出 本稿は、宮内庁書器蔵古活字版﹃蒙求抄﹄を、清文堂﹃抄物資料集成﹄所収のものをもとに翻刻したものである。 山小甲木塩 底本の翻刻は、住谷芳幸氏が﹁忠{夫に電子化することを目的としたものでは﹂ないとされながらも、その電子データを公開 (注]) されているので、そちらも参器いたい。なお、住谷氏女開されている、米沢市立鼎館蔵宕家求抄﹄も参考した。本四 ﹁米沢本﹂として引用しているのはそれである。 その他、参照したものを挙げておくと、 国立国会図書館所蔵﹃蒙求聴塵﹄(﹃聴塵﹄) 京都大寺属鼎館所蔵、清家文庫﹃隔知汪条﹄清原業取黒聿、宣賢女入れ令京大本﹄) 漢文を書き下しにしたもの。 文字を補った部分。この部分は国会図書館本を参照した。 -24- 一欝糎、四部叢刊、四庫全書、十三経注疏、一靴県貝中華凹局版二十四史に所収のものを主として用いた。 、、""^ なお、参老のために、 そ れ ぞ れ の 序 を 挙 げ て お い た 。 二づ=、、^ 欠口芳ナ¥氏ハム開データの異一は浮E\\乏乏美鴎0ル当.N凸.も\工器ミm仁ヨ冒\=Nクず今.Ξ﹁ヨ。 ︹︺文字の誤りを訂正したもの。 []江を補った部分。 <>割り注、及び小字にて記されたもの。 本稿で用いた記号は次の通りである。 1 1王 蒙求序 周易第一三H <圦下艮上>蒙亨。匿我求童弐々々求我。突永は亨る。我烹永に求むるに匪ず、烹家我に求むるなり︼ 初笈告、再驫唄︹漉の誤り︺、々則不告、利貞。象日、蒙山下有儉。々而止、蒙。々亨、卦ル打、得時中。匪我求婁永、々々 求我、憲也。︻初め笈して告ぐ、再三するときは液れぬ。漉[る]れぱ則ち告げず。貞に利あり。象に日く、蒙は山下に険 有り。険にして止まるは、蒙なり。蒙は亨るとは、亨を以て行くときは、時の中を得。我・一恐永に求むるに眺ず、烹家我に求む るとは 、 志 し 應 ず る な り 。 ︼ ヒ [の]序[は]古注の序ぞ。補注に載[し]金ではないぞ。去︹れ]ども後人に知せう用で、のせたぞ。子光が序が、 本の序ぞ 。 蒙求とは易の蒙の卦ぞ。圦下艮上の卦ぞ。共︹の]易の卦ぞ。中に象詞日、山下出泉︻象の詞に日く、山下に出泉ある︼は 蒙なりと云[ふ]ぞ。處で、うしとらの艮は山にとるぞ。止,[まる]也[とY汪をして、止[ま]る心ぞ。圦は水で、穴で儉 ; ニー寸 、 四設のわらべの竺か]なものが、うかとして居た時が条々として、謙なが如[く] 阻な心ぞ。山下にある水か進[み]て行[かん]とするは、山があつて進︹み]もせられぬ、又あとへも退ぞかれぬぞ。険阻 (注}) なほどにぞ。人事の上で申[す] なぞ。是が聖人の本意ぞ。流[れ]て行[かん]と思ふが水ぞ。小人の物を知[ら]ぬ︽が︾、物を知[りた︺いてと思[ふ] が、求の心ぞ。象[に]日[く]、我烹家に求[むる]にあらず、烹家我に求[むる]ぞ。くらい方から師匠の方ヘ求[む] るぞ。蒙昧が明[か]なに求[むる]心ぞ。求[む]れば明[か]にならいではかなわぬぞ。山下の水の、いにたがるやうに、 師を尋[ね]て物を問[い]たいと思[ふ]が求ぞ。我は、師家を我と指[す]ぞ。師をば陽交に取[り]、陰Xを蒙にとる -25 - (注3) ぞ。蒙は明の始[め]と、かう習[ふ]ぞ。さう至極しては、明は蒙の始[め]と、かう云[ふ]ぞ。すぐれた明には、蒙々 として居[る]程にぞ。壁に]云[ふ]、但話に、勧學院の雀は蒙求を噂[る﹂と云は、李蹴っかう小女の名を雀と云[ふ] (注4) (注5) 者ぞ。其[れ]まで此[の]蒙求を噂[る]ぞ。しきの雀では無[い]ぞ。未審出處、可考︻未だ出處を審らかにせず、考ふ ﹁墜﹂以下の雰は、﹃豊﹄にも﹁艮をは山にとる。又艮は止心也。圦は水にとる。又圦は隣なる心也。山下に出る水か、行かんとす れは、山ありて推止められてゆかれす。退かんとすれは、儉難にして退かれす。進もせられす、退もせられすして、ゐた轟か蒙也。﹂ とあるが、この説明は、何に基づいて述ベたものであるか、ど四証釈にょるものかか、迭¥受{谷史のーでは闇題となる。峡加、艮・圦の 卦辞、説卦伝、およ父永卦の象伝を組み合わせれば説明できることであるが、それよりは﹃周易﹄注のどれかに拠っていると見る方が自 然であろう。﹃周易抄﹄は゛研本に拠って竺ているか、ここで見るようにWつたものではない。最も近いと思われるのは﹃輕伝﹄ の﹁艮爲山、爲止。圦爲水、爲険。山下有儉、遇険而止、莫知所之﹂である。 九二の陽交を肺(我)に、六五の陰交を烹永に当てる。 この部分、特に﹁明は蒙の始﹂は、彌塵﹄に﹁至り至ては、閥は蒙の始也。玉の上は'趣て蒙々た金あり﹂とあり、それに基づく ものであろうが、この考え方は﹃周易﹄の中には画接は出てこない。おそらくは講者とされる沽馨阪只の考えであろう。ただ、版本宗家 求抄﹄はその講義を聴いた林宗二の記録したものとされており、﹁と習そ﹂や﹁とかう云そ﹂との表現は聴者の立場に立つものと一言えよう。 融十院の雀のことは、﹃聴塵﹄の﹁世話に、勸學院の雀は蒙求をさへつるといへるは、李翰か仕たる小女の名を雀と云。此者まても一条 ををほえてょみし事を云也﹂を踏まえているが、ここで﹁しきの雀ては無そ﹂と書き入れ、さらに﹁未'需處、可考﹂と疑問を呈してい るのは、やはり耽者の立場に立って、誥者倫に異を唱えていると一言えよう。 -26- 可し︼。序の事[は]暑之︻之を暑す︼、いつものことぞ。 1 2 3 4 イ王 5 この部分不明。あるいは﹁序﹂と言う一Nついて倫明を略すとい、?慈眛であろうか。 李華序 安平李瀚、煮永求一範列古人言行美惡'つ乏聲律以授幼童、隨而釋之。比其終始、別契百家之要、十乍"四五矣。推 而引之、源而流之、易於調訥、形於章句。不出巻知天下、其蒙求哉。周易有烹永求我之義。李公子以其文碑、不敢輕傳達識者、 所務訓蒙而已。故以蒙求爲名、聟舌。亦毎行一術句人名、外傳中有別亊可記者、亦此附叙之。難不配上文、所資廣博。従切 韻東字起、一顎四字、凡 五 百 九 十 六 句 云 爾 。 之。問、今日誰可及。穎士日、君加精思、便輩、矣。華惜然而服︻李華、字は週叔。含元殿の賦を作り、成りて以需穎士に ゞ日く、^旦墨備の上、靈北1の下L一と。華は文辧緜麗にして、バ、ノ宏偶t女︹あり。長頁^ば侶,爽にして自ら肆す、行Ⅱして玉 は自ら之に過ぐと疑ふ。他日、戰塲を弔ふの文を作るに、極思して方に成るや、汗して故紙と爲し、蕭士に與ヘて之を誠まし む。問ふ、﹁今日誰か及ぶ可き﹂と。穎士日く、﹁君懲を加ヘぱ、便ち能く至らん﹂と。華陽然として服中︼。かみを古る はかいて見せたぞ。是ほど罷釜二か]ふぞと云[ひ]たれば、それのぎたらぱ、是ほ益国かうぞと云たぞ。釜第十一 希膿、何平軽之、条莞膿、王逸子玉壽、字文女之︻希殿の賦は、何殺之を造る、魯呈護の賦は、王逸 、 -27ー 二 [する]ぞ。