はじめに この書は大正 12 年に改造社から発行された。あまりに反体制的な社会革新論だと いう理由で、巻一と巻二を中心に官憲の削除をうけているが、残余の部分にもユニー クな所論が随所に見られる。今から見れば荒唐無稽な領土拡大主義、侵略主義が述 べられており、この書が広布されてその後の軍国主義の拡大、戦争への進展につな がっていった一つの要因になったのは間違いないと思う。 削除された箇所、行数は省略したので、必要な場合は青空文庫にある原著を参照 されたい。なお原文はカタカナ表記である。 北一輝 日本改造法案大綱 目次 凡例 緒言 卷一 国民の天皇 卷二 私有財産の限度 卷三 土地処分の三則 卷四 大資本の国家統一 卷五 労働者の権利 卷六 国民の生活権利 卷七 朝鮮その他の現在および将来の領土の改造方針 卷八 国家の権利 結言 凡例 一 この改造法案は、世界大戦終了後の大正8年8月、上海で起草した。「極祕」を印 し、複写しておいた。公刊する直前の9年1月に、発売を禁じられた。書中「何行削 除」とあるのは、今囘の公刊に際し官憲が削除した箇所で、行数は複写本の行数 である。 二 削除された一行一句といえども、日本の法律に違反する文字でないことは明らか である。恐らくは単なる行政上の目的で削除されたものと信ずる。したがつて、何か 不穩、過激な項目が伏せられたと疑って、作者に質問、照会するなどのないよう望 む。二、三枝を折つても大樹は損傷されない。 三 ナポレオン戦争が 18 世紀と 19 世紀を区切ったように、19 世紀の終りと 20 世紀 の初頭は、世界大戦(第一次)の大段落によって区切ることができる(世紀の更新 を十進数によって区切るべきではない)。20 世紀の第一年に、この法案を起草でき たのは、天命として感謝する。したがって前世紀に続出した古い哲人などの、誤謬 の多い革命理論を基に、この法案を批判する者は歓迎しない。時代錯誤とはその ことである。その昔、娘というものは、生母に背くために来るのだという者があった。 20 世紀は 19 世紀に背くことを禁ずるといった種類の革命論が多いのは、理解に苦 しむ。 四 「註」は、説明解釈を目的とするが、用語はどれも簡単明瞭、時にはただ結論の みを記した項もある。20 世紀の人類は、聡明と情意を増進させ、「そうだ」「そうでは ない」の二語で用が足りなければならない。現代世界を展開させた三大発明のうち、 火薬は人類を必要以上に殺し、印刷術の害毒は全世界の頭腦を腐蝕し尽した。そ のため簡明な一事一物を、冗漫な愚論によって飾るようでは、阿片中毒者と語るよ うなものである。日本改造法案の起草者は、当然に、革命的大帝国建設の一実行 者たらざるをえない。それが左傾するにせよ、右傾するにせよ、前世紀的頭脳によ って是非善悪を判断しないでいただきたい。 大正 12 年5月 北一輝 緒言 今や大日本帝国は内憂外患ともに起り、有史以来未曽有の国難を迎えている。国 民の大多数は生活の不安に襲われ、もっぱらヨーロッパ諸国の破壊の跡を学ぼうとし ている。また、政権にある者、軍事に携わる者、巨富を私する者は、巨大な機構の陰 に隠れて不義を維持しようとしている。外交面では、イギリス、アメリカ、ドイツ、ロシア はことごとく我が国の信頼を裏切った。日露戦争によって欧米の手を逃れた隣邦支 那ですら、我が国に対し排斥、侮蔑をもって報いようとしている。まさに東海の小島の 孤立である。一歩誤れば、宗祖が建てた日本国を無にする危機であり、幕末維新の 内憂外患が再び押し寄せている。 ただ天佑は 6000 万人の同胞の上に輝いている。日本国民は、国家存立の大義と 国民平等の人権とを深く理解し、内外思想の清濁を取捨選択するのに、一点の過誤 もあってはならない。ヨーロッパに起きた大戦は、天が驕りと乱倫を罰するためノアの 洪水を再び下したものである。大破壊の後で狂乱し狼狽している者に、完備した建築 図を求めることはできない。これに反し我が日本は、彼らにとって破壊の5ヵ年を、充 実の5ヵ年として惠まれた。彼らは再建を言い、我らは改造に進むのである。全日本 国民は冷静な心で、天の賞罰が日欧でこのように異る理由を根本的に考察し、いか に大日本帝国を改造すべきかの大本を確立しなければならない。国を挙げて一人の 異論もない国論を定め、全国民の大同団結により、最終的に天皇大権の発動を奏請 し、天皇を奉じて、すみやかに国家改造の根本を固めるべきである。 中国とインドの7億の同胞は、日本の指導、擁護なくして自立の道はない。我が日 本もまた 50 年間に2倍となった人口増加率を考えると、100 年後には少くとも 2 億 4,5000 万人を養うに足る大領土が必要である。国家の 100 年は1人の 100 日に等し い。この迫りくる明日を憂い、あの慘状にある隣邦を悲しむ者が、どうして直訳社会主 義者流の女性的平和論に安んずることができようか。階級斗争による社会進化はあ えて否定しない。人類の歴史はじまって以来の民族競争、国家競争に眼を覆って、 どうして科学的といえよう。欧米革命論の権威たちは、皮相淺薄な哲学に立脚して、 ついに「剣の福音」を悟れなかった。しかし高遠なアジア文明国のギリシャは、卆先し て自ら築いた精神により国家改造を成し遂げた。そしてアジア連盟の義旗を振りかざ して、将来到達すべき世界連邦の音頭を取った。四海同胞みな仏の子であるという 天道を宣布して、東西にその範を垂れたのである。国家の武裝を嫌うような知見は、 幼稚である。 卷一 国民の天皇 天皇の原義。天皇は国民の総代表であり、国家の根柱であるという原理主義を明 らかにする。 註一。日本の国体は三段の進化をしたので、天皇の意義もまた三段の進化をと げた。第一期は藤原氏より平氏の過渡期までの專制君主国時代である。この間、理 論上天皇は、すべての土地と人民を私有財産として所有し、生殺与奪の権を持って いた。 第二期は源氏より徳川氏までの貴族国時代である。この間は各地の群雄、諸侯が おのおのその範囲において土地と人民を私有し、その上に君臨した幾多の小国家の 小君主が、交戦し連盟した。したがって天皇は第一期の意義に代って、これら小君主 の盟主である幕府の光栄を加冠するローマ法王として、国民信仰の伝統的中心とな った。この進化はヨーロッパ中世史の諸侯国、神聖皇帝、ローマ法王と符節が合って いる。 第三期は武士と人民との人格的覚醒によって、君主である将軍または諸侯の私有 から解放された民生国時代である。この時から天皇は、純然たる政治的中心の意義 を持ち、歴史始まって以来、国民運動の指揮者として、また現代民主国の総代表とし て国家を代表するものとなった。 つまり維新革命以来の日本は、天皇を政治的中心とした近代的民主国となった。 日本は、かの直訳デモクラシーなどを輸入する必要はない。この歴史と現代とを理解 しない頑迷な国体論者と欧米崇拜者との争論は、天皇と国民との間に非常な混乱を 引き起こしている。(両者の救いようのない迷妄を戒める。) 註二。投票による当選者を国民の総代者とする制度をもつ国家が、ある特異な一 人を国民の総代者とする制度の国より優越すると考えるデモクラシーは、まったく科 学的根拠がない。それぞれの国家はその国民精神と建国の歴史を異にする。中華 民国建国以来8年までの支那がデモクラシーだから、王政のベルギーより合理的で あるとはいえない。アメリカ人のいうデモクラシーとは、個人の自由意志による自由契 約によって社会は成立するという当時の幼稚極まる時代思想である。それを拠り所と して、ヨーロッパの本国から離脱した個々人が村落的結合をして建国したものがアメリ カである。その基礎となった投票神権説は、当時の帝王神権説を反対方面から表現 した低能哲学である。日本はこのような建国でもなく、またこのような低能哲学に支配 された時代もなかった。国家の元首が売名的な多弁をふるい、下級俳優のような身振 りをさらして当選を争う制度は、沈默は金なりを信条とし、謙遜は美徳という教養を身 につけた日本民族にとっては、一つの奇異な風俗として傍觀すればよい。 註三。現在の宮中は、中世的弊習を復活した上に欧州の皇室に殘存する別個の 弊習を加えて、国祖の建国の精神である平等な国民の上の総司令者像から大きく乖 離している。明治大帝の革命はこの往年の精神を再現して近代化したものであった。 したがって同時に宮中の廓清を決行できたのである。国家組織を根本的に改造する 時、ひとり宮中の建築のみを傾柱壊壁のまま置いておくわけにいかなかったのである。 華族制廃止。華族制を廃止し、天皇と国民とを隔離している藩屏を撤去し、明治維 新の精神を明らかにする。 貴族院を廃止して審議院を置き、衆議院の決議を再審する。 審議院は一囘を限りとして衆議院の決議を拒否することができる。 審議院議員は各種の勳功者間の互選および勅選による。 註一。貴族政治を廃した維新革命が、なお徹底的に貴族の領地をも解決したこと は、当時のフランスを例外として、ヨーロッパの各国が依然中世的領土を処分できな かった事態に比べると、さらに百歩を進めたものであった。しかし大西郷たちの革命 精神の体現者が世を去るとともに、単に附隨的に行動した伊藤博文らは、進んだ国 家というものを理解せず、ヨーロッパの遅れた貴族的中世的特権の殘存物を模倣し て輸入した。華族制の廃止は欧州の直訳制度を棄てて維新革命の本来に帰るもの である。自分の短所を考えて新たな長所を学んだものと速断してはならない。我らは すでに博文たちより進んだ民主国にいるのである。 註二。二院制が一院制より過誤が少ない理由は、世論が分れた場合、感情的、 雷同的、瞬間的意見を制することが出来るからである。そのためには、上院が中世的 遺物で構成されず、各方面の勳功者によって組織されなければならない。 普通選拳。25 歳以上の男子は大日本国民としての権利により、平等、普通に衆議 院議員の被選挙権および選挙権を持つ。 地方自治もまた同じ。 女子は参政権を持たない。 註一。皇家の徴税に対してその使途を監視する目的で出来た議会は、納税資格 により選挙権の有無を決めた。イギリスに発したこの制度が欧米各国に広がったので あるが、日本国自身の原則としては、全国民の権利の上に立って考えねばならない。 普通選挙は、いかなる国民も間接税の負担者であるという納税資格を拡大したもの ではない。徴兵が「国民の義務」という意味において、選挙は「国民の権利」である。 註二。国家を防衛するという国民の義務は、国民の権利と不可分のものである。 日本国民の人権の本質において、ローマの奴隷のように、また昇殿をも許されなかっ た王朝時代の人民のように、純然たる被治者として、ある知識階級の命令の下に自 分の生死をゆだねる理由はない。この権利と義務は、あらゆる条件、理由によっても 犯すことは許されない。したがってたとえ国外出征中の現役将卆であっても、何らの 制限なく投票し、かつ投票されなくてはならない。 註三。女子が参政権を持たない理由は、日本の現在の女子が覚醒していないか らという意味ではない。ヨーロッパの中世史において騎士が婦人を崇拜し、その愛顧 を全うすることを騎士の礼としたのに反し、日本中世史の武士は婦人の人格を彼と同 一程度に尊重しつつ、婦人の側より男子を崇拜し男子の愛顧を全うすることを婦道の 礼として発達して来た。この全然正反対な社会の発達は、社会生活のすべてにおい て分科的発達をとげた。ヨーロッパで婦人参政運動となったものが、日本では良妻賢 母主義となった。政治は人生の活動においては一小部分にすぎない。国民の母、国 民の妻という権利を擁護する制度を確立すれば、日本の婦人問題のすべては解決 する。婦人を口舌の闘争に引き込むのは、その天性を破壊することであり、婦人を戦 場に用いるよりも苛酷である。欧米の婦人の愚味な多弁、支那の婦人連の強烈な口 論を見た者は、日本婦人が正道に発達しつつあるのに感謝するだろう。良い傾向に 発達した者は、悪い発達をした者の手本になる。この故に現代を東西文明の融合時 代というのだ。西洋文明直訳の難点は、特に婦人参政権問題に見ることができる。 (国民の生活権利参照。) 国民の自由の回復。從来の国民の自由を拘束し、憲法の精神を踏みにじる諸法 律を廃止する。文官任用令、治安警察法、新聞紙条例、出版法などである。 註一。周知の道理である。 卷二 私有財産の限度 私有財産の限度。日本国民の一家が所有できる財産の限度を 100 万円とする。 海外に財産を持つ日本国民も同じ。 この限度を破る目的で財産を血族その他に贈与し、または何らかの手段により他に 移転することは出来ない。 註一。一家とは父母、妻子および直系の尊・卑族を一括していう。 註二。私有財産に 100 万円以下という限度を設けるのは、一切の私有財産を許さ ないことを終局の目的とする諸種の社会革命説とは、社会および人性の理解を根本 的に異にするからである。個人の自由な活動または享樂は、私有財産に求めるほか はない。貧富を無視した画一的平等を考えることは、社会万能説に出発するものであ る。ある者はこの非難に対抗するために個人の名誉的不平等を認める制度を作れば よいというが、それは物的価値がないから、別問題である。人は物質的享樂または物 質活動そのものについて画一的ではないから、自由の物質的基本を保証しなければ ならない。 註三。外国に財産を有する国民にもこの限度が適用されるのは法律上当然であ る。これを明示した理由は、この限度を免がれる目的で外国の財産を保有することを 禁ずるためである。フランス革命の時の亡命貴族の例や、租界に逃げて財産の安全 を計る今の支那官僚、富家の例は認められない。 註四。社会主義が、私有財産制度を確立した近代革命の個人主義と民主主義を 継承したのはこのためである。民主的個人により組織されない社会は、奴隸的社会 万能の中世時代である。民主的個人の人格的基礎はこの私有財産制度にある。私 有財産を尊重しない社会主義は、いくら議論を長論大著に構成しても、要するに原 始的共産時代の回顧にすぎない。 私有財産限度超過額の国有化。