排句[に]、李華、憲叔。作含元殿賦、成塁需穎士。々日、景福之︽上︾'羌之下。華文解 (庄1︺ 李華索凹文墾傳に載[る]ぞ。蕭穎士と名を齊[しう]す。蕭李と云︹は]れた名ぞ。含元殿[の]賦[は]名堂C。 唐の文粋一 に 起爽少宏傑氣。穎士健爽自肆、而華旦箔之。他日作吊戰塲文、極思、方成、汗︹汗の誤り、汚に同じ︺爲故紙、與蕭士讃 '^^. (注3︺ の子王延壽、字は文考、之を造る︼。六子華は去[る]者ぞ。此[の]序もよう書いたぞ。名序であるぞ。蒙求は、いろはほど の初學ぢやほどに、長く文章を書[い]ては似合[ふ]まいが、短うさつと一すぢに竺い]たが好ぞ、妙ぞ。李江互[の] (注←︺ 武帝の時の李湃と云[ふ]は、大なる壁り]也。唐の玄宗の時の者也。李華と同時の者ぞ。されどもさせる者とはみへぬぞ。 李と琥す︼とある。また、 ﹃排韻﹄は﹃排一揺旦仏司1類氏族大全﹄、その繰﹂十、,.一に見える。﹁文煕綣李華、字退叔。作含亢殿岫、成以示加頴士。上日、"、、補之上、 賦を か い た る も の 也 ﹂ と あ る 。 ﹃體一には﹁李華は玄宗の時、開元天寶小の人也。蕭穎士と名をでて、藥子と云はれたる者也。唐文梓一 に含元殿の鰄あり。急"の ﹃新唐書﹄巻二0二﹁文藝上﹂の蕭穎士伝に﹁獨語<齊名、Ⅲ琥藥区︻獨1のみき名を齊しくし、世 往々に傳なし。困學紀聞の八にのつたぞ。、れも蒙求の事を載︹す]ぞ。句をふんで好[ふ]したと云[ふ]たぞ。 1 2 柄i山^カ、打艾、ー]二一﹄力古女糸氏典長百寸一詔,ソ^。Ⅱ口今、日訓而丁 及。頴士旧、君加精思、便能至矣。華陽然而服。三堂肌﹂ 京大木には、先の﹃排韻﹄経けて、同文を記している。 7詮下﹂の李華伝とは、少しく ﹃聴塵﹄には、前段の後に﹁太玉、字週叔。﹂と記されるだけで、その他の灸刀が見えないか、京大木ではー!1名を挙げないものの、これ と同じ文為されている。写本の段階で、この部分を省略したものと考えられる。﹃新璽旦巻二0三 3 王応麟﹃困学、紀朋﹄巻八小き﹁李池永求以平聲與上去入相問﹂とある。 字句が異なる。 4 -28- Ξ < 1主]) 安平1三段。自始至釋之、一段、自比杜尋内而、一段、不出以下、一段也︻始めより﹁釋之﹂に至る、一段、﹁比其﹂よ り﹁章句﹂に至る、一段、﹁不出﹂以下、一段なり^。或[る]義には比杜ハの段、不分^分たざる^ぞ。言[ふこころ]は上中 下きしたれども、すべて是を一篇と云ぞ。上を四字に竺き]て、又1に沓[き︺て、四字五字で一篇の大意を云[ふ] ︹二字衍か︺古人の二行の善[き]ことをも、.惡[しき]ことを U詐Jをふむは、^日tEにかなわせ.う用に、句をふむぞ。幼童にさ、づけて、そらにをぽ、\させ.う用にしたぞ。勸善圭糞^お ぞ。又七字かいて、四字の句をーご句かいたぞ。列古1古1 。 力也。善[き]ことをも叉しき]をも、手本にせうすると云[ふ]ことぞ。聲律と云は、二が四句づ>高を踏[む]と 云[ふ]心ぞ。以幼1能者の爲には用に立[た]ぬぞ。幼童にしらしめん爲也。離1王戎1としたぱかりでは知れぬほどに、 注を二行にしたと云[ふ]ことぞ。 比其1 一段ぞ。比は鄭康日、比猶校^鄭康1Ξ1く、比は猶ほ校のことしとしたほどに、かんがゆるにぞ。一義にならぶるに とよむぞ。其[の]時は文獻通老に、兩々相比、爲1之比姦︻兩兩相比して'一聖爲すの比の字か︼。是は惡さうなぞ。 經史の小で下要をのせたぞ。史は史漢經は十=經ぞ。百家は末々の家々の書などを、書[き︺のせたぞ。一々には不載^載 せず︼。十が四五をとりてのするぞ。十と濁[る]ぞ。本の俗劣やうにはないほどに、知[り]よいやうにょまうぞ。推1 四字の句、四句對に霄[い]たぞ。'ーには何とある、洗口にはなにとあると、ひつきつて推[し]て注に載[する]也。 X流傳︹談會は惇に作る︺也、﹃談會は尤の韻、 源而1其[の]人の本元を尋[ぬる]ぞ。又暴に、源と末流とを尋︹ね]て傳[ヘ]しぞ。流は禦H、尤勺、説文水行也<云 云>。又求也。詩左右流之<云.工>。流字無傳之義、注若何流傳之義歎。油會云、 (注1) <兆・ご 説文に水の行なりと<云云>。又求なり。詩に左右之を流む^云云\ノと。流の字、傳の義無し、注若何ぞ流傳の義か。韻會に 云ふ、又流傳なり︼。或︹ひと]云ふ、八字は易の語ぢやと云︹ふ]が、まだ不見︻見ざる︼ぞ。 - 29- 易於1又そらにをぼえやすいぞ。しかも四字四句で道理を尋[ぬ]れぱ、やがて章句にあらはる>やうにしたぞ。訓、増的、 託音凹楓。説文には訥也。徐按諸經往背文日調、所傳之業、熟復不已也。章句、大典臣積句爲章、積章爲篇、積篇爲巻 積操﹂爲部也戸﹃増一韻、音に託するを楓と日ふ。説文には訥なり。徐按ずるに諸経の注、文を背にするを訓と日ふ。傳ふる所の業、 (注b︺ 熟して復た已まざるなり。章句、軍の注に、句を積み下草を爲し、章を積みて篇を爲し、篇を積みて巻を爲し、巻を叉て 会支早句会マ不出会土>求哉﹂と記すように﹁周易有﹂のW らべる﹂説を否定する。 ^買好i老.、 ﹁薹条哉﹂までである。屑邑以1は、後に出てくるように ^^メ七チ戈﹂^季更、 ﹃聴塵﹄に﹁源をたづね、末の流をもとむ﹂とし、米沢本も﹁源と末流とを尋て傳之^之を停小る^ぞ﹂とする。一方京大本は﹁たづね﹂ 名基臼。一喪教那玉工。﹂とある。 i何凾十Ⅱ←ヒj念炉可重玉叩。"又劣t封・ 米沢木察求抄﹄は﹁對してをく也。始末をならべて柱するぞ﹂と、﹁比﹂を並ベるの愆にとっている。ただ﹁是は悪さうなぞ﹂と﹁な 、つべ;き力、。 鄭康捻玄、字は康成。後漢の鷲子者。一瓢などに注をつける。﹁比猶校﹂は可和﹄赤一県伯の大行その他Rに見える。成の字を袖 序の木文ではないとする。 上1ーノ 分段について、﹁不出以下﹂を一段としているが、その鷲りは﹃體﹄や京大頭"栞に呈永求序届、△Υ系会土>祥之△マ 部を爲なす︼。 :. 、、ー 1 2 3 4 ﹁もとむ﹂と読みを振っている。ここ倫は京大本と同意で、他の三轡を否定する。﹃繋旦は﹃古含W郎直で、そ容九に見える。写説 文﹄は漢の許楞﹃説文解字﹄。詩は国風周南関雌。 -30- 5 男゛﹄は毛晃の﹃増修1礼乱謂﹄。その巻四に見える。徐は徐錯、その﹃説文解璽侍﹄ 米沢木にも﹁推1源1を易の語と云︹ふ]は非[なる]乎、易にはないげなぞ﹂とある。易の文とするのが誰かは不明。 立一^因{子而ι仁句、于!1句ⅡⅡ成寺七利︹・一,十mi成篇L一とある。 1に﹁捌而也、曾風磐。臣濳按洛陛 6 注、背文日誤。付,歪﹂とある。 气明。一戸y二、^馴t町だ上告^句には一﹁ヅこ人ツ 四 不出1Ξ段ぞ。此[の]三巻を不出︻出でず︼して天下の事を知[る]ぞ。此[の]齊にて天下のことを知[る]と去[ふ] までは、事過︹ぎ]たぞ。易などには似合[ふ]たぞ。去[る︺ほどに蒙求哉烹系なるかな︼と、哉の字を、いて、*系で あろうかと、云[ふ︺が筆力があるぞ。蒙求也^蒙求なり^とかいたらぱ、悪からうぞ。不出巻1老子經日、不出戸、知天 下︻老子誓日く、戸を出でずして、天ドを知る︼とある字ぞ。七字四字、不出巻字'茶一篇字、知天下字、列古人言行 1照︻七字四字、巻を出でずしての︹子は、蒙求、一篇の字を結び、天下を知るの字は、古人の言行美惡を (辻3) 列ぬるの句、其れ蒙求なるかなの字は、回照す︼。刷易日1何とも、え、心得ぬことぞ。注であると云[ふ︺義あり。又文を?、 けて、此[の]序の内に、祥た、是も誤︹り]也。又第一番に、この周易に云︹ふ]と、云を載[せ]た本あり。一義に此 N蒙求、陳氏税亦畑此。箭、 。^醐語疏、子乃男子通稱。凡有徳者、牛吊何稱子^此の序は李瀚自ら製す、則ち李子は 序李溝自製則李子謙不稱眠。靴然下文有徐中有別亊可者壽、似云補注。文獻通老く 此序他人所製也。稱公子者、自他人稱ウ 謙して詠を稱せざるか。然りと難ども、下文に外傳の中に別事の記す可き者有らばの語有るは、補注を云ふに似たり。文獻通 老く補"条求の、陳氏の説も亦此くの如し。然らぱ則ち此の﹂序は他人の製する所なり。公子と稱するは、他人より之を稱す。 論需に、子は乃ち男子の器、と。凡そ徳有る名、皆子と稱するを得︼。 -3]ー 周易凹1零子、別本無草。或作麥。自周易至爾云、爲茶本序、其語鰄。此序中零以其文砕、不敢誰︹冴野︺ 傳達識者。誠知六誹序者、可早公、如何尋、別唯人作之爲本序者、第一可然歎。下求或無。︻李公子、別枩の字無し。或 は李公に作る。周易より爾云に至るまで、蒙求の本序と爲す、其の義野るか。此の序の中、李公其の文の碑なるを以て、敢 (ヰ3) 1専1、淳一十俊日、 一心しく達識者に傳ヘず、と。誠に知る、李瀚の序は、李公と言ふ可けんや、如何ぞ父ん、別に唯人の之を作りて本序と爲 すは、第一然る可きか。下求むるも或は無し︼ 魏志、高^貝叛f^ム、甘露元年、帝^古星貝捌ι\<)幸プく駒弌問i音儒日、愛連山商有罰所女、周日周易何也 包一奇燧白平倫、而制八卦、神山籍爲六十四、黄謹盃舛通燕气三代隨時ご賀文各竪ハ事。故戸各弓也。名日連山、似山出 内気、連天地也。齢藏者、萬事莫不歸藏於中。誠易畢、復命講尚轡禮記ノ、云云>^周易は、魏志に、高貴捌公、甘露元年に、 f^、ご.プく学:にき曾きし、而者儒1に問ひて日く、.祈久には連山、商には歸尻髄有り、周には周易と日ふは冷寸ぞや、と陣寸二淳 于俊日く、包¥鷲皇の圖に因りて、八卦を制し、杣農竺て六寸四と爲し、黄帝妾讐の締欠に通ず。三代時に隨ひて質文あり、 <住6︺ 各ミ其の事に緜る。故に易と蕪欠易なり。名づけて連山と日ふは、山の内気を出だし、天地に述なるに似たり。戸織とは、萬 事中に中織せざる莫し、と。易を誠じ畢り、復た尚吉叫ルを講ぜしむ<云デごと︼。周易正義日、然重卦之人、諸儒不同。 凡有四説。王輔嗣等、以爲伏義重卦。鄭玄之徒、以希農重卦。孫底以爲夏禹重割、史診、以爲文王重圭︻周易正義に日く、 ( 1主7) (辻8) 然して重卦の人、諸儒同じからず。凡そ四野り。王輔嗣らは、以て伏義卦を重ぬと爲し。型厶稔は、以て袖農圭を重ぬと 爲し、孫盛は以て夏禹卦を重ぬと爲し、史遷らは、以て文王卦を重ぬと爲す︼。 周易云1童と清ぞ、轡ではよまぬぞ。明[か]になりたいと求[むる]ぞ。会一子は李華がことぞ。唐の代は李氏ぢやほど r﹁るL]ほどにそ、。 r﹁る﹂"ほ 干要は只童に教[ふ]るぞ。因之︻之に因りて︼名付[け]た 1文:砕砕で^国の中をぬき叫又たほどに、いろはの様なそ、。ヨミ に、御一族ぢやほどに、挙飢して公子と云[ふ]ぞ。此[の]券時は、柿注の序か、補牙序かなぞてあるべきぞ。唐の代 んだで候ぞ。弓妥の^日力ゞ有 どに、物知[り]の用にはせぬぞ。去れども、づんと孫1 -32- ぞ。題すとは、題は額で、ひたいぞ。ちやつと見ゆるぞ。毎行1是はきこへたぞ。二人の名があるぞ。外傳1別事としを清 上の ぞ。俗書の習ぞ。古注の外に、補注には別の宜[き]ことを補い入[れ]たぞ。靴不1博もすむそ。古注のやうに配分して、 よく對してはせねども、博をのせて上の文にあわねども、學文の助になるやうにしたぞ。切的とは別の事をものせたぞ0 文とは、王戎簡と云、簡1の字にぞ、王戎には付はつかぬぞ。切勿とは東文字の中でかへすを、切勺と云ぞ。一義に字をわけ (注川) て反すを云[ふ]ぞ。藏怪の中に黙字き条切としたぞ。音はちやの音ぞ。さの音も有ベきぞ。是は悪[い]ぞ。さうすれぱ 必しも合ぬほどにぞ。起毎1東文字から起[こし]て、ことごとくあるほどに云ぞ。五百八十人ぞ。蒙求と云ヘば、初心なれ ﹃聴塵﹄には裂求也など、か、ずして、蒙求哉とかけるが、筆力なるべし﹂と記す。 一老子﹄第四十七章。 京大本では、改行の後﹁周易日有烹尓求我之義﹂と﹁日﹂が有る。 ﹃文艦考﹄は以下の通り。﹁補注茶八巻陳氏日、徐子張。以李鞠永求句爲之注。本句之外、兼及共他企。﹂璽叩正義﹄には﹁子 -33- ども、史漢と云ヘば、ことない重寶ぢやぞ。 1 2 3 4 次 にはいられない。第三者の序とするのが妥当であろう。といって李華とも考えにくい。﹁#条哉﹂は結尾表現と見るのがよく、李華の ではあるが、自ら子と称することは無い。あくまで他人が呼ぶものである。従って、これを李瀚の自序とすることにはためらいを感じず 節にもあるとおり、﹁李公子﹂﹁李公﹂と自称することは不自然であり、先の三本は﹁李子﹂と記し、自称とする。維かに子は男子の通称 どはヌ家求本序'系李瀚撰并注﹂と記しており、李瀚の自序とするのが妥当とされているようであるが、その場合でも問樫残る0 周易以下の剖分につぃては、小槻家哩街立故{昆物院蔵古抄本、それを臨模した書陵部蔵本、ならびに東洋文庫蔵云教家筆票題本な 者男子之器﹂﹁子者 男 子 有 竺 器 也 ﹂ ( 儒 ) と 見 え る 。 1王 5 6 7 序はここまでであるとする説は有力であろう。 また、﹃聴塵﹄や本書はこの部分を、後に見るように﹁袖注の序か、袖注の序かなぞ﹂つてあるとする。 京大本に見える。ただ、次のような違いがある。﹁或作李公﹂無し。﹁不敢輕傳一議者﹂の﹁輕傳﹂二字無し。﹁可言李公﹂は最扣に﹁哉﹂ がある。﹁如何尋﹂は﹁如何1﹂に作る。なお﹁.爾云﹂は宣祭元としたものにょる。この序の最期の注を参照。 京大本に見えるのに同じ。ただ、﹁夏有連山﹂に作る。﹃Ξ国志﹄巻四﹁高貴捌公伝﹂には更に前後がある。この一段は古活字オの作成畔 に、付け加えられたものか。 ﹃周易正義﹄序、第需重卦之人にある。京大本にも引用されている。'嗣は王弼。魏の学者、輔嗣は字。﹃正義﹄の注は彼のものであ 李華は李瀚の誤りであろう。﹃聴塵﹄には﹁交一子は李W﹂とある。 -34- る。