私有財産の限度超過額はすべて無償で国家 に納付する。この納付を拒む目的で法律に保護を求めることはできない。 註一。経済的組織より見たとき、今の国家は統一国家ではなく、経済的戦国時代 であり、経済的封建制である。アメリカなどは確実に経済的諸侯政治を築き終ったも のである。国家は、かつて家の子郎党や武士の私兵を養って攻戦討伐した時代を経 て現時の統一に至った。国家はさらにその内に経済的統一を図るために、経済的私 兵を養って互いに殺傷しあっている。今の経済的封建制を廃止しなければならない。 註二。無償で徴收する理由は、今の大資本家、大地主などの富が、社会共同の 進歩と共同の生産による富であるにもかかわらず、悪制度のため彼ら少数者に停滯 し蓄積されてしまったからである。理由の第二は、公債によって賠償すれば、彼らは 公債に変形した依然として巨大な富により国家の経済的統一を毀損するからである。 第三の理由は、国家として不合理な所有に対して賠償することはあり得ない。国家は その富を資本として、有史未曽有の活用をしなければならない当面の施策があるから である。 註三。違反者を死刑に処するのは、必ずしも希望するところではない。またもとよ り無産階級の復讐を認めるものでもない。実に貴族の土地徴集を決行するのに、大 西郷が「異議を唱える諸藩があれば一挙に討伐する準備がある」としたように、先哲 の深慮に学んだだけである。二、三十人の死刑を見れば天下ことごとく服するであろ う。 改造後の私有財産超過者 。国家改造後の将来、私有財産限度を超過した富を 有する者は、その超過額を国家に納付せよ。 国家はこの合理的行動に対して、その納付金を国家に対する献金として受け、明ら かにその功労を表彰する道を取る。 この納付を避ける目的で、血族その他に分割しまたは贈与してはならない。 違反者の罰則は、国家の根本法を乱す者として、立法精神にのっとり別に法律を定 める。 註一。現在の致富と改造後の致富とは、致富の原因が異ることを了解しなければ ならない。 註二。最少限度の生活基準に立脚する幾多の社会改造説に対して、最高限度 の活動領域を規定した根本精神を了解しなければならない。これは深甚な理論であ る。 註三。前世紀的社会主義に対する一般的かつ理由のある非難、つまり各人平等 の分配をすれば勤勉の動機を喪失してしまうというような非難は、この私有財産限度 制にあてはまらない。第一、私有財産権を承認するので、まったく平等的共産主義に 同調していない。私有財産に限度はあっても、勤勉を傷けるものではない。100 万円 以上の富は国有となるからといって、労働者は多くの賃金を要せず、商家は広く顧客 を欲しないと考える者はいない。 註四。個人が 100 万円を持てば、物質的享樂および活動に不足はない。国民が 国家内に生活する限り、神聖な人権の基礎として国家は生活を擁護する。数百万、 数千万、数億万の富に何の立法的制限もないのは、国家の物質的統制を、現代に 見るように、無政府状態に放任するものである。国家が国際間に生活する限りは、国 家の至上権により、限度以上の個人の財産は、国家のものとして確保しなければなら ない。 註五。私有財産の限度超過者は法律を遵守しないであろうから、不可能に終ると 疑ってはいけない。刑法を遵守せず放火殺人をあえてする者があるため、刑法は空 想だという者はいない。国憲を紊乱する者に厳罰を加えるため、別個の精密な法律 を制定する。 卷三 土地処分の三則 私有地所有の限度。日本国民の一家が所有できる私有地の限度は時価 10 万円 とする。 この限度を破る目的で血族その他に贈与し、またはその他の手段により所有すること はできない。 註一 。国家は国民の自由を保護すると同時に、当然国民の自由を制限できる。 外国の侵略またはその他の暴力を排除し、安全に土地を私有できるのは、国家の保 護があるからだ。資本的経済組織により国内に不法な土地兼併が行われ、大多数の 国民が生活の基礎である土地を奪われつつあるのを見ると、国家は当然に土地兼併 者の自由を制限しなければならない。 註二。時価 10 万円を基準にして小地主と小作人との存立を認める点は、一切の 地主を廃止せよと主張する社会主義的思想とは根拠を異にする。また土地は神が人 類に与えた人権だというような愚論は価値のない論である。すべてに平等などはあり えない。個々人は、経済的能力、享樂および経済的運命において画一ではない。故 に小地主と小作人の存在することは神意といってもよく、かつ社会の存立および発展 のために必然的に経由しつつある過程である。 所有限度を超過する私有地の国納。私有地の限度以上を超過する土地は国 家に納付する。国家はその賠償として 3 分利付公債を交付する。ただし私有財産の 限度以内とする。つまり私有財産と賠償公債との加算額が私有財産の限度を超過す る者には、その超過額だけ賠償公債を交付しない。 註一。日本の現時の大地主は、経済的諸侯という形で中世貴族の土地所有に似 ているが、所有権の本質はまったく近代のものである。中世の所有権思想は、その所 有が奪取によると否とを問わず、強者の権利の上に立つものであった。維新革命は、 所有権の思想を武力による占有ではなく、労働に基く所有に一変するとともに、強者 は権力を失って所有権を喪失したのである。これに反して、この私有地の限度超過 分を国が徴收することは、近代的所有権思想の変更ではない。単に国家の統一と国 民大多数の自由のために少数者の所有権を制限するに過ぎない。だから私有財産 限度を超過しない分は、所有権に伴う権利として賠償するのである。 註二。中世貴族の所有地を今に至るまで解決できず、独立問題にまで発展させ てしまったアイルランドの土地問題と、この私有地限度制とは、思想においても進歩 の程度においても雲泥の差がある。また今のロシアの土地沒收の事態は、明らかに 維新革命を五十年後の今、拙劣に試みつつあるものに過ぎない。ロシアが多くの点、 つまり軍事、政治、学術、その他の面で遙かに後進国であるのは異論がない。土地 問題について英語の直訳やレーニンを崇拜するのは、佳人が醜婦を羨やむ類であ る。 将来の私有地所有の限度超過者。将来所有地が私有地の所有限度を超過し た場合は、超過した土地を国家に納付して賠償の交付を求める。この納付を拒む目 的で血族その他に贈与し、またはその他の手段により所有することはできない。違反 者の罰則は、国家の根本法を紊乱する者に対する立法精神により、別に法律を定め る。 徴收地の民有制。国家は皇室下附の土地および私有地所有の限度超過者が納 付した土地を分割し、土地を持たない農業者に給付し、年賦金を払った者を所有者 とする。 年賦金額、年賦期間などは別に法律で定める。 註一。社会主義的議論の多くが、大地主の土地兼併を廃し、国家を一大地主とし、 国民は国家所有の土地を借耕する平等の小作人とする。原理としては非難しない。 これに反しロシアの革命的思想家の多くは、国民平等の土地分配を主張し、別個の 土地民有理論を築く者が多い。しかしこのような物質的生活の問題は、ある画一的原 則をあらかじめ設定して、すべてを演繹してはならない。もし原則というものがあるとす れば、各人の土地所有権は国家の保護によってのみ享受できるのであるから、最高 の所有者である国家が、国有にするとも民有にするとも決定できる。ロシアに民有論 が起るのは正当であるとともに、アイルランドの貴族領を国有とすることも可能である。 つまり二者のどちらに決めるかは、国家が国情を考えて最善の処置をすればよい。日 本が大地主の土地を徴收することは最高の所有者である国家の権利であり、国の固 有の権利である。そして日本が小農法の国情であることを考えて、徴収した土地を自 作農の所有権に移し土地民有制を取ることも、日本独自の物質生活より築かれた正 当な理論として成立する。ただし、都市の住宅地と異なり、農業者の土地は資本と等 しく経済生活の基本であることは不動の原理である。資本が限度内において各人の 所有権を認められるように、土地も限度内において確実な所有権が設定されることは 国民的人権である。 註二。この日本改造法案を一貫する原理は、国民の財産所有権の否定ではなく、 全国民に所有権を保障し自由な享樂を可能とすることである。熱心な音樂家が借用 の樂器では満足しないように、勤勉な農夫は借用地を耕しては勤勉を持続できない。 人類を公共的動物とのみ考える革命論の偏向は、私的欲望を経済生活の動機だと 立論する旧派経済学と同じで、ともに両極の誤った論議である。人類は公共的欲望と 私利的欲望を併有する。したがって社会組織の改造は、人性を無視したこれら両極 の学究的臆説に誘導されてはならない。 都市の土地の市有制。都市の土地はすべて市有とする。市は賠償として三分利 付市債を交付する。賠償額の限度および私有財産との加算が私有財産限度を超過 する者への対応は、前掲と同じに扱う。 註一。都市に限り、町村の住宅地を私有としない。ただし小さな町村の程度では 公有とする理由が完成していないから私有とする。 註二。都市の地価が高騰する理由は、農業地のように所有者の労力に原因する ものではなく、大部分が都市の発展の結果である。都市は発展によってえられた利益 を、単に占有者に与えることはできない。これが市有とする理由である。 註三。都市は借地料により莫大な收入が得られ、市の経済を有効に運用できる。 都市の積極的発展はこの財源により可能になるとともに、市の発展より結果する借地 料の高騰は、循環的に市の財源を豊かにする。 註四。家屋は衣服と同様に、各人の趣味必要に基く。3坪の邸宅に甘んずる者が あれば、数 10 万円の高樓を建てる者もあるだろう。ある時代の社会主義者が家屋の 市有を考えたのは、市民の全部に終生画一な兵隊服を着用させるのと同じで、愚論 である。 註五。都市で私有地を許さない以上、設定された地上権より利得を得ることはで きない。つまり借家で利益を得る者は、家屋そのものから生まれる利益は得られるが、 地上権に伴う利益を計上することはできない。このため市は五年毎に借地料の評価 を改める。 国有地とする土地。大森林または大資本を要する未開墾地または大農法が適す る土地は、国有とし国家自らが経営に当る。 註一。下掲の大資本の国家統一の原則による。 註二。我が日本は、国民生活の基礎である土地の国際的分配上、大領土を取得 せざるをえない運命にある。したがって国有として国家の経営する土地は広大なもの となる。要するにすべての土地は、公的所有と私的所有の併立を根本原則とする。 註三 。日本の土地問題は単に国内の地主対小作人の問題を解決しただけでは すまない。土地の国際的分配の際に、不法に過多な所有者が存在しないよう、国家 は革命的理論を適用して言論と行動に整一性を保つ。(国家の権利参照) 卷四 大資本の国家統一 個人の生産業に限度。個人の生産業の限度を資本金 1000 万円とする。 海外における国民の個人の生産業も同じ。 註一。私有財産の限度と個人の生産業の限度とを同一視してはならない。株式、 合資、合名会社または自己の財産ではない借入金によって営む生産業の制限は、 私有財産の制限と全く別のものである。 註二。個人の生産業に限度を設ける理由は前掲の諸註より推して明らかなように、 幾多の理由がある。人の経済的活動の動機の一つが私欲にあるというのもその一つ。 新たな試みは社会によって認識される前に、常に個人の創造的活動が働くというの がその二。いかに発達しても公共的生産が国民生活の全部を蔽うことはできず、現実、 将来とも依然として小資本による個人経済が大部分を占めるというのがその三。国民 の自由の人権は、自由な生産的活動より表われたものについて特に保護助長すベき であるということがその四。数えても盡きないこれらの理由は、社会主義がその建設的 理論においてまったく世の承認を得ていない欠陷を示すものである。マルクスとクロ ポトキンは未開な前世紀時代の先哲として尊重すればよい。 個人の生産業の限度を超過する生産業の国有化。個人の生産業の限度を 超過する生産業は、すべて国家に集中し、国家が統一的経営を行う。 賠償金は三分利付公債により交付する。賠償の限度および私有財産との関係などは すべて私有財産限度の規定による。 註一 。大資本が社会的生産の蓄積の結果だということは、社会主義の明白な原 理である。これは説明を要しないだろう。そうであれば社会、つまり国家が自己の蓄積 したものを自己が取得するのは異論なかろう。 註二。現時の大資本が、個人の利益のために個人の経営に委せられていること は、人命を殺し得る軍隊が大名の利益のために大名に私用されることと同じである。 国内に私兵を養い、私利私欲のために戦いつつある現代支那が、政治的統一体と いえないように、鉄道電信のような明白な社会的機関すら私人の私有として甘んじて いるアメリカは、金権軍隊の内乱時代である。国民の安寧秩序を保持することが国家 の唯一の任務とすれば、国民の死活栄辱を日夜にわたり終生を通じて脅やかしつつ あるこれらを処分しない限り、国家は無に等しい。無政府党を怖れる必要はない。国 家が国家自らの義務と権能とを無視することをこそ、怖れなければならない。 註三。積極的に見ると、大資本の国家的統一による国家経営は、米国のトラスト、 ドイツのカルテルをさらに合理的にし、国家がその主体となったものである。トラスト、 カルテルが分立的競争より遙かに有利だという実証と理論により、国家的生産の将来 が予想できる。 註四。大生産業および土地の徴收に応ずる大富豪たちは、要するにただ 100 万 円を所有できるだけである。これと同時に 100 万円以下の株券または合資を有する 者は、自分が関与する株式会社、合資会社が徴集される時、一つの障害もなく賠償 を受けることができる。つまり上流階級を除く中産以下の全国民には、少しも動搖を 与えることがない。 改造後に個人の生産業の限度を超過する者。改造後の将来、事業の発展 その他の理由により、資本が個人の生産業の限度を超過した時は、すべて国家の経 営に移す。国家は賠償公債を交付し、かつ継承した事業の当事者に当人を任ずるこ とを原則とする。 違反者の罰則は、国家の根本法を紊乱する者に対する立法精神により、別に法律を 定める。 その事業がまだ個人の生産業の限度である資本に達しない時でも、その性質上大資 本を利としまた国家経営がより合理的と認める時は、国家に申達し、双方協議のうえ 国家の経営に移すことができる。 註一。1000 万円以上の生産業を国営にするとき起る疑問は、事業家の奮斗心を 挫折するのではないかという心配だ。これに対しては、周知のとおり、人類は公共的 動物だという共産主義者の人生観が半面より最も有力な反論となる。かつ利己的欲 望そのものを解剖すると、事業家は事業経営においてその手腕を発揮できる自己満 足と、経営的手腕が社会に認識されるのを欲する功名的動機が、多大に含まれてい ることを発見するだろう。現代の将軍たちが愛国心の外に、これらの功名的動機、軍 事的手腕を発揮する自己満足のために戦場に死戦するのを見よ。また戦国時代の 将軍たちのように、一州を略せば一州を領し、一城を拔けば一城の主となる私利的 経済的欲望ほど劣るものはない。もちろんすべてを事業家の公共的動機に求めるも のではない。利己的欲望中に含有される幾多の動機は、その事業を発展させる国家 的認識と、国家に移った事業をその人に経営させ、手腕発揮の自己満足を与えるこ とにより、個人の生産業の限度を超越しようとする奮斗心を刺激し鞭撻する。この改造 の後には、公共的動物である人類の美性は、これを阻害する悪制度がないから、著 しく国民の心意行動を支配するに違いない。 註二。個人が 100 万円の私的財産を持つに至れば、一切の私利的要求を断ち、 ただ社会国家のためにつくすべきである。個人の私的産業が 1000 万円になれば、そ の事業の基礎および範囲においては、に国家社会の便益と福利以外、一点の私的 動機も混えてはならない。この二つの制限は、これまで放任されていた道徳性を、国 家の根本法として法律化するに過ぎない。 国家の生産的組織。 その一。銀行省。銀行省は個人の生産業の限度以上となる各種大銀行より徴收し た資本、および私有財産の限度超過者より徴收した財産を資本金とする。事業内容 は、海外投資における豊富な資本と統一的活動、生産的活動を行う各省ヘの貸付、 個人銀行ヘの貸付、通貨と物価との合理的調整、絶対的安全を保証する国民預金 などとする。 註一。現時の分立する銀行とこの銀行省の持つ対外能力をひかくすると、その差 はほとんど支那の私兵と日本の統一軍隊ほどの懸隔があろう。私兵を糾合して対外 利権を争うのは、資本の乏しい日本には必敗でしかない。 註二。貿易が順調なため外国より貨幣の流入が盛んになり、物価騰貴の恐れが ある時、銀行省は金塊を貯藏して国家非常の用に備えるとともに、物価を合理的に 調整する。経済界の好況を逆に国民生活の憂患とする現下の大矛盾は、一に国家 が「金権」を持っていないからである。 註三。国民が血を絞って出した貯金、または事業の運命を決する預金などが、銀 行の破産により消散することは、国民生活の一大不安である。いくら責任者に重刑を 課しても、幾万人の被害者にとっては何の救いにもならない。銀行省の預金は、大日 本帝国が国民とともに亡びない限り不安がない。 その二。航海省。個人の生産業の限度以上の航海業者より徴收した船舶資本に より、遠洋航路を主として各国と海上の優勝を争う航海省を設ける。また造船、造艦 業の経営などを行う。 註一。これは海上の鉄道を国有にするもので、外国の同業者との競争力はトラス ト、カルテルと同様の方法によって強化できる。以下の各省皆同じ。 その三。鉱業省。資本または価格が個人の生産業の限度以上の各種大鉱山を徴 收して経営する。銀行省の投資による海外鉱業の経営と、新領土取得の時、私人鉱 業と併行して国有鉱山の積極的開発などを行う。 註一。資本のみでなく、鉱山の価格も徴収の対象とする。機械その他の設備だけ が資本ではなく、鉱山そのものの価値も資本であることを忘れてはならない。 註二。国民の命と血により獲得した鉱山(例えば撫順炭鉱のような)を少数者が牛 耳っている現時の状態は、実に最悪な政治というほかない。愛国心の頽廃も、無政府 党の出現も、国家自らが招くものだ。 その四。農業省。国有地の経営、台湾の製糖業および森林の経営、台湾、北海道、 樺太、朝鮮の開墾、南北満州あるいは将来の新領土の開墾、また大農法の耕地を継 承する時の経営などに当る。 註一。台湾の糖業および森林に対する富豪たちの罪悪は、国家の不仁不義が原 因である。これは国家および国民の忍び得るところではない。将来台湾の幾十倍の 大領土を南北満州および極東、シベリアに取得する運命を考えると、台湾と同じ罪悪 を国家国民の責任に負わせることは、日本の国際的威厳と信用を汚し、土地の国際 的分配の公正のために特に日本が享有する領土拡張の生活権利を損傷する。これ では大帝国を建設しても百年の寿命をまっとうできないだろう。 その五。工業省。徴收した各種大工業を調整、統一し、拡張して、真の大工業組 織とする。各種の工業はことごとく外国の工業と比肩することが出来る。個人では企て ることができない国家的工業の経営、海軍製鉄所、陸軍兵器廠の移管経営などを行 う。 註一。工業のトラスト的、カルテル的組織は、資本が乏しく列強より遅れた日本で は特に急務である。また今囘の第一次世界大戦で暴露されたように、日本には自営 自給できない幾多の工業がある。私利を目的とする資本制度に依存して安易に過す ことは、今日および今後の日本にとって、忍びえない国際的危機である。 その六。商業省。国家または個人の生産による一切の農業的工業的貨物の流通 を采配し、物価を調節し、海外貿易における積極的活動を行う。 この目的のために、関税はすべてこの省が計算して内閣に提出する。 註一。私有財産に限度があり、私有地に限度があり、個人の生産業に限度がある から、個人には悪用できる大資本がない。国家の物価調節に反抗して買占めや売惜 しみはできない。したがって国家の物価調節は一糸乱れず整然として行われる。現 在大地主と投機商人とが持つ大資本は、米穀の買占め、売惜しみを自由に行い、そ の結果米価の高騰をもたらしている。すべての物価問題はここから発している。彼ら の大資本を奪わずに物価調節を云々するのは抱腹ものの空想政治である。 註二 。国内の物価が世界的原因、つまり世界大戦中のように、世界的な物価騰 貴に連れて高騰するときは、国家は一般国民の購買能力と世界市価との差額を輸出 税として課税する必要がある。公私の生産品が一律に課税されるのは当然である。こ うして国内物価の暴騰を防ぐと同時に、貿易上の利益を国庫に收得できる。ただしこ れらの輸出税を課す原則は、非常変態の経済状態のときに適用するだけではない。 非常時に遭遇した時、国民の不安騷乱を解消できない国家組織では、大日本帝国 の世界的使命は果たせない。日本が将来大戦を覚悟するなら、特に非常時にも対応 できる安泰な改造が必要である。 その七。鉄道省。今の鉄道院に代え、朝鮮鉄道、南満鉄道などを統一した組織と する。将来の新領土の鉄道を継承し、さらに新規布設など積極的な経営活動をする。 個人の生産業の限度以下の支線鉄道は、個人の経営に開放する。 註一。鮮血で得た南満鉄道が、今富豪に壟断さるれている不義と危険とは、鉱業 省の註に述ベたとおりである。もし将来の大領土における諸々の鉄道が再び南満鉄 道に学ぶなら、国民の闘志は消え去る。 註二。鉄道が国有であるために、現時のように民間の鉄道布設が阻害されている のは、第一に国民の経済的自由を蹂躙するばかりか、国有鉄道自体の利益を減殺し ている。陸上の鉄道であるから山間僻地の支線をも国有にせよと主張し、一方で海上 の鉄道である海運業を、全世界に通ずる幹線であるから民有にせよという議論は道 理に合わない。国有の鉄道と民有の鉄道の両立は、個人の生産業の限度の原則お よび大資本の国家統一の原則の下で律しなければならない。国家の大本は一であり 二ではない。 莫大な国庫收入。生産を担当する各省の莫大な收入は、ほとんど消費的各省お よび下に掲げる国民の生活保障の支出にあてることができる。したがって基本的租税 以外の各種の悪税は、ことごとく廃止する。 生産を担当する各省は個人の生産者と同じく、当然課税される。 塩、煙草の專売制は廃止する。国家生産と個人生産が併立する原則により、個人の 生産業の限度以下の生産は個人に開放し、公私一律に課税する。 遺産相続税は親子の権利を犯すから、単に手数料の徴収に止める。 註一。国家が徴收する資本の概算は推定できるが、実際との差はかなり出るだろ う。○○○○○の調査徴收が必要な理由である。 註二。国家の生産的收入が増大するに伴い、悪税ばかりか、多くの租税を廃止 できる時が来るだろう。 註三。遺産相続を理由として国家が收入を計るのは、人権的思想に不徹底な考 えである。 卷五 労働者の権利 労働省の任務。内閣に労働省を設け、国家生産および個人生産に雇傭される一 切の労働者の権利の保護を任務とする。 労働争議は別に法律の定めにより、労働省が裁決する。この裁決は生産担当各省、 個人生産者および労働者が一律に服從しなければならない。 註一。労働者とは力役または知能を提供して公私の生産業に雇傭される者をいう。 したがって軍人、官吏、教師などは労働者ではない。例えば巡査が生活権利を主張 する時は、所属する内務省が決定し、教師が増給運動をする時は文部省が解決する。 労働省は関与しない。 註二。同盟罷工は工場閉鎖と同様、この立法が成立するまでの過渡的な階級闘 争時代の一時的現象である。永久に認められ労働者の特権ではなく、この改造組織 が確定した国家では断然禁止される。ただしこの改造を行わずに、いたずらに同盟 罷業を禁圧するのは、大多数の国民の自衛権を蹂躙する重大な暴虐である。 労働賃銀。労働賃銀は自由契約を原則とする。 これに関する争議は、前掲の法律の下に労働省が決定する。 註一。自由契約とする理由は、国民の自由をすべてに通じる原則とし、国家の干 渉を背理と認めるからである。真理は一社会主義の專有ではなく、自由主義経済学 の理想として犯すことはできない。単に労働者といっても各人の能力に差がある。特 に将来日本領土内に居住し、または国民権を取得する者が多い時、国家がそれぞ れの異民族につき能力と賃銀に干渉することはできない。現今は資本制度の圧迫に より、労働者は自由契約の名の下に全然自由を拘束された賃銀契約をしている。し かし改造後の労働者は真の自由を保持し、いささかも損傷されることがない。 註二。自由(つまり差別観)を忘れてただ観念的平等に立脚した時代の社会主義 的理想家は、国民に徴兵制のような労働強制を課そうと考えた。人生は労働によって のみ生きるものではない。また個々人の天才は、労働の余暇に発揮できるものではな い。誰が大経世家になるか、大発明家、大哲学者、大芸術家になるかは、彼らが考え るように事前に察知できるものではない。かならず事後に認識されるものであるから、 幼少のときから自由を与えなければならず、社会が認めてから労働を免除するなどは ありえない。社会主義の原理が実行時代に入った今日では、社会主義に附帯する空 想的付属物は一切棄てなければならない。 労働時間。労働時間は一律に八時間制とし、日曜祭日を休業とする。 農業労働者は、農期繁忙中労働時間の延長に応じて貸銀を加算する。 註一。説明の要はない。余った時間を修養や享樂にあて、また自由な人権に基 いて、家庭的労働をしたり他の営業をするなど、すべて個人の自由である。 労働者の利益配当。個人の生産に雇傭される労働者は、純益の二分の一の配当 を受ける。 この配当は知能的労働者および力役的労働者をともに対象とし、各自の俸給賃銀に 比例して配分する。 労働者は代表を選び、事業の経営計画および收支決算に関与する。 農業労働者と地主との間も同様とする。 国家的生産に雇傭される労働者は、この利益配当に代え、半期毎の給付を得る。事 業の経営と收支決算には関与しないが、衆議院を通じて国民として国家の全生産に つき発言できる。 註一。労働者は労働を売却する者とするのは旧派経済学の誤った説である。企 業家が企業的能力を資本である機械、鉱山、土地などの上に加えて利益を計ると同 じく、労働者はそれらの資本に労働を加えて利益を計る。機械そのものは人類の知 識を結晶した祖先の遺産であり、社会の共同的産物である。鉱山、土地などはまった く自然の存在であり、その分配、所有に関する権限は国家にある。これらの資本から 利益を得るには各種の人力を必要とする。企業家は企業的能力を提供し、労働者は 知能的、力役的能力を提供する。労働者の月給または日給は、企業家の年俸と等し く作業中の生活費のみとし、得られた利益を両者で配分する。一方の提供者には生 活費のみを与えて、その提供の結果生れた利益を与えず、他方の提供者のみが生 活費の外にすべての利益を專有することは、まことの不合理であり無智なことである。 それはほとんど下等動物の社会組織というほかない。労働者が経営計画に参与する 権利は、知力と力役の提供者としてである。 註二。国家生産の労働者に利益配当をしない理由は、国家は全生産の永遠的 経営を本旨とするため、ある省にはことさら投売を行わせて損失を顧みないことがあり、 またある省を犧牲としてある省の対外競争を優先することもあるからである。このような 場合に、省別に利益配当をすれば非常な不公平を生じ、甲省の労働者の利益配当 を奪って乙省の労働者に与える現象が起る。したがって、生産方針に関与する権利 は、国家全局の生産成績を達觀できる衆議院が行わざるを得ない。 労働的株主制の立法。個人の生産業中、株式組織の事業では、そこで雇傭され る肉体的精神的労働者にその会社の株主になる権利を与える。 註一。自己の労働と自己の資本とは不可分的に活動するからである。労働者は 事業に対する分担者としての当然な権利に基いて株主になる。制定する。だし別に 生産能力を考慮に入れる。 註二 。