孫盛は晋の孫盛、字は安国のことか。史穫司馬遷を指す。 8 先にも触れたように、官匝貝系の弐条抄は、周易以下を補注の序と考えている。一聴塵﹄では、、﹁此袖注には古汪の夕に夕傳のⅡヘ弓載て、 八十人としたのは、一句で二人を言ったもの、例えば﹁陳雷襟﹂や﹁岳溢壁﹂、一人に人物か数回出てくる、例えば曹槌は二回、諸 一砥求であるが、十号条系と同じく、その最期は﹁凡五百九十八人爾云﹂となっているものが、それに従ったのであろう。それを五百 現行の袖条求は﹁従切韻東字起毎韻四字、凡五百九十六句云爾﹂に作る。ところがここで、﹁五百八十人ぞと﹂と言う。京火本は袖 で﹁以平盆上去入相冏﹂というのもそれを指している。 し、初めの八句は清通、非熊、易束、公忠と東文字で代表される誠を踏んでいる。更に平誤と灰韻とで交互に舘を踏んでおり、四子紀開﹄ この部分、切韻をいわゆる反切翌味で説明しているようである。可観﹄は陪の陸法言がまとめたN臼で、琴永求﹄は八句四韻を一觧と を云もの也。﹂と記している。 可記者、亦此附敍と云。此文の體は、補注の方を云と見たり。袖注には別事を多くしるす。古注にはしるさゞるほどに、これは補注の耶 宜き事あるをぱ、加て注する也。別事をしるし加て、古注を補入ほどに、補注と云也。此易日以下、何人四任とも知らず。外傭中有別乎 9 W Ⅱ 背呉と陶淵明はそれぞれ三回、それらを数えなおして、概数をいったのであろう。 薦蒙求表 注下轉司敷 臣良言、臣鼎官擇賢、其來有素。抗表薦士、M釜1。爰由宗周逮焚淡、競徴釜<、咸重儒術。翁見臣境内寄主客、前 信州司馬会ノ軍李瀚、叢一淹通、理識精究、撰古人状跡、編成音競マ野類亊、無非血韓貝。名日蒙求。約三千言0 演、向萬餘事。瀚家旧ル童三數歳者、皆善調訥、談古策事、無減鴻儒、不烹醸知、、謂疑杣遇。祠封員外郎李華、唐弌文宗、名 望夙著。典作序云、不出巻而知天下、豈基条哉。一断王子淵、刊澗篤賦、漢帝畳ハ文、令宮人訥習。近代周興嗣、撰千字文、 亦頒行天下。豈若蒙求哉。錯"籍史、隨便訓釋、童子則固多弘益、老成亦認見起予。臣屬添宗枝、職備藩粁、毎廣聽遠見、採 一 或杢工、 異訪奇、未嘗遺一才。蔽片善、有可頸録。不敢不具状聞奏。基下察臣丹誠、廣達四聰之美令瀚高ア開釜口之門。伏願凹1 五 職、微一砺誠。臣良誠惇墜心、頓首聾西。天寶五年、八月一日、饒川刺史李良上表。 鷹永求表 薦、胤、纏人一条之事、匡、未食未飲日薦、既食既飲日荒。穀.災年<注>、無牲而祭日薦、々而加牲日祭0 薦進也、献也、陳也、草也︻薦は、周禮、鰹人の薦着の事の注に、未だ食はず未だ飲まさるを薦と日ひ、既に食ひ既に飲むを (注1) 差と日ふ、と。鄭業八年往に、牲無くして祭るを薦と日ひ、薦して牲を加ふるを祭と日ふ、と。或本に云ふ、薦は進なり、獻 なり、陳なり、草なり、と︼。表は儲と注して、其[の]冴心は、あらはすぞ。木の梢のぬけでた體ぞ。物のずぬけてみ ゆる處を云︹ふ]ぞ。下から物をかい遍るを云[ふ]ぞ。文選三十七、善日、表者、明也、標也。如物之標表也0一一足著 -35- 事序、使之明白、以曉主上、得盡此<忠、日表。三王已前、謂之敷奏。故尚書云、敷奏以言、是也。金舛典第二>至秦并天下、 改爲表0 總有四口叩。一日章謝恩日章。二日表、陣事日表。三日奏、劾驗政事日奏。四日駁、惟覆平論有異事進之日駁六國 及秦漢、兼謂之上書、行此五事。至漢魏已來、都日表。進之天子稱表、進諸侯稱上疏。魏已前、天子亦得上疏︻文選三十七に、 善日く、表とは明なり、標なり。物の標表の如きなり。言ふこころは事序を標著して、之を明白ならしめ、以て主上に陣かに して、其の忠を盡くするを得を、表と日ふ。Ξ王已前、之を敷奏と謂ふ。故に尚書に云ふ、敷奏して以て言ふと、是れなり。 秦の天下を并するに至りて、改めて表と爲す。總て四品有り。一に日く章、恩を謝するを章と日ふ。二に日く表、事を陣ぶる を表と日ふ。三に日く奏政事を劾驗するを奏と日ふ。四に日く駁、平論を惟覆し、異事有れば之を進むるを駁と日ふ六國 及び秦誓、兼ねて之を上書と謂ひ、此の五事行はる。漢魏に至りてょり已來、都て表と日ふ。之を天子に進むるを表と稱し、 諸侯に進むるを上疏と稱す。魏已前は、天子も亦上疏を得^。 臣良1五段ぞ。又小段あり。臣聞<大段>、爰自<小段>、翁見<大段>、瀚家<小段>、司封<大段>、漢朝<小段>、錯 竺小段分[かた]るもあり、不分穴刀かたざる︼も有[る]ぞ>、臣,大段>、陛下<大段>、伏願<小段>。臣聞1二[つ] の臣の字、文の一體也。先づ惣論ぞ。是も古注の表ぞ。李禦こしらへてをいて、子どもなどに教ふ用にしたぞ。李良が天子 ヘ奉る表ぞ。臣聞と云は、私がうけたまはり候はと、李良が申[す]ぞ。何と云[ふ]官には誰を置[く]ぞと、賢人を撰[ら む︺ことは、昔から有[る]ことぞ。兵の方を心得た者には、兵部の官をさづけ、禮を知る者を縛部にをく也。有素︻素有 り︼は、それはもとより由緒あること也。抗表1夷中に器用な者があれども、天子はどこに器用な者かあると云ことを御存 知ないぞ、ほどに、それをこなたから表をたてまつて申し上るぞ。文選三有孔文擧篇︹禰の誤り︺衡表︻文竺に、孔文擧 の禰衡を薦むるの表有り︼。このやうに、あるをす、むる義也。可稱︻稱すべし︼とは、可稱揚也︻稱揚すべきなり︼。 [つ]に、五行を次[どづるぞ。周は木徳也。去[る]程に蒼姫と云[ふ]ぞ。秦は閏位とて、五行に不入︻入れず︼。 爰自1小段。宗周は周を貴ぶぞ。又は地の名ぞ。炎漢は火徳ぞ、炎劉とも云[ふ︺ぞ。劉は氏也。漢を云[ふ]。天下を イ -36- (庄1) 故に周より漢ヘ、木火とついづるぞ。茂は茂才、つとしげつた' ぞ。異は人にかわつた、すぐれた瓢 ぞ。此[の]やうな ものをめすぞ。周から漢まで、かうあつたぞ。.畏武帝紀去、詔日、其令州郡、察吏民有茂村︹材の誤り︺異等、可需相 及使絶國者︻前饗帝紀に云ふ、詔して日く、其れ州郡をしてC祭吏民の茂材異等有りて、將相及び絶國に使する者爲るべき を察せしむ、と︼。儒、孟子句解云、儒煮笹。言明王行儒道、需潤天下民俗也。︻儒は、孟子句解に云ふ、儒は誓り。 Rりか。 7黎器三十七表上六喜日﹂として記されている。また、米沢木には、養按として、こ 7父選一こ ﹃洗旦武帝紀、元封五年の条に見える。﹃孟子句解﹄は不明。ともに京大本に記されている。 前漢末の劉向・劉歌らの五行相生説にょる。 京大木に、﹁文選第二﹂と記す。﹃文選﹄き十七にある。あるいは の部分がある。 ﹃文選﹄巻三十七、﹁空﹂の鳶叩注。京大本は 於穫﹄桓公八年、﹁八年、春、正打、己卯、蒸す﹂の池県に﹁鉦製尓日薦、薦而加牲日祭﹂とある。 京大本にも同文がある。﹃周礼一一峯摸人、﹁凡祭祀、共其一器荒之資﹂の鄭注にコ鹿差、皆進也。未食未飲日鳶、凱食既飲日差。﹂また﹃春 言ふこころは明王儒道を行ひて、天下の民俗壽綱するなり^。 