個人の生産業の限度内事業において、将来の半世紀、一世紀の間は現 代のような腐敗、破綻を招く恐れがあると推定できる。したがって労働者の株主を併 存することは、内容的根本的に常に当該事業を健全に維持する役に立つ。 註三。労働者の株主の労働争議に関する発言権は、株主会議内において行使、 解決し、一切の社会的不安を生じさせない。 借地農業者の擁護。私有地の限度内の小地主から土地を借りて耕作する小作人 を擁護するため、国家は別に国民人権の基本に立つ法律を制定する。 註一。限度以上の土地を分けて小作させる大地主は別に存在する。小地主対小 作人の間を規定して一切の横暴脅威を除去する細則を作る。 註二。一切の地主を排除せよと叫ぶ前世紀の旧革命論を、私有限度内の小地主 対小作人の間に巣食わせてはいけない。旧社会の惰勢が残るすべてのところに、旧 世紀の革命論は繁殖する。 幼年労働の禁止。満 16 歳以下の幼年労働を禁止する。これに違反して雇傭した 者は重大な罰金または体刑に処す。 尊族の保護の下に尊族の家庭において労働する者はこの限りではない。 註一。以上は国民人権の上から説明は不要であろう。満 16 歳以下としたのは、下 掲の国民教育期間だからである。体刑を課する理由は、国家の児童を保護するには 最も厳格でなければならないからである。国家の生産的利益の方面から見れば、幼 童を酷使するよりも、幼童の天賦を完全に啓発し、教育を施した後の労働の方が幾 百倍もの利益となるからだ。四海同胞の天道を世界に宣布しようとする者が、自らの 国家内における幼少な同胞を酷使して、何の国民道徳といえようか。 婦人労働。婦人の労働は男子と同様、自由、平等である。ただし改造後の大方針と して、国家は最終的に婦人に労働を負荷させない国是を決定しなければならない。 国家非常の際に、婦人が男子の労働に代り得るよう、男子と平等な国民教育を受け る必要がある。(「国民の生活権利」参照)。 註一。現時の農業発達の程度では、婦人を炎天にさらしてその美を破り、また貧 困者が多くなるであろう近い将来においては、婦人を工場で働かせてその樂を奪うこ とも、やむを得ない人間生活であろう。しかしながら大多数の婦人の使命は国民の母 たることである。婦人は、妻として男子を助ける家政労働の外に、母として保母の労働 をし、小学教師に劣らない教育的労働をしている。婦人は男子のできない分科的労 働を十二分に負担している。これらの使命的労働を捨て、まったく天性に合わない労 働に就くのは、婦人そのものを阻害するばかりか、その夫を阻害し、その子女をも阻 害する。この改造案により男子の労働者の収入が増え、優に妻子の生活を保証する ようになれば、良妻賢母主義の国民思想により、婦人労働者は漸次労働界から去っ ていくであろう。 註二。この点は女子参政権問題と同様、日本と欧米とが全然発達の傾向を異に して来た点であり、将来も異にしていかねばならない。日本婦人の人格は、欧米のよ うに男子と職業を争って認められるような将来を仮想する必要はない。国家組織が下 掲のように、母としてまた妻としての婦人の生活を保証し、婦人が男子と平等の国民 教育を受けるならば、その妻としての労働、母としての労働が人格的尊敬をもって認 識されるのは間違いない。 註三。婦人は家庭の光であり、人生の花である。婦人が妻や母としての労働にの み従事できれば、夫の労働者の品性は向上し、次代の国民である子女はますます優 秀となり、各家庭の集合である国家は百花爛漫、春光駘蕩となる。特に社会的婦人 の天地として、音樂、美術、文芸、教育、学術などの広い未開墾地がある。この原野 は六千年間婦人に耕やされず播かれずに殘っている。婦人が男子と同様に牛馬の 労働に服するなら、天は婦人の心身を優美纎弱には作らなかったであろう。 卷六 国民の生活権利 児童の権利。満十五歳未満の父母または父のない児童は、国家の児童としての権 利により、一律に国家の養育および教育を受ける。国家はその費用を児童の保護者 を経て給付する。 父が生存しており、しかも父に遺棄された児童も同じ。ただしこの場合は、国家は別 途その父に対して賠償を命じ、從わないものには労働を課して賠償に充てる。 父母の遺産を相続した児童、または母の資産あるいは特殊能力により教育される児 童は、国家と協議の上この権利を放棄してもよい。 註一。人の日常かつ終生の危惧は、子女の安全な生長にある。封建時代の武士 は、すべて後顧の憂いをなくすために、道義的努力あるいは犧牲的冒険を敢行した が、国民は子女の国家的保障を得るので、戦場においても平和の環境においても何 ら後顧の憂がない。児童の権利として、児童そのものを権利主体とする。児童は、父 母の如何にかかわらず、第二の国民として国民的人権を有するからである。 註二。母子家庭の児童が孤児と同一の権利を持つ理由は、婦人は男子である父 と同一の労働ができないからである。慈悲深い賢母を労働の苦役に驅り、貞節な良 妻を売淫の汚濁に投ずるのは、夫として、また子女として忍ぶことができない。国家は 夫と子女と婦人のために、国家としての義務を完うしなければならない。ただし母その 人の生活は母自身が維持しなければならない。 註三。父が生存していながら遺棄された児童も同じ扱いを受けるのは、すべてこ の理由による。結婚と単なる情交を差別しない。そして別途に賠償を命じ、父に同居 を強いない理由は、遺棄した事情が背徳にせよ、積極的活動のためにせよ、干渉す ベきでない別事だからである。 註四。父母ともにない児童を孤児院に收容しない理由は、孤児院の弊害が大き いことと、児童の保護者には血族長者に勝る者はないからである。まったく保護者の ない孤児は、もちろん国家が收容しなければならない。 註五。以上、児童の権利は同時に母性の保護ともなる。 国家の扶養義務。実の男子または養子の男子がない六十歳以上の貧困な男女、 および父または男子がなく貧困かつ労働に耐えない不具廃疾者は、国家が扶養の 義務を負う。 註一。婦人に実の男子または養子の男子を扶養する義務を負わせない理由は、 婦人は自分一人以上を生活させるだけの労働力がないという原則による。その婦人 が他家に再婚して新夫が扶養する力があっても、その婦人の老親の扶養まで夫の資 産、労働に依存することは、老親の屈從と不安を招く。さらに婦人の立場は夫の前に 著しく人格的尊重を傷つける。婦人に老親の扶養を負担させないのは、日本古来の 不文律であり、同時に婦人の人権の擁護である。 註二。実男子または養男子に貧困な老親を扶養させるのは立派な行為であり、 欧米の偽りの個人主義とは雲泥の差がある。あのロイド・ジョージ氏が試みた養老年 金法案は、国民の大部分が扶養してくれる男子がある日本では、ここに掲げる例外 的不幸を除き、無用な立法である。 註三。不具廃疾者の扶養を兄弟親族または慈善家の冷遇にまかせるのは、不幸 な者に虐待を加えると同じだ。その母または女子に負担させない理由は、愛情があっ ても扶養能力がないから、結局その兄弟または娘の夫の負担となり、立法の精神を 失うからである。 註四。兵役義務のため不具廃疾となった者の国家の扶養義務は、別に法律によ り十分な扶養を完うする。これは別個の問題である。 国民教育の権利。国民教育の期間を、満六歳より満十六歳までの十年間とし、男 女を同一に教育する。 学制を根本的に改革し、十年間を一貫して日本精神に基く世界的常識を養成し、国 民個々の心身を充実させ、各人が天賦を発揮できる基本を作る。 英語を廃して国際語(エスペラント)を第二国語とする。 女子の形式的、特殊的課目を廃止し、また小学、高等小学、中学校に重複するもの を廃して、正しい一貫教育を行う。 体育は男女一律に、丹田を鍛治(たんや)し、心身の充実具足をはかる。從来の機械 的直訳的運動および兵式訓練は廃止する。 男女の遊戯は撃剣、柔道、大弓、薙刀、鎖鎌などを個人的または団体的に興味ある ものとし、從来の直訳的遊戯を廃止する。 この国民教育は国民の権利として受けるものだから、無月謝、教科書給付、中食の 学校支弁を方針とする。 男生徒に無用な服裝の画一を強制しない。 校舍は前期を各町村にある小学校舍とし、後期を高等小学校舍とし、一切の物質的 浪費的設備を設けない。 註一。男女とも中学卒業までに、国民としての常道、常識の教育を終える。ようや く文字を解し得るかどうかという程度で国民教育を終了するのは、国民個々の不具と 国家の薄弱をもたらす。これは国家の窮乏による不十分な教育と、教育される国民に 余裕がないことが原因である。一貫した十年間の教育の終了と同時に、完全具足し た男女の国民が誕生し、その基本をもとに各自がさらに使命的啓発に向って進むこと ができる。 註二。女子を男子と同一に教育する理由は、国民教育が常識教育であることと、 まだ分科的專攻を許す年齡ではないことによる。満十六歳までの女子は、男子と差 別する必要も理由もない。したがって女学校特有の課目、女の礼式、茶湯、生花また 女子の專科とする裁縫、料理、育児等の特殊課目はすべて廃止する。前者を強制す るのは無用であり有害である。後者は各家庭において父母の助手として自ら修得す ればよい。女子に礼式作用が必須課目なら、男子にも男子のそれがなくてはならな い。茶の湯、生花が必須なら男子に謠曲を課さねばならない。車夫の娘にビフテキの 焼き方を教授し、外交官の妹に袴の裁ち方を説明し、月経なき少女に育児を講義す るような今の女子教育のすべては、乱暴、愚劣、真に百鬼夜行の状態である。学校 はすべてではない。各人の欲する所にしたがい、各家の生活事情に応じて学ぶこと はたくさんある。 註三。英語を廃止する理由。英語は国民教育として必要ではなく、また義務でも ない。現代日本の進歩のために、英語国民だけが世界的知識の供給者ではありえな い。また日本は英語を強制される英領インド人ではない。英語が日本人の思想に与 えつつある害毒は、英国人が支那人を亡国民とした阿片と同じである。英語ほど普及 せずしかも英語思想以上に影響を与えたドイツ語により、英語の害毒が緩和されたの は日本の天裕であった。英語国民の淺薄な思想を通じて、空洞な会堂建築として輸 入されたキリスト教。人格権の歴史的覚醒である民主々義が哲学的根拠を欠如した 民本主義となって輸入されつつあるデモクラシー。英米人が持続を熱望する国際的 特権のために宣伝されつつある平和主義、非軍国主義。その特権を打破するために 存在する日本の軍備および戦斗的精神に対する非難として輸入されつつある内容 皆無の文化運動。これらを見るだけで、一利に対して百害あることは明瞭で、阿片輸 入の支那を思わせる。言語は直ちに思想となり、思想は直ちに支配となる。英語の能 否により軽佻浮薄な知識階級者を作り、店頭に、書籍に、談話に英単語を挿入して 得々として恥じない国民に何の自主的人格があろうか。国民教育において英語の全 廃はもちろん、特殊の必要な專攻者を除き、全国より英語を驅逐することは、国家改 造が国民精神の復活的躍動をもたらす根本義であるから、特に急務としなければな らない。 註四。国際語を第二国語として採用する理由。しかしながら日本語については、 他の欧米諸国に見ない国字改良、漢字廃止、言文一致、ローマ字採用など、議論が 百出している。国民すべての大苦惱は、日本の言語文字が著しく劣悪なことにある。 その中でもっとも急進的なローマ字採用を決行すれば、幾分文字の不便は解消され るが、日本語の文法は思想の配列表現から見てことごとく心理的法則に背反している。 英語を訳し、また漢文を読むと、日本文は顛倒して配列しているのを発見する。国語 問題は文字や単語だけの問題ではなく、言語の組織を根底から変革しなければなら ない。ただ不幸中の幸いは、中学教育に英語を課してきた慣習のため、ある程度の 教育者も被教育者も、何らかの言語を習得する必要は確信している。国際語(エスペ ラント)の合理的組織と簡明正確さと短日月での修得可能なことは世人の知るとおり である。成年者が三ヶ月または半年かかる国際語の修得が、中学程度の児童は一、 二年で完成する。英語を五年間沒頭してなお何の実用にも応じられないのと比べれ ば、はるかに有用である。児童は国民教育期間中に国際語を世界的常識として習得 すべきである。欧米の革命的団体は大戦のはるか以前にこれを国際語とする決議を したほどである。もっとも不便な国語に苦しむ日本はその苦痛を逃れるために、先ず エスペラントを第二国語として並用すれば、自然淘汰の理法により、五十年後には国 民全部が自ら国際語を第一国語として使用するようになる。そのとき今日の日本語は、 特殊な研究者が研究するラテン語のような取扱いを受けるであろう。 註五。国際語の採用が特に当面切迫する積極的理由。次巻の国家の権利に説く ように、日本がもっとも近い将来に、極東、シベリア、オーストラリアを主権下に置くとき、 現在の欧米各国語を有する者のほかに、新たにインド人、支那人、朝鮮人の移住を 迎えるから、ほとんど世界すべての言語が我が新領土内に混在することになる。これ に対しては、朝鮮人に日本語を強制したように、自ら不便に苦しむ国語を比較的良 好な国語を有するヨーロッパ人に強制することはできない。インド人、支那人の国語も 決して日本語より劣悪とはいえない。この難問は実に三、五年の将来に迫る問題であ る。主権国民がシベリアではロシア語を語り、オーストラリアでは英語を語る顛倒事を 避けるには、日本領土内に一律な公用語を決定し、彼らが日本人と語るときの彼らの 公用語としなければならない。劣悪な者が亡び優秀な者が殘存する自然淘汰律は、 日本語と国際語の存亡を決する。百年以内に日本領土内のヨーロッパ各国語、支那、 インド、朝鮮語は当然に国際語のために亡ぶであろう。言語の統一なくして大領土を 有することは、ただ瓦解に至るまでの一朝の花の栄華にすぎない。 註六。体育を丹田(精神)本位と決める理由は、単に肉体の一面のみでは根本的 体育とはいえないからである。この点はすでに日本の各方面に先覚者が輩出して実 証している。天はインドに起ったアジア文明を、世界から封鎖された日本を選んで保 存した。