1 2 3 4 5 "く (注1︺ 衡見1二段ぞ。李良が境内に客としてある、柄の司馬会ノ軍の官になつた李瀚と云[ふ]者がある也。淹は大也。又は 深也。通は達也。理を委[し]くきわめた者ぞ。曾しらげたる米の如し、くわしきこと也。撰1古人の行迹をえらんで -37ー γ王 するぞ。屬對1屬、勺會沃句。説文連也杁尾劉聲。徐貝屬相連績、若尾之在體、故杁尾。廣韻、付也、託也、足也、 會也<云云>。又馨賣誼傳、屬文注、師古日、儒馨之也。又詩羔羊注、屬著也会云>︻屬、韻會沃の韻。説文に、連 なり、尾に杁ひて罰の聲、と。徐日く、屬は相連續すること、尾の體に在るが若し、故に尾に杁ふ、と。廣詣に、付なり、 モ (注3 なり、足なり、會なり<云去>と。又漢書買張に、文を屬すの注に、師古日く、屬は之を馨するを謂ふなり、と。又詩羔 羊の注に、屬は著なり<云云>と︼。類事は、似たことを一所にあつめたぞ。王戎1裴1と似たことを對的にかいたぞ。典 1典釣會銑句、常也。廣句、經也、注[法の誤り]也<云云>︻典は、韻會に銑の韻、常なり、と。廣韻に、經なり、法な N重[な]ることぞ。是を敷演して注をしたほどに、萬餘言になつたぞ。毛 り<云一五と︼。ことぐく法度にならずと云ことはないぞ。約Ξ千1三千四百八字あるとやらん云[ふ]が、數ヘてみぬほ (注3) どにしらぬぞ。÷は滿數を擧[げ]たそ。 詩正義第ご工、句則古者謂︹之爲句の三字缺︺、論語壽三頁一言以蔽ウ 、日温邪。則以思無邪一句爲工弓左氏日、臣 の業、在揚之水卒章之四言。謂第四句、不敢以告人也。及趙簡子稱子大叔遺我以九言、皆以一句爲言也。秦漢以来、衆儒各爲 訓詰、乃有句稱︻毛詩正義第一に云ふ、句は則ち古ヘ之を謂ひて句と爲す、需に云ふ、詩三百、一言以て之を蔽ヘば、凹く 思ひ邪無し、と。則ち思無邪の一句を以て一言と爲す。左氏に日く、臣の業は、揚之水卒章の四言に在り、と。第四句の、敢 (注ι て以て人に告げ、ざるなりを謂ふ。及び趙簡子、子大叔我に遺すに九言を以てすと稱するも、皆一句を以て言と爲す。夫禾漢以来、 裕各ミ訓詰を爲り、乃ち句の稱有り、と︼。又按困學記聞云、古以一句爲ご言。左氏傳子大叔九言、需一言蔽之、日思無邪。 秦漢已来、乃有句稱。今以一字爲ご言、如五言六言七言詩之類、非也︻按ずるに困學記聞に云ふ、古ヘ一句を以てご吾と爲す。 (注5︺ 左氏傳の子大叔の九言、翰如の一言之を蔽ヘば、日く思ひ邪無し、と。秦漢已来、乃ち句の稱有り。今一字を以てご言と爲す、 五言六言七言詩の類の如き、非なり︼。又云、陸務観云、一言可以終身行之者、其恕乎。此聖門一字之銘也。放翁亦豈非一字 爲一言之邪。或云、白楽天琵琶行自叙云、凡六百二士喜口、命田琵琶行<云云>。東披五百言、此以工子爲一一冒者也︻又云ふ、 陸務観云ふ、一言以て終身之を行ふ可き者は、其れ恕かと。此れ聖門一{子の銘なり、と。放翁も亦豈に斈もてご言と爲すに -38- れ工子を以てご吾と爲す者なり^。 非ずや。或ひと云く、白楽天が琵琶行の自叙に云ふ、凡そ六百二十一三昔、命づけて琵琶行と日ふと<云云>。東披五百言、此 瀚家1小段ぞ。瀚奈ぞ。児1もが、三四歳な物も、皆よくよむぞ。本を背け、そらにょむぞ。訥と云[ふ]そ。本でょ むを護と云[ふ]ぞ。胤、器磊、鄭玄注日、背文日調、"節之日訥︻周禮の需嘉に、鄭玄の注に日ふ、文を背く を調と日ひ、聲を以て之を節するを訥と日ふ、と^。談古1童歎︻童か︼と思ヘば、昔もかうぢやほどに、古事を引[く]が、 鴻儒にも、ちともをとらぬぞ。鴻は大也、大儒と添[ふ]心ぞ。此[の︺蒙求を知︹ら︺ぬ者は、神の乘り移歎︻移りたるか︼ と云[ふ]て疑ふぞ。子細に尋[ぬ︺れぱ、此[の]一条にょつて也。談古1一本には該古となすぞ。故事を談じて事をは かるぞ。 司封1三段ぞ。司封の官になつた李華は、當代の儒者の宗領ぞ。名あり、人の望もあるほどにご序を作たぞ。底心は良も あらうほどに、書がをもふなつたぞ。不出1前[に]申[し] 李氏ぢやほどに、我[が]同名系領ぢやがと云︹ふ]心ぞ。面内[い]ぞ。序尋[き]票干要ぞ。李華が序を書[ど たにょつて、重寶ぢやと人が知[る]ぞ。是に依て天子も御 た、不出1語が名言ぞ。 (注1)京大本に﹁淹留也、久也、、奮、大也、通述也﹂とある。 (注2)﹃説文解字﹄巻八儒に﹁屬、連也。杁儒聲。之欲切﹂とある。徐竺説文解・璽縛﹄に﹁屬、相迎續、若尾之在體。故杁尾。﹂﹃漢 書﹄巻四十八一詮慱に﹁年十八、以能訥兼燭文、稱於郡中﹂とあり、その顔"口注に﹁屬、印鞍輯之也。一豆ハ能爲文也。騨甲Z欲反。﹂ また﹃黒﹄羔羊の注ではなく、部風﹁需﹂の卒券﹁ナ霖祝之﹂について、鄭隻は﹁祝Ⅷえ嬬、屬著也。﹂とある。 (注3)﹃體﹄は﹁三千四百八字也。全き数を擧て、三舌と云。﹂とあり、契木も﹁三千四百八字也﹂と馨き入れがあり、ここの﹁數 へてみぬほどにしらぬぞ﹂は別人の言のようである。ただ、この﹁約三舌﹂と蛙茶の文字数をいっている雰だが、一茶は五九六句 -39- 二三八四字である。その差、- 0二四字が不明である。 ⇔征4)関雌の﹁關碓五章、章四句。故言三雫豆旻章四句、一豆昊章八句﹂の正義の文。このテキストは一句且の﹁句則古者謂之爲句﹂ の末三文字を欠くために、意味が通じない。なお、ヌ置は為政篇、﹃春秋左氏伝﹄は﹁揚之水卒章﹂は定公十年、﹁大叔遺我以九言﹂ は定公四年の伝である。 (注5)﹃困学紀聞﹄巻六、左氏の﹁子太大叔九言﹂と題される条。 (注6)陸務観は陸游、務観は字で、放翁はその号。南宋の代表的な詩人である。その﹃渭南文集﹄巻三十一の﹁践呂文靖門銘﹂に﹁一言可 以終身行之岩、其恕乎。此聖門一字銘也。詩三百、ご言以蔽之、日思無邪。此聖門三字銘也﹂とある。白楽天の﹁証並打﹂自序には﹁凡 六百一土言、命日琵琶行﹂と。また﹃東岐全集﹄巻一に﹁壬寅二月有詔、令郡史荏腰減决囚禁、十三日受命出府、舌難雛整屋 四縣、既畢事、因朝謁太平宮、而宿於南溪馨土、遂並南山而西至樓觀大秦寺延生觀仙遊潭、十九日廼歸、作詩五百言、以記凡所經歴者、 寄子由﹂という題の栗ある。 ﹁背﹂に同じ。賣公彦の疏では﹁背文﹂に作る。 {庄2) (注7)﹃周礼﹄春官宗伯下、大司樂の条に﹁以樂艘國子興調誠一磊﹂とあり、鄭玄注に﹁倍文日調、以聲節之日訥﹂とある。この場合﹁倍﹂ モ 七 (住]) 漢朝1四段ぞ。王子淵、王褒字子淵、罰人︻王子淵は、王褒、字は子淵、罰の人︼。漢書列傳二十四にのつたぞ。洞篇[の] (住3) 賦は文選にのつたぞ。是は漢の文帝の時のことぞ。はるかに後に、元帝の太子であつた時に、面白かつたで、後宮の貴人にう たはせられたぞ。一義に、漢帝を宣帝とないたぞ。文帝と云[ふ]は惡いぞ。文帝は宣帝四代の前に有[り]。洞箭賦は文選 -40- 第十七、李善注日、如淳楽白注日、洞箭、簸之無底者。