単に手足を動かし、器具に依頼し、散歩、遠足により肉体の強健を求める直 訳的体育は、根本を忘れて枝葉に走ったヨーロッパ人の悪模倣である。特に女子が 優美纎麗のまま強健を得るには丹田の根本を整える以外に方法はない。変性男子 のような醜い手足を作り、しかも健康の根本を養わない直訳的体操は特に厳禁する。 註七。兵式体操を廃止する理由は、その形式が丹田の充実を忘れた外形的整頓 に捕われすぎているからである。次に述べるように日本国民は永久に兵役の義務を 有すること、またこの訓練を経て得られる一年志願兵の特権は廃止されることにより、 兵役において必要なことはすべて兵営においてなされねばならない。もう一つの理由 は、日本の将来は陸上にあると同一以上の程度において海上にあるから、国民教育 においてただ陸軍的模倣をし、海兵的訓育を閑却することは矛盾するからである。国 民教育の要は、根本の具足充実に在る。丹田本位の心身を鍛冶し、十年間一貫の 常識教育を施せば、海兵にも陸兵にも役立つ。兵の素質は二等兵でも今の少尉級 に劣らないようになる。 註八。単純な遊戯として男子が撃剣、柔道に遊び、女子が長刀鎖鎌を戯れるの は、興味においてベースボール、ソフトボールなどとは雲泥の相違がある。精神的価 値を挙げて遊戯の本旨を傷つけてはならない。これは生徒の自由に任せるのがよい。 現今の武器の前に立つのに、これらの古い尚武的価値を求める必要はない。日本人 の一般生活に沒交渉な直訳的遊戯を課する滑稽さは、床柱を背にして小猿のように 跪坐する洋服姿と同じだ。 註九。国民教育の対象である児童に対して、無月謝、教科書給付、中食の学校 支弁をする理由は、国家が国家の児童に対する父母としての日常義務を果すためで ある。現今の中学程度の月謝と教科書の負担は一般国民に対する門戸の閉鎖であ る。無月謝より生ずる負担は各市町村が負い、教科書は国庫の経費により全国の学 校に配布する。中食の学校支弁の理由は第一に登校児童のために毎朝母を苦労さ せないことだ。第二の理由は中食に一塊のパン、薩摩芋、麦の握飯など簡単な粗食 を出し、滋養価値などを云々して真の生活を悟り得ない科学的迷信を打破するため である。第三の理由は、幼童の純白な頭腦に、口腹の欲に過ぎない物質的差異で一 切の高下を評価する現代までの悪徳を捨てるためである。学校としては簡単な事務 であり、さして負担にはならない。もし児童が家庭の悪感化により、食事を拒む児童が あれば、教師の権威をもって保護者を召喚訓責すすればよい。 註一〇。今の中学程度の男子生徒に、制服として靴、洋服を強制することは、門 戸閉鎖の有力な一理由となっている。その不合理なことは、現時の欧米に「きもの」服 が普及したからといって、室内の制服として強制するのと同じである。和服の不便な 裁ち方ということとは別問題である。日常の衣服を登校に用いることができないという 大不便を父母の経済に課して、なにごとの便不便を論ずるか。実に今の日本教育の すべては、教育ではなくただ外形の摸倣である。 註一一。校舍に巨費を投ずるのはまた最悪な直訳的模倣である。国民教育の根 本的革命は戒厳令施行中より実施すベきであり、現時の校舍を直ちに使用すること を明示する。器械的科目である理化学についても、今の中学校程度で専用の教室を 設備するなどは摸倣的浪費の一つだ。 註一二。以上の国民教育の説明により、大学および大学予備校の方針と、生徒 の自費負担などが推定されよう。そして不用な各地の中学、女学校舍は、取り壊すか 大学予備校の校舍、単科大学の校舍とすればよい。 婦人の人権の擁護。夫または子が母親の労働を重視せず、婦人の分科的労働を 侮蔑する言動は婦人の人権の蹂躙である。婦人はこれを告訴できるよう、婦人の権 利を保護する法律を作る必要がある。 有婦の男子が蓄妾または他の婦人と姦した場合、婦の訴により姦通罪を適用する。 売淫婦の罰則を廃止し、これを買う有婦の男子は拘留しまたは罰金に処する。 註一。現行法律で離婚の理由となっている虐待云々の意味でいっているのでは ない。この訴えは必ずしも離婚を目的としない。婦人が男子の労働により衣食すると いう誤解があるが、男子の労働は、実はかえって婦人の分科的労働の助力があるた めに可能であることを忘却する横暴な行爲を禁じ、特に法律により婦人の人権を擁護 するものである。もしこの立法が男子の道念によって行われない場合、忌まわしい婦 人労働となり、婦人参政権運動となるのだ。 註二。男子に姦通罪を適用することは、第一に一夫一婦制の国民道徳の大本を 明かにするためである。国家の興廃はことごとく男女の大本の清濁に在る。ヨーロッパ 諸国にノアの洪水が生じた理由を考え、同胞を虐殺して地獄を現世に示しつあるロ シアを考えよ。道徳の大本がいかに早くから腐敗しつくしたことか。日本国民に全ア ジアの盟主となる大使命があるなら、人倫の大本を厳守励行する立法は、一日も忘 れてはならない。第二の理由は、国家は国家の児童に対して大父母という立場にあ る。生みの父母は単純に保母の責任を負う。保母の一方が殘虐な苦痛を他の一方に 加えれば、その横暴と悲慘とを日常見聞する児童は悪い感化を受ける。これを防ぐた め、国家は大父母の権利を行使し、殘虐な一方を処罰する。第三の理由は婦人の人 権の擁護である。 註三。一夫一婦制の励行は、直訳革命家の自由恋愛論の人生の理解とは根本 的に異なる。彼らに從えば、男子の姦通罪を罰する法律の代りに女子の姦通罪を罰 する現行法律を廃止すればよいというだろう。自由恋愛論の価値は恋愛の自由を拘 束する現代の政治的、経済的、宗教的阻害者を打破する点にある。これを一夫一婦 制に対する途方もない反逆と考えるのは、低能者の妄言である。国民平等の自由が 特権ではないように、一夫一婦制は何らの特権ではない。自由は自由の侵害者を拘 束する。一夫一婦制は妻の恋愛を自由にするため、夫の濫用する恋愛の自由を制 限するものである。彼らの昏迷した自由の解釈は、放火の自由、殺人の自由も自由 だと結論するのに等しい。すべての自由が社会と個人の利益のために制限されるよう に、恋愛の自由も国民道徳とその保護者のために制限されて当然である。この一夫 一婦制は理想的自由恋愛論の徹底した境地である。ただし今はまだこれを説く時期 ではない。 註四。現行法律が売淫婦人をのみ罰して買淫男子を罰しないは、姦通罪が婦人 をのみ罰して男子を罰しないのと等しい片務的横暴である。貞操の売買は、この改造 組織の後には漸次消滅すると信ずる。近い将来に存在する新社会に向けて、国家は 両者共に法律を以て臨む方針を取るべきである。有婦の男子が淫を買うのは明らか に一夫一婦の大本に紊(もと)るから、別個の意味で加罰する。拘留罰金は婦人の訴 えがない場合には姦通罪を適用しない原則にもとづく。国家の制裁を受けることによ り、男子は家族に対する権威を失い、友人の信用を損する重大な苦痛を受けるから、 自ら身を愼しみ、もって婦人々権の擁護となり、全家族の生活の保障を増すであろう。 註五。独身の男子を除外するのは、決してその性慾を正当化するものではない。 婦人が純潔を維持するように、男子が童貞を完うして結婚することは双方の道義的責 務である。これを罰しない理由は、未婚婦人が純潔を破っても法律が関与しないとお なじく、道徳的制裁の範囲に属するからである。 国民人権の擁護。日本国民は自由平等の国民として人権を保障される。この人権 を侵害する各種の官吏は、別に法律の定めにより、半年以上三年以下の体刑を課す。 未決監にある刑事被告の人権を損傷しない制度を定める。また被告は弁護士のほか に、自己を証明し弁護してくれる知己友人その他を弁護人とすることが出来る完全な 人権を有する。 註一。人権を蹂躙し、かえって得々としている我が国の官吏ほどひどいものはな い。これは欧米諸国より一歩先んじようとする国民的覚醒を裏切る大汚濁である。体 刑と明示する理由は、体刑によらなければこの弊風を一掃できない官吏横暴国だか らである。この恐怖から生まれる反省は、鏡に掛けて見るようにはっきりしている。 註二。今は未決監にある被告を予備囚人として待遇している。これは純然たる封 建遺風である。これを反対に無罪な者と仮定するとき、現時のような凌辱はないであ ろう。警察も同じだ。未決期間の日数を刑期に加算しているのを見ても有罪を仮定し ているのは明らかだ。この根本が明白なら、未決監中の人権蹂躙は自ら跡を絶つで あろう。 註三。被告人は罪人ではない。したがって弁護人の自由を無視し、制限する理由 はない。特に職業弁護人と限られるために、被告の平常や事件の真相に通ずる者が 直接に法官に訴えることが出来ない。そのため事件の鑑察、法の適用において遺憾 が多く、被告の不利、ひいては法官の判断を誤り、法の威厳を損傷しているのが現状 である。 註四。社会主義者のある者は、一切の犯罪がない理想郷を改造後の翌日より期 待する。それは空想である。現今の政治的、経済的組織より生ずる犯罪の大多数は、 直ちに跡を絶つであろう。しかし国家の改造とは人間の物質的生活の外包的部分で ある。終局は国民精神の神的革命がなければならない。十年一貫の国民教育が精 神改造の根本的、内容的部分である。 勳功者の権利。国家に対しまたは世界に対して勳功がある者は、戦争、政治、学 術、発明、生産、芸術を差別せず、一律に勳位を受け、審議院議員の互選資格を得、 現在より高額な年金を給付される。 婦人も同じである。ただし婦人は政治に関与しない原則であるから、審議院議員の互 選資格は与えない。 註一。国民は平等であるとともに自由である。自由とは競争による差異ができると いうことだ。国民が国家的保障を平等に得れば、国民の自由はますます伸張し、各 人が異なった能力を発揮できる。 註二 。勳功に伴う年金が現時のように消極的な小額ではいけない。すべての光 栄はそれを維持するだけの物質的条件を備えねばならない。 私有財産の権利。限度以下の私有財産は国家または他の国民が犯すことのでき ない国民の権利である。国家は将来ますます国民を豊かにして、国民の大多数が数 十万、数万の私有財産を持つことを国策の基本とする。 註一。社会主義、共産主義を誤解し、私有財産を分与するもののように考え、ま たは国民のすべてにその日暮しの生活をさせるものと考えるのは、現実的改造が要 求されつつある現代社会革命説の躍進的進歩を解しないものである。したがってこの 改造後の国民は、いかなる思想に導かれるにせよ、国民の財産権を犯す者は、人類 社会の存する限り存する法律の原則により、強窃盜として罰せられ、または乞食とし て待遇される。 註二。年々多大の收益があり、私有財産の限度を超過したときに、超過額を国家 に納付しない目的で、超過額を自己自身の欲望にしたがい消費するのも国民の権利 である。この権利は国家の保障する所有権の行使であり、その消費が道徳的であろう と酒色遊蕩であると問う必要はない。人は各々自分を中心とし、または自分を分子と する小社会を国家内に有し、ある者は国境を超越した大社会の中心または分子とな る。したがって彼の消費を收得する者は他の国民である。私有財産限度制は国家と 国民を害しない程度の富の限度を定めだけであって、これを誤解して、限度超過額 の上納を強制し、または国民の独自の消費を拘束するものと考えてはならない。 遺産相続の平等分配制。特定の意志を表示しない限り、父の遺産はその妻と子 女に平等に分配し相続される。 妻の遺産は夫がすべて相続する。 註一。遺産相続の正義を規定するのは、この合理的改造案であり、この案は近代 的個人主義の要求を基調としている。 註二。現代日本にのみ存する長子相続制は、中世期の家長制の腐屍である。父 母の愛の百千分の一に足らない長子の愛情利害に、弟妹の一切の運命が盲從しな ければならないのは、沒人情の極みである。人情の本然がすべての法律道徳の根源 であることを忘れてはならない。 註三 。国家が遺産相続に際し課税しない理由は、相続者は非相続者の肉体的 延長だからである 卷七 朝鮮その他の現在および将来の領土の改造方針 朝鮮の郡県制。朝鮮を日本内地と同一の行政法の下に置く。朝鮮は日本の属邦 ではない。また日本人の植民地でもない。日韓合併の本旨に照らして日本帝国の一 部であり、一行政区だという大本を明らかにする。 註一。朝鮮を日本のアイルランドとするなら、将来大ローマ帝国を築こうとする日 本には、全然その能力がないことを第一歩で立証することになる。由来朝鮮人と日本 人とは、米国内の白人と黒人のように人種的差異があるわけではない。単に一人種 中最も近い民族に過ぎない。従って、朝鮮の過般の暴動と米国市中の黒人白人間の 争斗を比較すると、日本の恥辱は幾百倍も強い。朝鮮問題は同人種間の問題である から、人種差別撤廃の問題ではない。一に統治国である日本の能力の問題であり、 責任問題であり、道義問題である。 註二。朝鮮人が異民族である点は言語と風俗の一部である。国民生活の根本思 想においては、有史以来日本の文明交渉が朝鮮を経由したことで明らかなように、ま ったく同一系統に属する。そして現在日本人の血液が如何に多く朝鮮人の血を混じ えているかは、人類学上日本民族が朝鮮、支那、南洋および土着人の化学的結晶と されていることでも明白だ。特に純潔の朝鮮人の血液を多量に引く者は、彼と密接な 文明交渉のあった王朝時代の貴族に多く、現に公卿華族と稱せられている人々の面 貌は、多く朝鮮人に似ている。王朝の貴族に朝鮮人の血液が多量に入ったことは、 その貴族の血液が皇室に入ったということでもある。日本の元首は朝鮮人と沒交渉で はなかった。今回の朝鮮太子と日本皇女との結婚により、日鮮の融合がはじめて試 みられたのではない。決して人種問題ではないのである。 註三。要するにすべての原因は朝鮮が日本、支那、ロシアの三大国の間に介在 し、自立ができない地理的制約と、内部の道義的頽廃により、政治、産業、学術、思 想すべてにわたって腐敗を招き、内外相応じて亡びたのである。朝鮮そのものの歴 史が示すとおり、また清国が属国化するために起きた日清戦争、ロシアが満州侵略を 企図して破れた日露戦争が示すように、内外呼応して亡国となった原因をみると、朝 鮮の統治者は日本でなければロシアか支那のどちらかであったのは明白である。日 本の国防に取って、もし朝鮮が日本の脅威である強国の領有または同盟者となった 場合は、あたかもイギリスに取ってベルギーがドイツの領土とか同盟国になったと同じ く、国家の存亡問題である。今次の大戦でもしベルギーがドイツと握手し、イギリスの 軍隊がそれを撃破しベルギーに滯陣したとせよ。イギリスは講和会議においてベルギ ーの独立を承認しないばかりか、明らかにその領有を主張するであろう。朝鮮の亡国 的腐敗は、ことごとく事大的な国是となって現われ、日清戦争においては清国に從い、 日露戦争においてはロシアを迎え、少しもイギリスとベルギーの結束に似たものがな かった。これは開戦原因を顧みれば明白だ。この間、かの革命党のみが大局を達観 し、日本と結び独立を企図して苦労したが、ついに日露開戦に至るまで国政を握って 志を得られなかった。そして戦争中の日本の朝鮮における立場は、イギリスのベルギ ーにおけるとは異なり、実力によって朝鮮全部を収めたのである。国内の革命党は依 然として志を得ず、ロシアも依然として強大な影響力を維持し、講和条約は単なる休 戦条約として調印された。自立できない地理的誓約と真底から契盟できない亡国的 腐敗のために、日本はロシアの復讐戦に対する自衛的必要により、朝鮮独立擁護の 誓いを取消したということが真相である。これは侵略主義ではない。またいうところの 軍国主義でもない。朝鮮を領有する結果を見て、侵略者と非難するのは昏迷者の狂 言であり、重大な罪悪である。朝鮮の亡国史を知り、ロシアの脅威に戦慄した危機を 顧みるなら、アイルランド独立問題を朝鮮に直訳して論ずる理由はない。空疎守旧の 学説と薄弱な意志と衆愚の喝采を得たいとする虚栄と、通俗政治家の標本であるウイ ルソンの通弁に得々としている学者の反省を求める。 註四。したがって日本存立の国防上から、朝鮮は永久に独立を考えてはならない。 ロシアの脅威はツアーが亡びたから消えたと考えるのは歯牙にも足らない淺慮である。 ツアーが侵略して来ようと、レーニンが幾多の誤謬を持つ社会革命説を奉じて殺到し て来ようと、日本が国防上朝鮮に拠って戦うことは、国家の国際的権利である。特にロ シアの脅威は、過渡時代のレーニンではなく、レーニン亡き後真に再建される十年後 の将来にある。ようやく中世史の革命を学びつつある未開、後進のロシアに対するに は、現代的再建を想像するよりも、反動の襲来または真の建国者が出てピョートル大 帝の再現を恐れる。 註五。国防上朝鮮を独立させないということは、イギリス人がインドを独立させず、 またアフリカ植民地を独立させないということとは全く別である。インドがイギリスの属 邦であり、英領アフリカが植民地であるのに対して、朝鮮は日本の属邦でもなく、植民 地でもないと明示した理由は、インドまたはアフリカの住民が全然イギリス人と人種を 異にするのに対して、日鮮人は古来の混血融合ばかりでなく、同一人種中のもっとも 近い異民族である点で、属邦でもなく植民地でもないのだ。朝鮮は日本の一部であり、 北海道と等しくまさに「西海道」である。日本皇室と朝鮮王室との結合は、日鮮人の民 族合同の大本を具体化したもので、泣く泣く匈奴に皇女を降嫁させるような政略的な ものではない。現時の対鮮策は、イギリスの植民政策を摸倣しているため、日韓合併 の天道に根本精神から反している。朝鮮が日本の西海道である根拠を明らかにする とき、百般の施設はことごとく日鮮人の融合統一を果し、独立問題などは願っても生 じないのである。 註六。コルシカ島民の大皇帝は、コルシカ独立の戦陣の中に生まれ、独立の激 情を抱いて敵国の士官学校に学んだ。しかもフランス革命がコルシカをフランス本国 と平等に扱い、コルシカ島民をフランス人の自由に開放すると、独立党の青年士官は フランスに対する愛国心をエルバ島に葬るまで変えなかった。日本海を庭の池として 南北満州と極東シベリアにまたがる革命大帝国を建てる時、朝鮮は特にその心臟肺 肝の位置を占める。日本の本国の一部としての平等、日本人としての自由を対鮮政 策の眼目とする。 朝鮮人の参政権。約二十年後を期し、朝鮮人に日本人と同一の参政権を与える。 この準備のために、約十年後より地方自治制を実施して、参政権運用の準備をする。 註一。これはいうまでもなく、いま流行のいわゆる民族自決主義ではない。朝鮮が 日本の西海道であり、朝鮮人は日本人と大差ない民族であるから、日本国民としての 国民権を最初にかつ完全に与えることを明らかにする。 註二。ナポレオンの世界統一主義に対して起った民族主義が、近世史の一大潮 流となったのは言うまでもない。ただこれがあの暗愚なウイルソンの口から、民族自決 主義と呼ばれると、空想化し滑稽化してしまう。自決とは一体なにか。ある民族がその 国家組織を失う原因は、外部的圧迫と内部的頽廃により、自決する力を失うためであ る。覚醒した民族が内部的興奮により外部的圧迫を排斥する時、無用な自決の文字 を加えないのが伝来の民族主義である。幾多の民族の中には、自決のできる覚醒的 民族とそうでない民族があるは、等しい人間の中に自決できない八十歳の老婆や十 歳の少女があるようなものだ。民族主義の本旨は、人道主義という合理的命題である。 これを民族自決主義と名付けるのは、人道主義の命題に代えて人間自決主義という のと同じで、笑うほかない。老幼男女を論ぜず、各人の人格を認識する人道主義を 滑稽化して、八十歳の老婆にも生活を自決させ、十歳の少女にも恋愛を自決させる とは。ある民族は老婆で、ある民族は少女なのか。この国際間の民族の老幼を圧迫し 虐待しないのが人道主義であり、民族主義の終局の理想である。現時の強国中、各 種の老幼の民族を包含しない国はない。各家庭において老婆や少女がいるのと同じ だ。彼らに向って自決を迫れば、各家庭は分散し、一切の強国も分解する。強国の 無用をいうなら、ウイルソンはベルサイユに行かず、スイスの社会党大会に列席すれ ばよい。非国家主義、世界統一主義を掲げ、堂々たる主張をする彼らは大歓迎して、 噴飯ものの命題を唱える策者を嘲弄すするであろう。 註三 。合併以前の朝鮮は、八十歳の老婆のように自決の力がなかった。合併以 後まだ自決の力がないことも、十歳の少女のようである。いかなる枝葉末節の非難が あるにせよ、朝鮮はロシアの玄関先で老婆のように窮死するところを、日本の懷に抱 かれて少女のように生長しつつある。これは無視できない。すでに日本の懷に眠る以 上、日本建国の天道により、一点の差別もない日本人である。日本人とし日本人とし ての権利において、生長とともに参政権を取得するのは当然である。 註四。約十年といい、約二十年という年限を予定したのは、過去の專制政府が民 権運動に讓歩するとき設定するような、なるベく長く專制を維持しようとする留保期間 ではない。数百年間の半亡国史は、実に朝鮮人の道念をも生活をも腐敗しつくした ので、真の国家的覚醒ある鮮人は、現在新精神により教育されている人々の生長に 待つほかないからである。教育とは必ずしも喋る教師ではない。必ずしも日本語の教 科書ではない。愛国的暴動を覚醒して顧みれば、貴重な政治教育の一つとなる。医 学に万能の薬がないように、政治学に参政権を神権視することは欧米の迷信である。 かの投票神権説に魅せられて、鮮人にまず参政権を与え、政治的訓練をしようとの 考えは、権利の根本である覚醒的生長を閑却した愚人の所説である。日本は真の父 兄的愛情をもって、このような短時日間に道義的使命を果たし、異民族を利得の目的 とする白人のいわゆる植民政策なるものに鉄槌を下さねばならない。 三原則の拡張。私有財産の限度、私有地の限度および個人の生産業の限度の三 大原則は、大日本帝国の根本組織だから、現在および将来の帝国領土内にすべて 適用される。 註一。東洋拓殖会社の横暴は、最近の東インド会社に学ぼうとする一大罪悪だ。 日本のアジアに与えられた使命は、英人の罪悪を再現することではない。拓殖会社 の土地は、土地私有の限度により、一度国家に徴收し、朝鮮に在る内鮮人は平等の 権利において分配を受ける。日本建国の精神は内外人を区別して正義を二つにしな いことを誇りとする。今の朝鮮における拓殖政策は、欧人の罪悪的制度を直訳したも のが多い。日本はすべてにおいて悪い模倣より脱却し、大本に帰る必要がある。 註二。将来の帝国の領土中、先住国民中の大富豪、大地主が多大の土地を独 占し、または生産業を專有する時、これを是認するなら、日本国家は彼らの不義な財 産の保護を負担しなければならず、日本国民はただの小作人、労働者に過ぎないこ とになる。これは主権国民としての自負と欲望の点から、是認できない。是認すれば 国家の法律を曲げて自国民を保護し、彼らの財産を奪おうとする非道を正さねばなら ず、国家の恥となる。故に日本の本国がまずこの三大原則を確立し、次いで拡張され た領土に臨めば、真の公平無私が自ら実現する。大領土を有する名実具足の大日 本帝国を考える者にとって、この三大原則を確立する日本自らの改造は、将来の建 設のため避けることのできない準備なのである。 現在の領土の改造順序。朝鮮、台湾、樺太などの改造は、この三大原則を実行 するに止め、しばらくおいてからその他を施行する。十年ないし二十年後に、日本人 と同一の生活権利を得る方針でよい。ただし三大原則の施行は、日本内地の改造を 終った三年後、戒厳令を撤廃すると同時に着手する。 これらの領土内には在郷軍人団がないので、国家任命の改造執行機関が土地、資 本、財産の調査と徴收に当る。 改造執行機関は、日本内地の改造に経驗を得た官吏または在郷軍人団の中から任 命する。 註一。日本の改造を終った後に着手する理由は、日本内地と同時に着手すれば、 無智と事情不通のために内地の紛情を誤伝し、不安、騷擾をもたらすからである。第 二の理由は、在郷軍人団という好適の機関がなく、今の植民政策的頭腦の総督府な どがこの大任に当るのは、不正不義を殘し、改造の精神を傷つけるばかりか、意外な 変を招く恐れがあるからだ。第三の理由は、三年間の日月は日本の整然とした改造 組織を伝えるのに十分な時間だから、日本大多数の国民の歓喜を伝え、彼らの大多 数の国民も早くその福利惠沢に浴したいと思うだろうからである。 註二。過般の朝鮮の内乱は、今の総督政治が一因である。しかも根本原因は、日 本資産家の侵略が官憲と結び、彼等の土地を奪い財産を掠めて生活不安を与え、 怨恨を糊口の資に結び付けたことにある。ウイルソンなどの呼びかけは何の影響もな い。国家の内外を毒して、ついに大ローマをも亡ぼしたのは金権政治であったことを 忘れてはならない。 改造組織の全部を施行する新領土。将来取得する新領土の住民で、文化に おいて日本人とほぼ等しい程度にある者は、領土の取得と同時にこの改造組織の全 部を適用する。ただし改造は日本の本国より派遣された改造執行機関により行う。 領土取得の後に移住して来た異人種、異民族は、十年間居住の後、国民権を賦与 され日本国民と同一無差別な権利を持つ。 朝鮮人、台湾人など、まだ日本人と同一の国民権を取得する時期に達しない者も、こ の新領土に移住した者は居住三年の後は同様に取り扱う。 註一。例えばオーストラリアを取得した時、その住民の文化程度は直ちにこの改 造組織の下で生活できる。極東やシベリアではその程度にいたっていないから、まず 三大原則を施行し、順を追って施行していく。 註二。将来の新領土は異人種、異民族の差別を撤廃し、日本自ら範を欧米に示 す。オーストラリアにインド人種、支那民族を迎え、極東、シベリアに支那、朝鮮民族 を迎えて先住の白人種と統一する。よって東西文明の融合を支配し得る者は、地球 上只一つ、大日本帝国あるのみ。したがってこの改造組織をそれらの領土に施行し、 主権国民は私利横暴を自制するとともに、先住の白人富豪を一掃して世界同胞のた めに真の樂園の根底を築くことが必要である。単なる地図上の彩色を拡張することは 児戯にすぎない。天道宣布のために選ばれた日本国民は、まさに天意により亡ぼうと するイギリスの二の舞を演じてはならない。 註三。朝鮮人、台湾人が故郷にあっていまだ取得する時期に達していない国民 権を、この領土においては三年後に取得できる理由は、すでに移住し居住している ほどの者は、大体において優秀だからである。第二に白人の新移住者やインド人、 支那人の移住者が取得するものを、早くから日本国民になっている彼らに拒絶する 理由がないからである。第三の理由は、東西文明の融合を促進するため、特に日本 の思想制度に感化された彼らの移住を急ぐためである。 註四。日本人の改造執行機関を直接土着人に当らせない理由は、主権本来の 性質として説明の要はない。 卷八 国家の権利 徴兵制の維持。国家は国際間における国家の生存および発展の権利として、現 時の徴兵制を永久に維持する。 徴兵猶予、一年志願などは廃止する。 現役兵に対して国家は俸給を給付する。 兵営または軍艦内においては階級的表章以外の物質的生活の区別を廃止する。 現在および将来の領土内における異民族に対しては、義勇兵制を採用することがあ る。 註一。支那でいう傭兵は、英米では義勇兵と名付ける。雇備契約による兵士であ る。これは彼らの国民精神に適合する制度である。アメリカの建国が社会契約説を理 想として植民した者の契約結合であるのは、前説したとおりである。イギリスはこの謬 説の誕生地だから、今なおジョンブル・ソサイエティと名乗るようにイギリス帝国そのも のを組合視し、会社視して、すべて社会契約説に基く立法をする。したがって国防に おいても組合と組合員との間に雇傭契約を締結するのは、アメリカの建国、イギリスの 国家組織として少しも不思議ではない。しかしこれをもとにベルサイユ会議で英米が 日本に傭兵制度を強いたのは何という迷妄か。日本は建国精神より、また現代国民 思想のすべてにおいて、日本帝国を契約により組織したことは一度たりとも考えたこと がない。