釋名日、篤肅也。其聲四然。大者二十二管、長Ξ尺四寸、小者十六 管。一名籟突子善が注に日ふ、如淳が漢晝任に日く、洞簸は、鯆の底無き者なり、と。釋名に日く、簸は肅なり。其の聲肅肅 然たり。大なる者は二士亙昌、長さ三尺四寸、小なる者は十六管。一名竺是が底がない程に洞と云[ふ]ぞ。洞は通ずる 心ぞ。上下相通、故言洞簸︻上下相通ず、故に器と言ふ︼。是を面白く書[き]のべたを賦と云ぞ。漢の元帝の面白がつて、 女房衆にそらにをぽへさせられたぞ。近代1尚書故{牙集に、梁武帝教諸王書、令殷鐵石、於鐘王書、揚一千字不重者毎 事片紙、雜碑無序。帝召周興嗣日、卿有才思、爲我的之。興嗣一日製集上、鬚髪皆白︻、梁の武帝諸王に書を教ヘんと、殷鐵 石をして、鐘王の書に於て、一千字の重なら、ざる者を揚せしむるに、事毎に片紙、雜碑にして序無し。帝周興嗣を召して日く、 卿才思有り、我が爲に之を韻せよ、と。興嗣一日にして集を編綴して上る。顎髪皆白し^。牧按通老一百九十、經籍考云、智 永千字文一巻。晁氏日、梁周興嗣撰、釋智永所書。後村劉氏日、嘗疑、千字文、世以梁散騎常侍臣周興嗣所作、然法帖中、漢 章帝已嘗書此文。殆非梁人作也。︻牧按ずるに通考一百九十、經籍考に云ふ、智永千字文一巻。晁氏日く、梁の周興嗣撰、釋 智永の書く所なり。後村劉氏日く、嘗て疑らく、千字文、世以ヘらく、梁の散騎常侍臣周儲の作る所と。然れども法帖の中、 1辨當にし 漢の章帝已に嘗に此の文を書す。殆んど梁人の作に非ざるなり、と︼。文、ぶんとよまうぞ。只云[ふ]時はもんぞ。是を又 重寶ぢやと云て、あちへこちへうつすぞ。蒙求に合すれぱ、しかぬぞ。なぜになれぱ錯綜[綜終り、以下同じ] たほどにぞ。熊は左傳序、錯籍文、以妥燮︻左傳序に、經文を錯綜し、以て其の燮を盡す、と︼。錯は雜也、綜は集也。 まじへあつめてと云[ふ]義也。起予は論語八欝に、子貝起予者商也。苞氏日、孔子言子夏能發明我意<云云>︻子日く、 予を起す者は商なり、と。苞氏日く、孔子子夏の能く我意を發明するを言ふ、<云云>︼。是[れ]蒙求に有[る]かと驚くぞ。 頗[の]字は十の物が七っ八っぞ。又は十ながらと云[ふ︺心も有[る]ぞ。高祖紀下、頗取山南大原之地、益屬代。注師古 貝街以益之、不取盡也。甸径、天誕稜、地不偏載。師古日、頗亦偏也。陶淵明詩、窮鳶深敬頗回古人車。文選注、 頗少也。需序侃疏、頗猶偏。幻裂疏出侃乎。如何恐日本人述乎︻高祖紀の下に、頗や山南の大原の地を取りて、益して代 -41- に屬す、と。注に師古日く、少しく割きて以て之を益す、取り盡さざるなり、と。甸奴傳に、天頗る覆はず、地偏く載せず、 師古日く、頗も亦偏なり、と。陶淵明の詩に、窮巷は深轍を隔て、頗や古人の車を回す、と。文選注に、頗は小ノなり、と。 。﹂と見える。如淳の注は、 言△ ﹃尚書故実﹄は唐の李綽撰。現行本は一巻。﹁千字文、、諭興嗣編次、而有王右軍書者。人皆不曉其始。乃梁武教諸王書、令殷鐵石於大王 ﹃六臣注文選﹄の呂延済注に﹁洞者通也。一1無底上下相通、故日洞篇﹂とある。これに拠ったものであろう。 大者編二十三管、長尺四寸。小名、十六管長尺二寸、一名籟﹂とする。米沢本は﹁養謂﹂とLて﹁文選﹂以下を腎ている。 とあり、郭璞は而一十三管、長尺四寸。笑十六管、長尺二寸。箭一名籟一と注している。﹃寺正義﹄周頌、有普ではこれを引き、届 ﹃瑩旦元帝紀の贊にある。﹃釋名﹄は釋樂器に﹁鯖那也。其一舗肅而清也﹂とある。また﹃爾乳﹄釋樂には﹁大箭認之言、小者聖笈﹂ 者二十二管、長三尺四寸、小名十六管。一名籟。熔局、元帝爲太子'=襲所小前簾頌、令後宮貴人、比旦訥壁 京大本に﹁洞篇鳳洞通也、無底而通也。文選第十七、鳶鳥征日、怨覆習曾、洞篇、篤之無底者。釋名日、簾那也。其聲酬々然。大 していたとは考えがたい。﹃聴塵﹄でも﹁王褒か此鳳をかくは、漢文帝の塒也﹂としており、﹁一義に﹂以下は、別人倫となる。 ﹁一義に﹂以下は、﹁是は漢の文帝の時のことぞ﹂とあるのを否定している。仮に森六が文帝の時に作ったとすれぱ、{吊の時代まで生存 とある。京大本の張は﹃文選﹄注に拠ったものと思われる。次に引く﹃洗凹﹄も同じ。 くは列伝第三十四。諫議大夫ではなく、諌大夫。﹁後方士言益州有金馬珀証ι寶、可祭祀致也。宣帝使慶往祀鳶。褒於道病死、上閖惜之。﹂ 京火本に呈子淵、手条子淵、罰人。轟議大夫。益州有金馬雛之寳使駿祀爲。釜病死。全畏列伝第二十四ごと見える。正し ﹁四段﹂とするのは、﹁小段﹂の誤りか。五で示された段分けと合わない。 語序の侃疏に、頗は猶ほ偏のごとし、と。幻謂ふ、叙の疏、侃に出づるか、如何ぞ。恐らくは日本人の述ぶるか、と︼。 1 2 3 4 5 6 書中、揚一千字不重者、毎字片紙、雜砕無序。武帝召儲、、謂日、卿有才思、爲我韻之。興嗣一夕、編綴進上。鬢髪皆白、而賞賜甚厚、 -42- 任 7 とある。 一巻 牧は不明。﹃文献通考﹄ 經一誓巻十七。 智永千字文 努でj11凧ハ嵒司昇旦、羽て女訂臼、力く^所小凹。 奇帛イ寺←哥^<品可jリ子乍。催ミーーミ帖中、 鞭早・鞘U件書此文。殆非梁人作也。 ﹃春秋経伝条解一序に﹁古<1看左氏春秋者多矣。・・・・・・進不成爲錯鷺紅文、以需璽退不{寸一上明之傳。﹂とある。 晁氏は南宋の晁公武。﹃郡葬硯章虐より引用。後村劉氏は宋の劉古北、後村居士は号。被の三暴がどこにあるかは、不明。 8 券畿八价篇﹁子日、起予者商也。始可譽口詩已矣﹂の包咸令包咸)注に﹁予、我也。孔子言子夏能發明馨一、可與共言邑とある。 ﹃築亘一鼎紀十一年、春正月の条に﹁頗取山南太原之地、益屬代﹂とあり、ヤ齢古き﹁少割以益之、不盡取也。﹂とある。また甸奴傳 上に﹁朕聞天不頗稜、地不偏載﹂とあり、顔師古注に﹁頗亦偏也﹂とある。陶淵明の詩は﹁読山海経、其区で、﹃文選.一巻三十に載せ られている。﹃文選﹄では回を迴に作る。﹁頗少也﹂とするのは呂向の注である。謬墨の侃疏は皇侃の璽叩裟疏﹄で﹁有不安者、頗 爲改易﹂の疏に﹁頗猶偏也﹂とある。幻は不明。 とるぞ。一才をものこさず、片善のか︹た︺われ程のことをも、のこさぬぞ。一人に才ある者、一藝に能ある者なり。弧は訥 我も都の守りのかきとなるなり。夷中の方の官なり。古[ヘ]の中遠く見[る]ぞ。めづらしき事をも、又専なことをも 韻會幹的、説文枝也<云云>。一日衛也。或作捍再住幹の;説文、伎なり云云と。一に日く衛なり。或いは捍に作る一。 臣屬1四段ぞ。唐は李氏也。我等も唐の氏ぢやほどに、唐の宗領の枝葉の末の者と云︹ふ]心ぞ。職1藩は籬也。仟は、 八 -43- 9 10 會、陶也、察也。又明也。職備藩捍四字、與前面建官二句、相應、毎廣以下五句、與前面抗表二句、相應︻韻會は、陶なり、 察なり。又明なり、と。職備藩捍の四字は、前面の建官の二句と、相い應じ、毎廣以下の五句は、前面の抗表の二句と、相い 應ず︼。 