日本国民の国家観は、国家は有機的不可分な一大家族だという近代の社 会有機体説を、深遠広大な哲学的思索と宗教的信仰とにより発現した古来一貫の信 念である。徴兵制度の形式は独仏に学んだが、徴兵制度の精神である国民皆兵の 義務は、中世封建の期間を除き、上世建国時代に発源し、さらに現代に復興して横 溢しつつある国民的大信念である。日本の講和委員は、なぜ英米と日本とが国民精 神の根本、国家組織の信念を異にする理由を指摘して、日本国民固有の国家有機 体的信仰を彼らに教えなかったのか。徴兵制そのものが直ちに軍国主義にならない ことは、徴兵制を持っていたために辛うじてドイツを防御できたフランスが、会議で軍 国主義として攻撃されなかったことで証明できる。日本の講和委員は、なぜカイゼリズ ムと日本の国家有機体的信仰より結果する国民皆兵主義とを混同して臨んだ無智の 昏迷者に教えなかったのか。軍国主義か否かは、傭兵と徴兵とにより決まるものでは ない。軍備に依存して弱国を併呑し、私慾をほしいままにする者が軍国主義なら、か つて陸上においてドイツがそうであったように、海上においてイギリスが行いつつある ものは、間違いなく完成した海上軍国主義である。この軍国主義国が、単に自己が 問題外な傭兵制をとっているという理由で、他の徴兵により軍国主義者の侵害を防衛 しようとする国におのれの冠をかぶせようとするのは許せない。愚昧な善人が悪魔の ラッパ吹きにそそのかされ、それを日本に向って吹くとはアメリカ史上空前の恥辱であ ろう。 註二。したがって傭兵と徴兵との強弱を論ずることは無用な詮議である。英米の 国情において傭兵は必ずしも強兵を意味せず、日本の建国と信念においては、傭兵 は必ず弱兵である。これが徴兵制を明確な永久の制度とする理由である。ドイツが最 後に破れたといって徴兵制の価値を疑うのは非常な妄断であり、注意しなければなら ない。一人と五人が相撲を取って先に三人を倒した者が他の二人に足を奪われたの を見て、その人を弱者だということはできない。特にドイツが実戦した軍隊は徴兵制の フランスとロシアであり、甲の徴兵国が乙の徴兵国に破れたのである。今次の大戦で 英米が果した任務は、ただ海上封鎖により食料と軍需品とを遮断しただけである。英 米の傭兵とドイツの徴兵との優劣は実戦により立証されたものではない。ただ退却将 軍で古今独歩の文豪ヘーグ元帥の報告文により、イギリス傭兵の光栄が十分に認知 されたのは周知のとおりである。 註三。ある理想またはある信仰に基き、徴兵を否定する者が欧米に多く、日本に も国家の権利である徴兵制を非難する者がある。しかしながら自由恋愛の自由が他 の社会的生活を犯さないという意味において、思想の自由、信仰の自由も絶対的な ものではない。自由を誤解した解釈より生まれる思想の自由、信仰の自由は、自由恋 愛説の註に説明したところをそのまま移して説明できる。思想または信仰というものを 考えるとき、物質的価値のないもの、有害なものを神のように裁決できるような大処に 立つことが求められる。インド人が生殖器の形のリンガムを首に掛け、寡婦が薪を抱 いて夫に殉死することを天国に行く道と信仰し、チベット人や蒙古人が諸神と動物と の生殖行爲の彫像や図書を礼拜して極樂行きを信仰し、キリスト教徒中の旧教一派 が一度結婚した者の離別は地獄の火に焼かれると信仰する。これらの信仰が、信仰 だから自由だと認めることができないのは、恋愛だから自由だと認めることができない のと同じ意味である。思想、信仰の価値は、その民族精神が世界思想と戦って凱歌 を挙げた時に認められる。戦いの途中または退却あるいは降伏の状態において信仰 の自由をさけぶような信仰は、十字架上「我れ勝てり」として国家と世界の上にその自 由を建設する価値がない。あの兵役忌避を本旨とするクエーカー宗は、小乘教のキリ スト教でありながら天国の戦を目指し、地上においてなお「我れ刄(やいば)を交える ために来た」と宣言し、ついにローマを天火に亡ぼした。そうした歴史を持ちながら、 「殺すなかれ」の一項を盲守している。同じ一神教のマホメットは刄を交えるために来 たと明言して「殺せ」と教えるではないか。コーランとともに剣を示して殺せという信仰 と、殺すなという信仰とを両立させるために、liberty というアルファベット七文字に依 頼するような淺薄な信念が何の信仰であろう。クエーカー宗の価値は天理教より遙か 下であり、リンガム礼拜より多少上の程度のものだ。彼らの信仰が強固で、犧牲を甘 んずる事例を挙げて対抗するなら、低級な宗教でこのような例がいくらも挙げることが 出来る。こういう頑迷な者が多いから、殺せという囘教の信仰も出てくる。神は全智、 全能であるから、ノアの洪水により大殺戮を行った。今、六月二十八日に始まり六月 二十八日に終った五年間の屍山血河がある。神を信じてしかも殺すことを否むクエー カー宗徒は、神の能力と智見がこの殺戮を防ぐ完全者ではない、という根本信仰の 矛盾に立つ。キリストその人すら、彼の弟子たちに向って明らかに「我が神」「汝の神」 といい、神そのものに自他、彼我、大小、高低の差別をした。日本国民の神はクエー カー教徒の神に対して弥陀の利剣を揮う。生死の煩悶を天空に求めるような低級極 まる小乘的信仰をもって、インド文明の密封された宝庫としてようやく二十世紀の今日 を待って開かれる日本民族の大乘的信仰に対抗するのは、実に竜車に向うかまきり の斧である。信仰についてはこの通りである。学者文士の輩が口耳より濫造する思想 の自由もこんなものだ。将来クエーカー宗のような淺薄な非戦主義を輸入して徴兵忌 避を企てる者があれば、最も重い刑罰を断固として課してよい。 註四。徴兵猶予、一年志願兵などは、現時の教育の差などにより設けられ制度で あり、十年一貫の国民教育により、これらが存続する一切の理由は消失する。特に兵 士の質は、前註で説明したように今の少尉級に匹敵するから、おのずから現役年限 は短縮される。一年または一年半の軍隊的、軍艦的訓練は、どんなに專門的使命が ある者にも、身心の根源を培養し、使命の大成を期することができる。今の徴兵猶予 は速成学士を官庁と会社に売出すための経済界の要請で出来たものである。特に 彼らのほとんどすべては、大学教育という高等職業紹介所に入ることで、一種の特権 階級と自認し、徴兵の忌避を心裏に抱いている。この一点を看過すると国家の大綱 を誤る。他に百利あると仮定しても、除外例として存置する理由にはならない。 註五。現役兵に俸給を給付することは、国家の当然の義務である。俸給は傭兵の それとは全く別個のものである。国民の義務にせよ、父母妻子の負担ある男子よりそ の労働を奪い、何らの賠償をしないことは、国家の権利の乱用である。この権利乱用 の下に血涙を呑んだため爆発したのが、現前に見るロシアの労兵会の決起である。 軍隊の強盛を念とする軍事当局すら、この強兵となる根源を提唱できなかった。すべ ての国民が国民の義務という道念を忍び、家族の忘却を強制されて兵士が爆発する 日は、そのまま労働者と結合した労兵会の出現となる。ボルシェヴィキはこれを防ぐた め、ボルシェヴィキの義務を忘れてよいという理屈はない。あるいは国庫の負担が耐 えられないというかもしれない。しかし多大な俸給を払った傭兵で戦った英米を見よ。 生産各省の收入は優に俸給を払う余裕がある。 註六。兵営または軍艦内において、将校と兵卆の物質的生活を平等にする理由 は、自明の理である。古来、将は卆の飮食に後れて飮食するというように、口腹の慾 に過ぎない飮食に差を設けて、部下の反感を平時にも戦時にも改めないとは、軍隊 組織の大精神を知らない者だ。敗戦国または亡国の将校が、常に兵卆の粗食飢餓 を冷視して、おのれ独り美酒佳肴を並べたのは、一つの例外もない史実であった。こ れに反し、皇帝に墮落する前のナポレオン軍が連勝した精神的原因は、彼の無慾と その物質的生括が兵卆と大差なく、平等の理解に立ったからである。日本は近い将 来、ナポレオンの軍隊を必要とする。乃木将軍が軍事的に許せない大錯誤をし、あ の大犠牲を生んだにもかかわらず、旅順包囲軍から認許された理由の一つは、自ら 兵卆と同じ弁当を食し、平等の義務を履行したからである。士卆を殺して士卆に赦さ れた将軍は、日本の近い将来において千百人でも足りないであろう。まさか兵卆と同 じ飮食では戦争できないという者はあるまい。これでは兵卆も戦争できないというもの。 このような唾棄すベき思想が上級将士を支配するとき、その国の行くであろう唯一の 道は、革命か亡国である。労兵会を作らせるような宮廷の権臣と腐敗将校は、日本に レーニンの宣伝を導く内応者といえる。ただし家庭などの隊外生活において物質的 差別があるのは、兵卆が等しくある範囲内で貧富に応じた自由があるのと同じである。 開戦の積極的権利。国家は自己防衛のほか、不義の強力に抑圧される他の国家 または民族のために戦争を開始する権利がある。(当面の現実問題として、インドの 独立および支那の保全のために開戦するのは国家の権利である)。 国家はまた、国家自身の発達の結果、他に不法の大領士を独占して人類共存の天 道を無視する者に対して戦争を開始する権利がある。(当面の現実問題として、オー ストラリアまたは極東シベリアを取得するため、その領有者に向って開戦するのは国 家の権利である)。 註一。近代に入って世界の列強が戦争を開始したときは、ことごとく自他を欺く旧 道徳的名分を掲げ、または自己防衛の口実とした。これは、国家生活の権利を半解 した卑怯な名目である。真に徹底的理解をすれば、おのずから正々堂々とした宣布 となる。日本が積極的発展のために戦い、単なる我利私欲ではないことは、他の民族 が積極的覚醒の結果、占有者または侵略者を排除する現状打破の自己的行動が正 義とみなされると同様に、正義である。自利が罪悪でないことは自滅が道徳ではない ことと同じである。したがって利己そのものは不義ではなく、他の正当な利己を侵害し ておのれを利することが不義である。現在の状態そのものが正義ではない。イギリス がインドを牛馬視し、おのれを利しつつある現状が正義ではないと同じく、日本およ び近隣のアジア七億の民族からオーストラリアを封鎖しつつある現状は、同じように不 義である。支那を併呑し朝鮮を領有しようとしたツアーの利己主義が当時の状態では 不義であったように、広漠不毛のシベリアを独占して他の利己を無視するなら、レー ニン政府の現在の状態もまた正義ではない。正義とは利己と利己との間を画定する ものである。国家内の階級斗争が、この画定線の正義に反したために発生するように、 現状の国際間の不義な画定線を変改するための開戦は正義である。イギリスは全世 界に跨る大富豪で、ロシアは地球北半の大地主だ。粟のように散る島々を画定線とし て、国際間において無産者の地位にある日本は、正義の名において彼らの独占物を 奪取する権利はないのだろうか。国内では無産階級の斗争を認容しつつ、国際的無 産者の戦争を侵略主義、軍国主義と考える欧米の社会主義者は、根本思想が自己 矛盾している。ヒューズが労働者出身であり、レーニンが社会主義者の尊敬する同志 であっても、国際的対立より見て彼らが〔大地主〕であることは、昔、魚売だった大倉 喜八、貧書生だった加藤高明が、今無産階級より見て富豪であるのと同じだ。国内の 無産階級が組織的に結合して、力の解決を準備し、または流血に訴えて不正義の現 状を打破することを彼等が主張するなら、国際的無産者である日本が、力の組織的 結合である陸海軍を充実し、更に戦争開始に訴えて国際的画定線の不正義を正す こともまた、無条件に是認されてよい。もしこれが侵略主義、軍国主義なら、日本は全 世界の無産階級の歓呼声援を、黄金の冠として頭上に掲げなければならない。合理 化された民主社会主義そのものの名において、日本はオーストラリアと極東シベリア を要求する。いかに豊作であっても、日本は数年の後には食うに足る土地を持たない。 国内の分配よりも国際間の分配を決めなければ、日本の社会問題は永遠に解決でき ない。ただドイツの社会主義はこの国際的理解を理解せず、かつ中世組織のカイザ ー政府に支配されているために、英領を分配せよという合理的要求が、中世的組織 の破滅に殉じて不義の名を付けられていることを注意しなければならない。したがっ て今の日本の軍閥と財閥がこの要求を掲げなければ、ドイツの轍を踏むのは天日を 指すように明白だ。改造された合理的国家、革命的大帝国が国際的正義を叫ぶとき、 これに対抗できる学説はない。 註二。インドの独立問題は、近い将来起るであろう第二次世界大戦のサライエボ になると覚悟しなければならない。そして日本の世界的天職として、当然実力援助を しなければならない。たとえイギリスがインドに自治を許容して、ジョンブル・ソサエティ の組合を脱しないように計っても、インド自身が完全な独立を欲して決起するならそ れに過ぎるものはない。今次大戦中におけるインド独立運動の失敗は、すべて日本 が日英同盟の忠僕であったためである。イギリスが一時的全勝将軍となったために、 独立運動は一時雌伏しているに過ぎない。そして日本が実力援助する場合の大方 針は、海上において彼の独立を援護することである。インドの独立はアメリカの独立に 似ている。米国の十三州独立戦争は、はじめ常に英兵に敗れていたが、幾年を経過 した後、有力な実力援助を与えたフランス海軍が英国海軍をメイン岬で決定的に撃 破し、陸兵の輸送を不可能としたことことにある。外力の援助なくして植民地のアメリ カ人は戦う武力を持っていなかった。一切の武器を奪われたインド独立軍に対して、 鎭圧軍をほしいままに輸送できれば、インドの独立は永久に期待できないであろう。 アメリカの独立を決定したものがフランス海軍であったように、インドの独立の成否を 決定するものは、イギリス海軍を撃破する力を持った日本および日本の同盟国の海 軍力である。その意味で日本のインド陸軍に対する援助はあまり有用ではない。