陛下1五段。勺會萎句。説文、升高陛也<云云>。馨應劭日、陛者升堂之陛。王者必有執兵、陳於陛之側。群臣與至尊言、 不敢指斥。故呼在陛下者而告之。因卑諾之意。高祖五年、穫上疏、始稱陛下、<云云>︻曾は善の韻。説文に、高きに升 るの陛なり<云云>、と。馨應劭日く、陛とは堂に升るの陛なり。王者には必ず兵を執りて、陛の側に陳ぬる有り。群臣至 尊と言ふに、敢て指斥せず。故に陛下に在る者を呼びて之を告ぐ。卑因り尊に達するの意なり。高祖五年、諸侯上疏して、始 めて陛下と稱す△工云>ど︼。廣達四聰之条ない。一本乍︹作︺墜聰之義︻一本、廣諾之義に作りて︼、四の字なし。又 (注3) 一本乍︹作︺廣達四聰之義︻一本、廣達四聰之義に作る︼。尚嘉典、明四目達四聰。<注>、視聰於四方、使天下無埀塞也︻尚 書舜典に、四目を明かにし四聰を達す、と。<注>に、四方に視聰して、天下をして髪すること無からしむ、と︼。志學[は]、 論語の字也。丹誓中心の真実なるを云[ふ]なり。四門をあけて奏聞申す也。四方のことを舜のきいて成敗あるやうにせよ ぞ。瀚が学問をすればこそ高位になれども、誰も学問をせんほどに開奨善之門︻善を奨むるの門を開く︼ものであるべきぞ。 伏願1我らに似やうたる一職をはかりてさづけられよと云[ふ]也。さあらぱ自余の者も亦善をせんぞ、勧嘉態の利あらん ぞ。徴の字の時は、勧戒 を た ゞ し 、 、 め せ と な り 。 ﹃説文解字﹄巻十二に﹁打、伎也。杁手干聲。侯肝切﹂とある。古注一条は多く捍に作る。 注 1 ﹃説文解字﹄は巻十四。﹃漆ど高帝紀下、五年春正凡上疏の﹁大王陛下﹂鐙劭注に﹁陛者升堂之陛。王者必有執兵、陳於階陛之側。 璽旦盆。注は孔安国にょる。 群臣與至尊言、不敢指斥。故呼在陛下者而告之。因卑以逹尊之意也。若今砥下、閣下、侍者、秋事、皆此類也。﹂とある。 2 3 -44- 4 一璽里為政篇。﹁子日、吾十有五而志于学、 子光序 ﹂天宝は玄宗の年号、五年は七四六年。 1音姑亘ネ青一^、弓子助;粲鼎ミ、鞠1我f可ラ女。其方全屬僻備閲、万く爲典巽ネ甫寺ミ。^一負羊究オ又木艮、美頁多舛計七、 前言往行、載在經史、炳若丹青。然簡編浩博未易研究。非一鞍力久、莫能撮其要。唐李瀚、捜一畿籍、采古人行事、著爲 亨別丈頁美重、 覧者病爲。豈瀚之一織絵。抑亦後世篇六瓢也。予嘗一謡用意、而惜其未備。於是讃史傳、牙求百家、窮本探源、披華食 實。大抵傳記無見、而語浅謬妄者、就加是正。至於載籍之中、問有故實可以概與支仍綴其一二大者附鳶。庶幾昭然若日星之 麗天、煥然可観。命日補注。將以備遺志、而助討論。不亦文四毎僅歎。時己酉仲冬之打辛卯吉日、徐子光序。 九 子光序、此序が口に有[る]は惡[い]ぞ、此序は三隼。宰瀚全段>、予嘗<三段>、稔<小段也> 前言1補注が出來た處で、此[の]序をかくぞ。ほどに子光が補注はしたぞ。補とよむぞ。ほの音が好からうぞ。前言は (注2︺ 昔の六牙んどの文ぞ。晉王戎傳、前言往行、衰々可四云云>︻晉の王戎傳に、前言往行し、衰衰として聽く可し△石五 と^。又は前の人の云た詞ぞ。善[き]詞も惡︹しき]詞もあらうぞ。往行は昔人はたらいた行跡ぞ。炳如1楊雄君子篇云、 と^。明[か︺にみゅることは、盡かきが、、きたい︹四字、﹁かいた﹂に作るべきか︺やうなぞ。又青、説文、東方色、木 言炳。丹主月、陸贄傳、論馨炳々如丹青︻楊雄君子篇に云ふ、言炳なり。丹青は、陸贄傳に、論馨炳炳として丹青の如し、 生火、杁生丹。丹青之信、言必然。凡遠視之明、莫若丹青、黒則昧矣︻青は、説文に、東方の色なり、木火を生ず、生丹に杁 ふ。丹青の信とは、必ず然るを言ふ。凡そ遠視の明、ーに若くは莫し、黒ければ則ち昧し︼。一義に丹青は木相火ぞ。東方 -45- の青から南方の赤を生ずるほどにぞ。二[つ]の帯一の具を以てかけぱよく見る物ぢや程に云[ふ]たと云[ふ]ぞ。然簡1 きらりとあれども、轟六一藹史百家、書は萬巻書ぢや程に、みつくされぬ物ぢやぞ。簡編は、昔祭なかつたほどに、竹の 青みをとって、刀でほりつけて、うるしで入︹れ]て、牛のつくり皮でほち︹ほち、あむほどの誤り︺に云[ふ]ぞ。研は磨 京大本の頭注は三段の区分けを記す。ただ、本文には﹁於是﹂とともに 7織﹂にも段落記号があり、小段としているようである。 [く]也。みがくぢやぞ。そのやうには、みが、れぬぞ。非眞1二十年學文せいでは干要は取れまいぞ。此七句捻論ぞ。 1 崟邑巻四十Ξ王戎伝に﹁朝駐凹上巳禳洛、或問王濟日、﹁昨游有何言談。﹂濟日、﹁器善説史漢、裴題論前言昇、衰衰孤、王談 子房'季札之冏、超然玄著。﹂其爲鷲崟者所賞如此﹂とある。米沢木は養按として易、大畜の象伝を引く。 楊雄区亘の君子篇に﹁或問、聖人之三口、炳若1、有諸。日、呼、是何言歎。井初則炳、久則楡、楡乎哉。﹂とある。陸贄伝は﹃新 信、言必織﹂この一文、京大本にもある。﹁凡遠視之明﹂以下は{号の文か。 傭旦本伝の贊に﹁觀贄莎獣數十百箭、談陳時病、皆本仁義、可爲後世法、炳炳如打、帝所用繞十一。唐胖不競、惜哉﹂とあるのにょる ものであろう。この文、京大本にも記されている。 ﹃説文解字﹄巻五。﹁責東方色也。木生火、ι人生丹。丹幸 揣1毛晃果句、揣音朶度高日揣、 -46- 2 3 4 十 りたいてぞ。采1昔の人のふるまうた處の行迹を取[り]出[だし]て蒙求にしたぞ。 器東京竺、多識前世之載。々亦書也︻張禦東京賦に云ふ、多くーの載を勢、 と。載も亦書なり︼。捜誓さぐりと <注1) 唐李1三段ぞ。器は嘉のことぞ。左傳序、身禽史、躬覧載籍︻左傳の序に、 身國史爲りしとき、躬ら籍を覧る︼。 モ W。二っあるを云ぞ。奇と云は一あるぞ。ならうて居[る] W屑勺、折断也、<云云>再.は屑韻、折は断なりと<云云>︼。廣勿断而 又凡稱量付度日揣︻毛晃は果韻、揣は音朶、高さを度るを揣と日ふ。又凡そ稱是付度を揣と日ふ︼。東文字は母としたぞ。 以 合たことを一對々々にしてをくぞ。折はわる也。 猶連也︻器に、断ちて猶ほ連なるなり、と︼。偶は匹也、雙也、 程に偶と云ぞ。剪1進學解、昶羅別擇︹快の誤り、以下同じか︺、△石五︻進學解に、昶羅別挟す<云云>と︼。句解、別擇 猶捜出挑擇之義也︻句解に、別擇とは猶ほ捜出挑擇の義のごときなり、と︼。令︹今︺不用此義︻今此の義を用ひず︼。玉篇 他狄反、鮮骨也、副也。勺會錫的、解也<云云>。割者肆解肉也︻玉篇は他狄の反、骨を鮮くなり、剖るなり。韻會は、錫 の韻、解くなり<云云>と。割とは肆まに肉を解くなり^。煩はわづらわしいぞ。蕪は草ぞ、草のをい茂たやうに、六借いを きりきつて、干要制りをぬいたぞ。精英は、草の中にも花の様なる處をしるいたぞ。措は把也。纈、将取也^纈は将取なり^。 毛詩采取茉芭日言纈︻毛詩に業芭を采り取るを言に纈すと日ふ︼す[衍か]と云は、とるぢやぞ。精英、荘子云夏莢播精。<注>、 簡米日精。又凡物之純正精。又古名以玉希。英、説文、草希不實。廣的華也。増句又芸也。一日︹日︺智出萬人爲英。禮 記、Ξ代之英。注跳云、倍人日茂、十人日選、倍選日俊、千人日英、倍英日賢、萬人日傑、倍傑日聖^精英は、荘子に云ふ、 莢を鼓し精を播す、と。注に、米を簡ぶを精と日ふ、と。又凡そ物縄正なるは精なり。又古ヘ玉を以希と爲す。英は、説 文に、草榮ヘ工誓ず、と。廣設は華なり。増韻は釜"なり、と。一に日く、智萬人に出づるを英と爲す、と。徹器に、Ξ代 の英と。"研に云ふ、人に倍するを一戊と日ひ、ト人を選と日ひ、選に倍するを俊と日ひ、千人を英と日ひ、英に倍するを賢と 日ひ、萬人を傑と日ひ、傑に倍するを聖と日ふ、ど^。事跡1事のあとが、きらりとみへたぞ。ほしいま、ならしむと云は、 字が損じたげなぞ。屬僻[は]?、るぞ。屬文と云も、文を?、るぢやぞ。一諾傳日、買年十八、以能訥荒臼屬文。師古日、 儒欝之也。言能爲文也。屬音之欲反︻賣誼傳に日く、買年十八、以て能く詩書を訥し文を屬す、と。師古日く、屬とは 之を籍するを謂ふなり。其の能く文を爲るを言ふなり。屬の音は之欲の区︼。其[の]属文には是がよいを、、そいぢやぞ。 然井され共此[の]物は、根本はどこの生れの者やらう字もない程に、古事がたしかにないと云て、見[る]者鳶むぞ。 -47ー 古注は根元をうまくとせぬ程に、竺り] が多[い]ぞ。是は李瀚が錯[り]では有まいぞ。後人が惡くせんぞ。傳は展轉 そうぞ。 、 ﹃聴塵﹄は﹁可放。此点不甘心、可攷乎。﹂としている。 本にもそのままある。 艸榮而不實者﹂とある。﹁智出萬人爲英﹂は﹃淮南子﹄泰族訓。﹃礼記﹄は礼運篇。疏の部分はヌ耒辨名記云﹂として引かれている。京大 ﹃荘子﹄は人間世支部疏の条にある。注は司馬彪のもの羅典釈文﹄所引。その後の部分は何にょるか不明。﹃説文解字﹂巻一に﹁英 のを指す。 ﹁佶は把也﹂は﹃説文解字﹄巻十二。﹁纈、将取也﹂は﹃廣節﹄にある。﹁毛詩﹂は周南、茉芭の第三章に﹁采イ条苔'言纈之﹂とある ﹃韻會﹄巻二十九に﹁別、説文、解也、杁刀易聲。或作肆。周禮内甕注、割者、肆解肉也。詩林孫謬、有昼吾者。﹂とある。 ﹃玉篇﹄巻中に﹁別、他狄切、解骨也﹂とあり、﹁剖也﹂は不明。 僻お﹁進学解﹂に﹁昶斯扶、削垢磨光﹂とある。句解は不明。 ﹃古今舗會擧要﹄(略称﹃韻會﹄)巻十九に﹁折、断之也﹂とある。﹃恐廣韻﹄巻四に﹁折、常列切。断而猶連也。説文、断也﹂とある。 二にも﹁揣、量也。夙手樹聲t度高日揣。﹂とある。また﹃康煕字典﹄に﹁又凡稱同青度皆日揣﹂が見える。 毛晃の﹃増修互註禮部韻略﹄、略称は﹃増墾巻Ξに﹁揣、芸切、度也、試也、量也、除也。襟也。又度高日揣。﹂﹃説文解字﹄巻十 る。 器の﹁東京賦﹂は﹁西姦﹂綴り。﹃文選﹄巻二にあり、﹁是以多需代ウ五に祚る。避"よって出が代に換えられた可能業あ ﹃春秋経伝集解﹄序に﹁身爲國史、躬覧戴籍、必廣記而備言之﹂とある。 して行︹く]ぞ。襲はをそうぢやぞ。惡を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 -48- 任 ﹃澪ど赤﹂四八、賀一穫に﹁典英雛陽人也。年十八、以能而醜姑父、稱於郡中﹂とあり、顔加十J征は﹁屬渭綴輯之也、言其毛爲文也0 屬音之欲反﹂とある。 十一 予1三段ぞ。ようした物ぢやが、注がまちとそさうな程にと思て、注をしそへたぞ。於是1渙嵐と云は、渉はKを渡るぞ、 (注); 狼は、かりをするぞ。漁する物も、さつくとみて行[く]を椴と云[ふ]ぞ。渉獺も同じ心ぞ。易序例、漁嵐貰典︻易の 序例に、墳典を漁狼す、と︼。本源をさぐり求て、よくしたぞ。前に煩蕪1力冽したと云[ふ]たことぞ。買なれ共、惡處を ぱ取[り]のけて、善處を取[る]程にぞ。是は李瀚な記を引[き]てした程にと云ては条らうぞ。後人が蒙求にはのせ たが、傳邑は無[い]と云[ふ]て、のけたいなと云ことがあらうぞ。古晋したれ共、無[どと云[ふ]は、本注には 誤りが多︹ど程に、其を今しなをいて、よくするぞ。傳記不見否ルに見ヘず︼とは、本傳に不書︻券ざる︼ことが有[る] をぱ、引夕して置[く]ぞ。至1是から補注の事を添[ふ]ぞ。載籍1余の本の中にょ¥有[る]をぱ、又爰ヘ入つな どしたぞ。昔のことの大概な事をぱ、そと三を取てしるいたぞ。綴は都洛︹の]反。日月の天にか、る柴にして、みするぞ0 補とよまうかぞ。彌勒を一生補處と云がよいと去[ふ]が、さう有[る]かも知らぬぞ。漢音も、ふぞ'忘は古事か多[ど 時 捷竺徑︺ 不亦1文章宝白ん 程に、忘る、程に、さて記いて置[く]ぞ。齊衡陽王蕭鈎、常自沓蜘頸細書五逕置巾箱、蒲遺忘也﹁乏ノ﹃の衡陽ーモ浦勾、常に 自ら蜘頭細雪の五經を書き、巾箱に置きて、遺忘に備ふるなり、と^。かうして討論するたすけこなるぞ0 一子 とては、故事機学討論せいではぞ。此[の]蒙求にては、故事をよく知[る]程に、文tやがて成[る]ぞ0 は早︹い]と云[ふ]、心ぞ、すぐ道也。文章をするに、史漢などを引[く]はをそい程に、さて÷に、はやくなるぞ0 1年号のなきは如何。文の一體欺。傳者のあやまりか。一本に光禄大夫行右散騎侍臣徐子光序とある本もあり0 -49- 10 行、文獻通考四十七、職官ぎ注、凡正官皆稱行守、其階高而官卑者稱行、階卑而官高者稱守。官階同者、並無行守字会呑 ︻行は、文獻通考四十七、職官考の注に、凡そ正官皆行守を稱す。其の階高くして官卑き者は行を稱し、階卑くして官高き者 唐突に﹁渉獺﹂が出てくるが、京大本では﹁前漢賀山傳云、所一昆禦邑不能爲醇儒師↓訂日、渉若渉万独若猫獣、吾乎立く卯專 は守を稱す。官階同じき者は、並びに行守の字無し<云云>、ど^。 、1 1 0 ﹁易序例﹂は王弼の﹃周易略例﹄の序。﹁易略例序﹂とすべきところ。京大木は﹁易略例序﹂とある。 精也。醇老、不雜也。﹂とある。賣山傳は巻五一 2 ﹃南史﹄斉宗室列伝に﹁鈞常手啓梨号五經、部爲一卷、置丁巾箱中以備遺忘侍就貝動問日殿下オ自駒墳熱複何須小頭糸告 藏巾箱中。答日、巾箱中有轟、於檢開既易、且一更手{易、則永不忘。﹂とある。京火本に見える。 ﹃文献通老﹄巻四七、職官老一の官制総序の璽黒器此也﹂の注にある。 ノ 力い・りょうこ (さつち・あすか (しおで・ただし 本学大学院博士前期強) 本学大学院博士前期裟) 本学大学院博士前期課程) 本学教授) -50- 3 4 (こにし・みく 本学大学院博士前黒程) 本稿は、大学院前期課程の授業の成果の一っでゞ需生のレジュメをもとに、塩Wか全体の構成と補足とを行ったもので、 文責は塩出にある。 (やまや・ももこ 別
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