かえ って戦後の利権設定等の禍因を招く。インドからは何らの報謝を求めない天道宣布 の本義に汚点を印すことは、あらかじめ深く戒めておかねばならない。レーニン政府 がなお存続して陸上よりの援助をするかもしれないが、決定的成否はすでに海軍力 を喪失したロシアの手にはない。日本はこの改造に基く国家の大富力をもって、海軍 力の躍進的準備を急ぐべきである。日英両国は中立的関係に立つことはできず、イ ンドの從属的現状を維持するか、インドの分割を結果する征服者となるか、どちらか である。日本が永遠に政治的、言語的思想的属邦としてインドの志士を屠ろうとすれ ば、できないことはない。しかし国を挙げて、道に殉ずる天道の使徒として世界に臨も うとすれば、イギリスの海上軍国主義を破壊するに足る軍国的組織がなければならな い。カイザーは海上にある。フランスが陸上のイギリスに対して軍国的組織を放棄出 来ない理由である。日本に加冠された軍国主義は、インド独立のエホバである。この 万軍のエホバを冒涜して、迷妄をたくましくするいわゆる平和主義は、みずからの暴 戻悪逆を持続しようとしてエホバの怒りを怖れる悪魔の甘語である。イギリス人を直訳 する輩は、レーニンを宣伝するよりも百倍有害である。 註三。支那は大戦の結果、急転直下して純然としたインドになるだろう。日本がイ ンドの独立を欲するように、支那の保全を願うなら、眼前に迫る支那とイギリスとの衝 突は、日英同盟を無意味にする。イギリスが早くから支那を財政的准保護国としてい ることは説明の必要がない。イギリスは、今次の大戦の結果、イギリスの脅威となった ドイツと、インドの脅威となったロシアとに恐怖を抱く必要がなくなった。これは支那に おいてこの二国が満蒙と青島に加えた脅威を日本が除去したからである。イギリスは、 日本を別にして支那に恐れるような実力を見ない。そして日本のイギリスに対する奴 隸的臣從は、大戦中と講和会議とにおいてイギリスに十分な安心を与えた。それはイ ギリスがチベット独立の交渉中に青海、四川、甘肅の一部を包有する要求を加えて 来たことでわかる。日露戦争によりロシアが満州に南下する道を日本に塞がれたのに 乗じて、直路中央アジアより中部支那に殺到した大道をイギリスに寄こせと要求する ものである。インドを基点としてアフガニスタン、ペルシャにおよんだイギリスが、中央 アジアに進出するのは当然で、極東海上の基点香港と相応して、中部支那以南の割 取を考え始めたのは明白である。これは往年ロシアが満州に進出したよりも大きな支 那の危機である。支那保全主義を堅持する日本にとって、イギリスの支那経略の根拠 地香港が有害なことは、日露戦争における旅順、ウラジオストックの根拠地に優るとも 劣らない。イギリスは日本の口述的抗議を眼中に置かず、天下無敵の全勝将軍とし て支那に臨むであろう。これは単なる推定ではない。事実をもって立証される日は、 日英両国が海上に相対する日である。支那の保全に関し日英開戦はすでに論議の 時代を過ぎた。 註四。日本は支那においてドイツを学ぼうとする東洋の野心国である、という世界 の批評に対し、男子的に是認し、かつ男子的に反省し改めなければならない。周知 のように、英独協商は香港を根拠とするイギリスと青島を根拠とするドイツとが、支那 分割をアフリカ大陸にならって実現する確信をもって、北支那をドイツに、中央支那 以南をイギリスにと協定したものである。かの津浦鉄道が南北に分割され、列車の直 行運転ができず、南部の英資に対して北部の独資がまず投資面の分割として現われ た。しかし今次の大戦中に、日本はドイツの青島を領有し、支那に還附されないこと を企てるとともに、ドイツの投資を継承し、さらに北支那に投資的侵略を学んだ。すべ てドイツの跡を追ったのである。天道は甲国の罪悪を罰して、乙国の同じ罪悪を助け はしない。日本が東洋のドイツといわれ、ドイツと等しい軍国主義、侵略主義の国だと いわれ、列国環視の間にウイルソンなどの口舌に萎縮して、面上三斗の汗を拭う恥さ らしとなった。これはことごとく天意である。あえて軍閥内閣と党閥内閣とに差をつける 必要はない。明治大帝なき後、歴代内閣の施策はことごとく大帝の大事業であった日 露戦争の精神に反している。幸徳秋水だけが大逆罪ではない。その罪はまさに大帝 の陵墓を暴く大逆政治であり、支那の排日を怒り米国の排日に憂え、なおかつ茫然 として天佑を夢みる。彼らは講和会議においてイギリスの保護を蒙り、ドイツの利権継 承を認容されたとき、「国難は去った」と喜んだ。そうではない。イギリスは英独協商の 相手方を日本に代え、協商の目的であった中部支那以南の領有を現実のものとする ため、青海、四川、甘肅を合わせたチベット独立の要求を起した。すでに揚子江流域 はイギリスの勢力範囲といわれる今日、日本を相手方とし、英独協商を日英協商と代 えて支那に臨む時、日本は、明治大帝が何のために日露大戦を戦ったかを理解でき ていないのだ。日本はベルサイユに救われた同盟のよしみにより、イギリスの支那本 部併合に感謝せよというのか。排日の声が支那とアメリカとに一斉に挙った原因は日 露戦争により保全された支那と、日露戦争を後援して日本に支那を保全させたアメリ カとが、天に代る保全者として、日本に脚下の陷穽を警告しているのである。カイザ ーは世界的排斥に反省しなかったため陷穽に墜落した。米支両国の排日の声に反 省し、日露戦争の天道宣布に帰るとき、日本は排日の声に有り難い天寵を見なけれ ばならない。イギリスの恩惠の下に青島に租借地を得るよりも、イギリスそのものの香 港を奪い、日本の海軍根拠地とせよ。香港に根拠を持てば、青島は無用の長物だ。 山東苦力として輸出せざるをえないほど人口が溢れる支那の貧弱な一角に沒頭する よりも、支那そのものより広大で豊かなイギリスのオーストラリアを併合せよ。日本にと って支那は分割されなければ十分である。四千年住み古した支那をまるで富の源泉 のように垂涎する小胆な国民に、どうして世界的大帝国を築くことができるか。日本が 首をもたげて英領を直視する時、支那の排日運動は根本的、永久的に跡を絶つであ ろう。 註五。この支那保全主義を徹底して考える時、日本の極東シベリア領有は、日本 の積極的権利であると同時に、支那を北方より脅やかすロシアの伝統的国是を打破 するものである。日本が東清鉄道を取得して、極東シベリアを結合すれば、内外蒙古 は支那自らの力によりロシアの侵略を防禦できる。こうして日本は北に大きな円を画 いて支那を保全し、支那もまた日本の前衛となる。ロシアの外蒙古進出に押されて日 本も内蒙古に進出して防備を試みる軍閥の支那保全策は、ある程度は支那を保全 するが、ある程度は支那を分割するものである。その無策と不徹底は断じてアジア連 盟の盟主となる器ではない。特にセミョノーなどを使って内外蒙古の独立を策しつつ あるのは、誠に小策士の陰険な手段だ。国家の持つ開戦の積極的権利をよく理解す れば、公然と日本および支那の必要を主張し、レーニンその人に向って極東シベリア の割讓を要求すベきだ。国家の当然な権利をチェコ、スロバキア援助の口実の蔭に 隱すから、日本は野心を包藏するとみられ、敵味方の警戒を受けるのだ。日本の対 外行動は、取ってはならない者より寸土も取らず、天日照覽の下、奪うなら全地球を 奪うくらいの大丈夫の健脚に立つベきである。 註六。要するに日本は日本海、朝鮮、支那の確定的安全のため、つまり日露戦 争の結論を実現するために、極東シベリアを領有する目的でロシアに敵対できる大 陸軍をもたねばならない。そしてインド独立の援護、支那保全の確保、および日本の 南方領土の取得という運命の三大国是は、イギリスと絶対的に両立しないから、まさ に大海軍の建設を急務とする。もし今次の大戦に際して大西郷あり、明治大帝があ れば、ドイツの陸軍と東西呼応して一挙にロシアを屈服させ、海軍も東西に別けて、 イギリス艦隊を本国とインド、オーストラリアの防備に両分させ、十分な優勢を持して 両者を撃破し、数年足らずのうちに北露、南濠に大帝国を築いた筈だ。ドイツの敗因 は戦争初期に背後に迫ったロシア軍のためにパリ占領の好機を逸し、さらにイギリス 艦隊全部を本国に集中させたために、一挙に根本を屠ることができなかったからだ。 そして艦隊をキール軍港に封鎖されて国内物質の空乏を招き、僅かに潛航艇戦の 窮策に訴えたものの、かえってアメリカを敵にしてしまった。開戦当初よりロシアの陸 軍とイギリスの海軍とを両分し得た日本の向背が、世界大戦の勝敗を決したのである。 日本は明らかに英独の間のキャスティングボードとなり、その力でドイツを亡ぼし英国 を活かした。それにもかかわらず、挙国一致してこの天の恵みを逆用して逆に敵国の 犬馬となり、救国の恩主でありながらその脚下にひれ伏し、糞土にも値しない小群島 と青島とを哀訴したのだ。国政を担って国を亡ぼそうとするこのような者に加える大逆 罪の法文が無いのは残念である。 註七。ここで一大事を告げる。ベルサイユの調印は、ドイツを目的として連合した 列強が、さらにイギリスを第二のドイツとして新たな連合軍を組織する天与の一大転 機であった。日本はアメリカ、ドイツその他を糾合して、世界大戦の真の結論をイギリ スに対して求めるベきであった。講和会議はインド洋の波涛をテーブルとしなければ ならなかった。アメリカが恐怖する日本移民。日本の脅威となるフィリピンのアメリカ領 土。対支投資における日米の紛争。一見両立出来ないように見えるこれらの問題は、 実は日米両国を同盟的提携に導く天の計らいであった。しかし今これをいう時ではな い。ただこの根本改造後に出現する偉丈夫に待つほかない。天皇に指揮された全日 本国民の超法律的運動により、まず今の政治的経済的特権階級を切開し、棄てるこ とが急務である。内憂を痛み外患に惱むすべての禍因は、ただこの一大腫物に発す るからである。日本は今や皆無か全部かの断崖に立っている。国家改造の急迫は維 新革命にも優る。この切開手術により日本は真の健康体を維持しなければならない。 結言 マルクスとクロポトキンを墨守する者は、革命論においてローマ法皇を奉戴するに 等しい自己矛盾論者である。英米の自由主義がそれぞれの民族思想が結んだ果実 であるように、ドイツ人マルクスの社会主義とロシア人クロポトキンの共産主義が、幾 多の矛盾する理論によって存立することは、それぞれの民族思想が開いた花である。 その価値は相対的なものであり、絶対的ではない。 したがって、この日本改造法案大綱を強いて日本民族の社会革命論だという者が あれば、それもよかろう。しかしながら、この日本改造法案大綱に示された原理が国 家の権利を神聖化しているのを見て、マルクスの階級斗争説を奉じて対抗する者、あ るいは個人の財産権を正当化しているのを見て、クロポトキンの相互扶助説を楯にと って非難する者は、疑いなく、マルクスとクロポトキンの智見の欠陥を知らないのだ。 彼らは旧時代に生まれ、欧米の小天地しか見ていない。しかも淺薄極まる哲学に立 脚しているため、躍進する現代日本より見ると、単に分科的価値を有する一、二の先 哲に過ぎない。過去に欧米の思想が日本の表面を洗ったとしても、今後日本文明の 大波涛が欧米を震撼する日がないと断定するのは、非科学的態度であろう。エジプト、 バビロンの文明に代ってギリシャ文明があった。ギリシャ文明に代ってローマ文明が あった。ローマ文明に代って近世各国の文明がある。こういう文明推移の歴史を過去 の西洋史に認めたうえ、二十世紀になってようやく真に融合統一した全世界史の編 纂が始まろうとする時、西洋史と将来とにおいてのみその推移を思考するのは不十 分である。インド文明の小乘的思想が西進し、西洋の宗教哲学となった。一方インド では跡を絶ち、途中経過した支那でも形骸化し、ひとり東海の離島に大乘的宝藏を 密封したのが仏教である。仏教が日本化し、さらに近代化し、世界化して、来るであろ う第二次世界大戦の後の全復興世界を照す時、日本思想は往年のルネッサンスとは 比較にならない価値を示すであろう。東西文明の融合とは、日本化し世界化したアジ ア思想により、今の低級な文明国民を啓蒙することにある。 天の行いは健やかである。国は興り国は亡ぶ。ヨーロッパ諸国が数百年以上前に ジンギスカンやオゴタイなどの蒙古民族の支配を許さなかったように、アングロサクソ ン族が地球上に濶歩する年は短い。歴史は進歩する。進歩には段階がある。東西を 通じた歴史的進歩において各国が戦国時代に次いで封建国家の集合的統一を見た ように、現時までの国際的戦国時代に次いで来る可能性がある世界の平和は、必ず 世界の大小国家の上に君臨する最強国家の出現によって維持される封建的平和で なければならない。国境を撤去した世界の平和を考える各種の主義は、その理想の 設定において、それを可能とする幾多の根本的条件、つまり人類がさらに重大な科 学的発明と神性的躍進とを得た後であることを無視したものである。全世界に与えら れた現実の理想は、どの国家、どの民族が豊臣、徳川となり神聖皇帝となるかの一事 しかない。日本民族は主権の原始的意義、統治権上の最高の統治権を国際的に復 活し、「各国家を統治する最高国家」の出現を期さねばならない。「神の国はすべて 謎をもって語られる。」 かつてトルコの弦月旗があった。ベルサイユ宮殿の会議が世 界の暗夜であったことは、会議を主裁したアメリカの旗が默示する。イギリスを破り、ト ルコを復活し、インドが独立し、支那を自立させた後は、日本の旭日旗が全人類に天 日の光を与える。世界の各地に予言されつつあるキリストの再現とは、マホメットの形 をとった日本民族の経典と剣である。 日本国民は速やかにこの日本改造法案大綱に基いて国家の政治的、経済的組織 を改造し、来るであろう史上未曽有の国難に面しなければならない。日本はアジア文 明のギリシャとして、すでに強露ペルシャをサラミスの海戦に破砕した。支那、インドの 七億の民の覚醒は、実にこの時から始まる。戦のない平和は天国の道ではない。 大正八年八月 上海にて 北一輝
© Copyright 2024